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スイレン・モノローグ

まえがき
この物語は、水辺に咲くスイレン(睡蓮)がおしゃべりをし、月の光をつかまえ、旅をするという、すこし変わったお話です。
第1回透明批評会に提出した物語なので、ご覧になった方も多いかと思います。

今回、すこしだけ、改稿(と改題「未草独白」から「スイレン・モノローグ」へ)をして再びエントリーします。
この物語の二番には、東日本大震災の様子が描写されています。その時の恐怖を思い出させるようなことがあったら、ごめんなさい。ただ、どうしても避けることのできない表現でした。しかし、物語に織り込んだのは、復興への励まし、そして希望、願いです。
わたし自身は岩手県花巻市の出身ですが、震災の時も、今も東京に在住しています。震災のボランティアには宮城の方へ二度、そして、この物語を書き上げるために釜石へ足を運んでいます(釜石は父の故郷です)。
直接の復興には、あまり力になることができていないのが現状です。ただ、わたしは作家(未だに志望が付きますが)なので、物語の世界の復興に手を差し伸べることにしました。その様子は、ぜひ、本文をご覧ください。

第1回透明批評会に参加されたみなさまにあらためて感謝申し上げます。今回のエントリーでもまだ、完成に至っていないのかもしれません。しかし宮沢賢治に倣い、この物語は多くの改稿をしてゆきたいと思っています。常に未完のまま、生涯付き合ってゆくかもしれません。そのような作品ですが、ぜひ、また感想や意見をお寄せください。

ずいぶん、長いまえがきとなりました。それでは、本編をお楽しみください。

*****

スイレン・モノローグ

作・刺繍 石川 葉

一番

 ねむれねむれ、今宵、君に届けるスリープソング。
 音を鳴らして物語りするわたしの声を、叫びを韻を、ありとあらゆる法則や定理を駆使して、あるいはそれら一切を無視したままで、君の心に、脳に直接に届けてやかましくかき鳴らそう。
 わたしはさっき、君の瞳の奥の奥をつかまえた。だから一緒にランデヴー。この世の果ても、あの世の果ても知らないわたしが、うつろいやすい魂の歌を奏でながら、狂喜な世界へいざなってあげよう。
 こんな誘いに応じる君は変わっているね、ありがとう。そんな君が好きだよ。おかしなわたし、奇特な君。踊りながら夜を明かそう。君の瞳の奥の奥の奥の奥まで入り込んでガヤガヤと歌っていよう。

 さあ、ねむれねむれ、眠りながらわたしと踊ろう。羊の数を数えながら輪舞、回れ、眠れ、わたしの恋人。君と一緒にいられてわたしは嬉しい。離さないから、ねむれねむれ。
 羊のつがいを連れてきたよ。一緒に数えながら眠ろうよ。羊が一匹、羊が二匹。さっきの羊がもう一匹……。
 ちっとも眠くならないね。きっと羊の数が足らないんだ。でも、わたし、彼らの他に羊の友達はいないしなあ……。
 待てよ、とっても大事なことをわたしは忘れている。そうだ、そうだよ。ごめん、ごめん。
 気を取り直してもう一度、羊の数を数えてみよう。
 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹! たちまち羊の数が増えました! なぜかって? それはわたしが自分のことを数え忘れていたから。
 すっかり自己紹介が遅れてしまってごめんなさい。わたしのことを書いている本があるからその部分を引用するね。

 ひつじぐさ【未草】
 スイレン科の多年草水草。各地の池沼に自生。葉は水面に浮き、円形で基部が深く切れこむ。夏、花茎の先に径約五センチメートルの白色花をつける。未の刻(午後二時)頃に開花するというのでこの名があるが、花は午前中開き夕方しぼむ。花びらは八〜一五個。スイレン・[季]夏。

 そう、実はわたし、人じゃなかった。そして本当のところ、羊でもない。羊の名前を冠した、ただの植物に過ぎない。
 スリープソングかき鳴らすわたしは未草。別名、睡蓮。池の真ん中で、シエスタの時間に花びらを開いて笑ってみせる。

 絵画の中に描かれるわたしは、ぼんやりとした印象を与えがちだけれど、この通り、おしゃべりはできるし、ちょっと変わった特技:スクープも持っている。
 そもそも睡蓮が夜更かししているなんてありえないこと。仲間はみんなスヤスヤ眠っている。わたしは少し変わった睡蓮なの。そんなわたしにつき合ってくれる君もやっぱり変わり者。変わり者って素敵な響き。そんな素敵な君だから、この夢が醒めるまで一緒にいてね。

 ところで、さっき話したスクープのことなんだけれどね。それは、君との夜を演出するために編み出したテクニックなんだ。
 わたしのことをよく見て欲しい。閉じられた花弁の中に、ぼんやりと明るい光のかけらを見つけられると思う。これは、三日目の月の光。アルカイックスマイルよろしく、おぼろに微笑んでいる。
 わたしはこの三日目の月の光のことを三日月ランタンと呼んでいる。三日月ランタンを掲げると夜船を呼ぶことができる。夜船の船首に提げれば、夜から夜へと渡る旅がはじめられる。
 旅のはじまりはミッドナイト。それまでまだしばらく時間があるから、この三日月ランタンの作り方を教えてあげるね。
 このランタンを作るには、まず、三日目の月の光をつかまえなくてはならない。そのための一番よい時間は日の出のすぐあと。
 わたしは、まばゆい太陽の光で目が焼けるのもかまわずに、東の空を凝視していた。しばらくして、そろそろと月が昇りはじめる。彼女は太陽に遅れまいと、そのことばかりを気にする風で、池の上でじっと息を潜めるハンターの存在に気づかない。だいたいこんな早朝に浮かぶ三日月の姿に気づく人も少ないから、彼女はとても油断している。わたしは、そんな月から光を力づくで奪い取る。
 月が軌道に乗って、ふう、と息をついた時、わたしは、がばっと花弁を開き、一気に月の光を呑み込む。太陽の光に完全にかき消される前の、白くて冷ややかな、ジェラートみたいな三日目の月の光をスクープして花弁の中に閉じこめる。わたしがその光をつかまえると、三日目の月はその分の光を失って、ほとんど消え入りそうになる。ほどなく彼女はどこか恥ずかしそうにそそくさと陽の光の中にその姿を隠した。

 そうしてわたしは、ひとかけらも月の光をこぼさないようにしっかりと花びらを塞ぎ、昼の間中、蕾のままでいた。
 日が高くなるにつれて、池の中では、ひとり、またひとりと優雅に睡蓮が花びらを開かせる。自分で言うのもなんだけれど、その様子は見ていてうっとりとする。蓮の祝砲のような華やかさはないけれど、それでも十分神秘的だ。
 そうこうするうちに、蕾のままでいるのはわたしだけになった。当然、仲間たちはわたしのことを心配する。
「どうしたの、熱でもあるの」
「騒々しいあんたが、口をつぐんでいるなんていったいどういう風の吹き回し?」
「恋に破れた?」
(クスクス)
「ちょっと、なんか調子くるっちゃうんだけど」
 いくら声をかけられても、わたしは口を真一文字に閉じたまま、ひとことも言葉を発しなかった。今、口を開いたらせっかくつかまえた月の光が逃げていってしまう。
「また、おかしなことをはじめたのね」
 仲間のひとりが、背後から忍び寄って声をかけてくる。
「まあ、何かまたツバメに吹き込まれたりしたんでしょうよ。まったく、変わっているよね」
 あんたに言われたくないけれどね。
「無理はしないで。はい、差し入れ」
 そう言って彼女はわたしの頭に、ほどよくぬるい炭酸水を浴びせかけた。それはとても爽快な気分をもたらしてくれた。わたしは、ありがとうというつもりで、ゆっくりと目をつぶる。彼女はそれを見てウインクを返してくれる。
 彼女は双子の睡蓮で、ふたりともとびきりの美人だ。姉である彼女はもう少ししたら別な場所へ引っ越すと言っている。
「人間の体の中にね、住むことに決めたの」
 凛として、そう言い放ったけれど、その横顔に少しの悲しみをわたしは見て取った。ただの気のせいかもしれないけれど、一瞬、彼女の瞳がくもったように思う。
 仲間は、そんな彼女のことを揶揄した。人間の体の中に住むなんて、とんでもない! わたしもそう思う。でも、彼女がすることだから、そう言い切ることもできないでいる。双子の睡蓮は美しいうえに聡明だから。わたしのこんな不思議な儀式も頭ごなしにやめさせたりしない。ちゃんと意味があることを彼女はその肌で感じてくれる。
 人の中に住むってどんな感じなんだろうね。わたしは見つめ合う方が好きだな、こんな風に君としているみたいに。こうしてテレパシーしているのが、とても楽しい。

 それはともかく、わたしは口をつぐんだまま、昼間の時間をやり過ごした。やがて仲間がみんな寝静まった頃、わたしの蕾は、ほんわりと仄明るくなる。水面にぼんやりと浮かぶアルカイックスマイル。三日目の月のジェラートを湛えて光っている小さなふくらみ。
 それに合わせるように、夕方の三日月も光を放ちはじめる、いつもよりシングルカップ分、弱い光で。彼女は地上にあるともしびに気づき、ようやく自分の光を盗んだ犯人をを見つける。きっちり閉じられた花弁をうらめしそうに見つめ、手をこまねいたまま、やがて西の空に沈んでいった。
 サンキュー、三日目の月。明日の朝には返すから、今宵ひと晩、あなたの光を貸してちょうだい。
 夜を渡るランタンの明かりを掬うには、二日目の月では光が弱過ぎてもの足りない。四日目の月では太り過ぎていて、わたしのあごがはずれてしまう。三日目の月が一番しっくりくるフォルム。三日月の光を借りてわたしは夜を渡ることができる。同じ形の下弦の月の光を盗んでみたこともあるけれど、その光は頼りなく、一度揺らいだかと思うと、次の瞬間にはわたしの花弁の中で立ち消えていた。何の痕跡も残さなかった。長持ちしない理由は今をもっても分からないでいるけれど、三日月のように若い月ではないからではないかな、と想像している。

 そうこうするうちに、どうやらそろそろ真夜中だ。用意はいいかい。いよいよ三日月ランタンを掲げるよ。
 夜の深みから、ぼうとあらわれる木組みの舟。わたしたちは、しっかり羊の背中にまたがって夜船に乗り込もう。
 さあ、一緒に別の夜へと渡ろう。

二番

 ねむれねむれ、三日月ランタンの明かり頼りに夜船は進む。羊の背中でうつらうつらと夜を渡ろう。そんなゆりかごみたいな時間でも、なかなか眠りに就けない夜のための友達、あるいは敵。仲良く喧嘩しながら、夜を越えよう。ページを繰っては音を奏でる。美しいのは君の指先、君の指の腹はやさしくわたしを奏でる。わたしはでたらめに歌っているけれど、それを君がととのえ、脳の至るところで採譜し、夜の歌を編み上げる。

 わたしたちは、羊の背中にまたがり夜船に乗って、群青の夜へとやってきた。夜を泳いでいた夜船は、いつしかほんものの川を泳いでいる。川向こうでは青白い光がぽつりぽつりと灯っている。三日月ランタンの様子にそれはよく似ている。夜船はそれを横目に、より深い夜の方へと進んでゆく。あたりはだんだんと霧が濃くなってくる。羊の背中が少ししめってくる。
 霧の中を音もなく夜船は進む。羊の毛がくるくる巻き毛となった頃、夜船はすうっと停泊する。そこは、霧の立ちこめることで有名な海岸だ。
 夜船を降りると、羊がじゃりじゃりとひづめを鳴らす。海岸を離れ、星の光が見えるところまで、羊の背中に乗って夜の散歩をしよう。
 霧は次第に薄くなる。辺りの群青色が深まり、星のおしゃべりがまたたき出した頃、規則正しいリズムの音がこちらに向かって走ってくる。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ。
 音の方に視線を向けると、一筋の明るい光が横切ってゆく。その軌跡の前後に点々とオレンジ色のゆらめく光が見えている。その先には人工的な青い光。わたしが目指しているのはあの青い光だ。青い光を目印にして、三日月ランタンを手に羊の背中に乗って進んでゆこう。ランタンの明かりに照らされるひづめの音が、浮かび上がる夜の背景にやさしく色付けをする。
 青い光に近づくにつれ、規則正しいリズムが歌声だということに気づく。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ。
 わたしはその歌を懐かしく思い、ふたたび聴くことができたことを喜ぶ。君は聴いたことがある? この歌声は、童話『シグナルとシグナレス』の中に登場している軽便鉄道の列車の声。その最終便の歌っている声だよ。陽気に力強く、わたしたちの目の前を駆け抜けてゆく。
 軽便鉄道が過ぎ去ったあと、かたん、という白木の音が、青い夜の中に気持ちよく響く。それに続けて、カタン、という生真面目に硬い金属音が鳴る。
 これらの音の主は、軽便鉄道づきの電信柱たち。彼らの腕木の降りた音だ。白木の音を奏でたのは、慎ましいランプの火を灯しているシグナレス。金属音を鳴らしたのは、赤い眼鏡の光を灯して兵隊のように立っているシグナル。
 わたしたちが遠くから見た青い光はシグナルの青信号で、オレンジ色の光は電信柱たちが灯しているランプの明かりだ。彼らの間には、いましがた通り過ぎた軽便鉄道が吐き出した青い煙が宙を漂っている。

 わたしたちが羊の背中に乗ってやってきたのは、たくさんの童話の中に描かれたドリームランド『イーハトーブ』。その夜の時間。
 群青の夜に抱かれたイーハトーブは、もしかしたら、君に懐かしさや望郷、小学校の図書室などを思い出させるかもしれない。もちろん、そのイーハトーブで間違いないよ。でも実は今、この場所、イーハトーブはその名前にふさわしい牧歌的な場所ではなくなっているの。それは(いや、もともと牧歌的とは言えなかったけれど、より剣呑な)未曾有の大地震がこの世界を大きく揺るがし崩し、さらには巨大な津波が、家も木も丘もみんな流し去ってしまったから。

 わたしたちが訪れているこの群青の夜は、甚大な被害から立ち直ろうと、人々が日夜、労しているその場所だよ。
 津波は軽便鉄道の駅舎や車両をことごとく呑み込んで瓦礫にしてしまったんだ。沿岸部を走る鉄道は壊滅的な被害を、内陸から沿岸までを中継するこの軽便鉄道は、沿岸部に比べれば、比較的軽い被害とはいえ、その線路の大半を流されてしまったの。イーハトーブの湾の中に巨大な堤防は存在しないで、津波は険しい峠までをも軽々と越えていった。その傷跡は、時間の経った今でも、至る場所に残されている。
 それでも残されたイーハトーブの住民はみな力を合わせ、頼り、頼られながら少しずつ前を向いて歩きはじめたんだ。
 軽便鉄道もその働きのひとつの結果! 瓦礫を押しのけ、線路を打ち直し、少しずつ繋げてゆき、とうとう海までの道を敷き直した。そして列車を運行できるまでになったんだ。
 軽便鉄道は歌もしっかり取り戻した。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ。

 地震の時には、わたしの住む世界も激しく揺さぶられた。さかさまにたわむ水面の上で、過去に感じたことのない恐怖を味わった。でも、それは彼らの遭遇した恐怖と絶望の足もとにもきっと及ばないよね。彼らの抱える空虚さは、わたしに、はかることなどできない。恐怖からの回復とこれから与えられる恵みが多いことをただただ願う。

 実はね、わたし、その恵みのひとつに招待されてこの群青の夜までやってきたんだ。
 ねえ、見てみて。さっきまで一所懸命働いていた軽便鉄道づきの電信柱たちが、いそいそと何か準備をはじめたよ。
 兵隊のように立っていたシグナルは、ほら、真っ白なタキシードを着込んでいる。少し離れたところでは、シグナレスもまた、純白の衣装に身を包まれている。そう、ウェディングドレス!
 そうなの、今日はシグナルとシグナレスの結婚式なんだよ。
 初夏の訪れといっしょにツバメが一羽、空を渡ってやってきて、結婚式がありますよ、と知らせに来てくれたんだ。
 それで、わたしは夜を渡ることができる三日月の光を用意してここまでやってきたんだ。

 この結婚式、発案者は実はわたしなんだ。
 軽便鉄道で働く彼らは復興の希望として語られているのだけれど、その中にあってシグナルとシグナレスは、ずっと絶望にとらわれたままだったんだ。君はシグナルとシグナレスの物語を読んだことがある? その物語の中で彼らはこんな風に会話をしたことがある。

「シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉でしょう。僕はもう今すぐでもお雷さんにつぶされて、または噴火を足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒されて、またはノアの洪水をひっかぶって、死んでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情してくださらないんですか」
「あら、その噴火や洪水を。あたしのお祈りはそれよ」

 このやりとりは、シグナルのせっかちな性格が招いたものだ。愛の告白をしたシグナルは、すぐに答えをくれないシグナレスに拗ねるような態度をとってしまった。それは、恋人になろうとするふたりの、たわいない心の揺れ動く様に過ぎないのだけれど、会話のこの部分だけを切り取るとまるであの恐ろしい津波の様子を思い起こしてしまう。

 シグナルとシグナレスのふたりも、一度は津波に流された。幸いにも無事に生き延び、彼らの体は再び立てられた。助けられた彼らはその僥倖に感謝して、生真面目に仕事に臨んでいたけれど、やがて、自分たちの会話を思い出すことになる。思い出した彼らは激しく後悔し、シグナルは当たり散らす。いっそ倒されたままでいればよかったのに! 性急な性格の彼はそう叫ぶ。シグナレスはただだまってうつむくばかり。

 あの地震や津波が、彼らの願いや祈りによって引き起こされたものでないことは誰にだって分かるよね。神様は前後の文脈抜きの祈りを聞かれることはないし、言いようのない深いうめきを汲んでくださる方だから、こんな悪ふざけのようなことを実現するわけがない。
 でも本人たちにとってみれば、会話したことは事実だから、落ち込んでしまうのも無理のないことだろうと思う。
 この話を友達のツバメから聞いた時、なんとか彼らを元気づけてあげられないかと思ったんだ。
 そして思い浮かんだのが彼らの結婚式を挙げること! 我ながらナイスアイデアだと思ったよ。シグナルが地震が起こるよりずっと前にシグナレスにプロポーズをしていたことは知っていたしね。そのことをツバメに伝えたら、空を渡ってイーハトーブまでその話を持っていってくれたの。
 そこからは、わたしは何もしていない。イーハトーブのみんなが力を尽くしてくれて、今日の佳き日まで導いてくれた。みんな、ふたりのことがとても気がかりだったんだ。

 結婚式に向けて一番大変だったのは、当のふたりを説得することだったよう。祈りのことを気に病んで、なかなか首を縦に振らない。それでも時間が、かたくなな心を溶かしてくれたんだ。大変な時だからこそ、支え合うパートナーが必要だとお互いに実感したみたい。
 そしてこの春、イーハトーブ沿岸の線路もついに全線開通したので、それを契機としてふたりは結婚式を挙げることに同意してくれたんだ。
 線路が繋がったとはいえ、それはイーハトーブの中だけの話。復興していない地域もまだまだたくさんあるから、あまり派手な結婚式はしないで欲しいと彼らは訴えた。それで、今日もしっかりと業務をこなしたあとでの式ということになったの。

 あ、教会からパイプオルガンの音色が流れ出した。いよいよ結婚式のはじまりだ。
 本線シグナルづきの電信柱や機関車、貨物車。ふたりの親類一同がぞろぞろと連なって礼拝堂に流れ込む。鉄道長の姿も見えたね。さあ、わたしたちも礼拝堂へ向かおう。つがいの羊は教会の入り口の門柱にくくりつけたままで、礼拝堂のいちばん後ろに潜り込もう。チャーチチェアに腰かけて、ふたりの門出を祝福しよう。
 この教会の神父は、どうやら倉庫の屋根のようだね。彼、ふたりの仲を取り持ったことがあるからぴったりだ。
 賛美歌が流れる中、純白のドレスを纏ったシグナレスがバージンロードを歩いてくる。傍らに立つのはお父さんだろう。年期の入ったやせぎすの木の電信柱。とても緊張した面持ち。でも、それよりももっとガチガチなのが神父の隣に立っているシグナルだ。青い眼鏡と赤い眼鏡をひっきりなしに点灯させたり、流れる汗を拭き取ったりと落ち着かない。
 バージンロードを歩き終え、いよいよシグナレスがシグナルの隣に並ぶ。ふたりは正面に立つ神父の方を向く。
「よい時も、つらい時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで真心を尽くすことを約束しますか」
 神父の言葉に、ふたりは約束しますと答える。そして神父から渡されたミモザの花冠をお互いの頭に載せあった。それがこの世界の指輪交換の儀式。ふたりは互いに見つめあい、そしてようやくその頬をほころばせた。
 パイプオルガンの伴奏がはじまり、賛美歌が歌われる。その中をシグナルとシグナレスが腕を組み、ゆっくりと退場してゆく。
 堂々とした歩き方のシグナル。シグナレスのランプの灯火はいつになく煌々と光り輝いている。
 わたし、ふたりの姿を目で追いながら、彼らのプロポーズの場面を思い出していた。それは慎ましくも美しい交感なんだ。シグナルのプレゼントした環状星雲(エンゲージリング)は今、この時もきらびやかにふたりの頭上でまたたいている。ふたりが辛い思い出を忘れて、いや、忘れることなどできないと思うけれど、その辛さを抱えていても、未来への一歩を踏み出すきっかけになるといい。うん、ふたりなら絶対に大丈夫だよね。
 結婚式、いいなあ。わたしたちもあんな風になれるといいね、なあんて。

 さあ! そろそろ自分たちの夜に戻ろうか。気が付けば夜明けももう間近。三日目の月の光はちゃんと月に返してあげないといけない。四日目の月が三日月みたいだと昨日と今日の境目が分からなくなってしまうものね。
 羊の駈足(ギャロップ)、夜船はフルスロットルでわたしたちの夜へと、明けようとする夜へと急ぐ。
 太陽が顔をのぞかせる。最初の光がわたしの目を焼く。
 さあ、花びらを開くよ。
 光よ光、ほどけて月へ帰りなさい。楽しい旅の灯火をどうもありがとう。
 アルカイックスマイルは舌をぺろりと出すように、端からこぼれて明るみの方へ流れてゆく。

 いよいよ朝の時間がやってきました。わたしの恋人、つきあってくれてありがとう。またいつか、夜の旅をしましょう。小さな王子のいる星へ? はたまたウサギの後を追って行き着く地下世界? つがいの羊と相談して、とっておきの旅を用意しておくね。
 それでは、それまでごきげんよう。
 ねむれねむれ。君は、いたずらな言葉の羅列を聴き飽きて、ついに、いよいよ眠くなる。すべてのことを忘れて、ゆっくりおやすみ。またいつか旅する時はいちどきに、今宵のことは思い出す。
 心配しないで、少しの興奮は耳の奥のかたつむりの両目にあずけておいて、今は、やすらにやすらに、ねむれねむれ……。

<了>

 ひつじぐさの箇所は、アイフォーンアプリ「大辞林」から引用。体裁を整え表記した。
 シグナルとシグナレスの箇所は、宮沢 賢治「シグナルとシグナレス」青空文庫から引用した。


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