Steve Aokiのお父様は大学時代に渡米してアメリカで成功したワイルドな起業家だった
BTSともコラボしているEDM界のスーパースターSteve AokiのNetflixドキュメンタリー映画『スティーヴ・アオキ: I’ll Sleep When I’m Dead』を正月に見たのですが、えらく感動しました。
自分の父親である紅花(Benihana)の創業者、ロッキー青木ついて語るシーンがあるのですが、単身渡米してアメリカで成功した起業家ということで、今のスタートアップ業界が一番興味ある事例じゃないかと思い、ロッキー青木の自伝「人生死ぬまで挑戦だ」を読みました。
ロッキー青木伝説の始まり
ロッキー青木は、慶応大学1年生の時に全日本学生選抜レスリング代表チームの一員として、アメリカ遠征で渡米し、アメリカンドリームを追いかけてそのままアメリカに居残りました。
皿洗いのアルバイトやアイスクリームの屋台をしたりして、ニューヨーク市立大を卒業し、銀行から融資を取り付けて日本流のテーマレストランを開店しています。
詳しくは自伝を読んでいただきたいのですが、印象に残った2つの言葉を書き留めておきます。
ビジネスに自動ドアはない
Benihana1号店のオープニング初日はにぎわったようですが、その後すぐに客足が途絶えたというエピソードがあります。
そこで、ビジネスに自動ドアは無いんだと実感し、ビジネスに自動ドアがないのであればどうやってお客様に何を開かせるかを考えようという思考になります。
広告費がないのであれば、メディアに取り上げてもらえるような話題を作るしかない。かなり昭和テイストなワイルドなPR施策がたくさん紹介されています。
踊りながら肉を焼くクッキングダンスもPR施策の一つですが、ハワイでいうなら田中オブ東京みたいなものでしょうか。みんなが話題にしたくなるような企てをする、というマーケティング施策は普遍的なものなんだなと思いました。
ロッキー青木にかかわらず、戦後の起業家の自伝を見るとかなり突拍子もないことをしており、こんなこともしていいのかという笑い話(?)の連続で、逆に勇気が湧いてきます。
商売が軌道に乗ると人間はそれを守ろうという気分になる。ところが、その時から実は衰退が始まるのだ
この言葉も刺さりました。
レストランBenihanaで成功しただけで止まらず、出版やレースのスポンサー、カジノなど様々な事業にチャレンジし、ほとんど失敗しています。
新規事業で当てることの難しさは起業家であれば誰もが認識していると思いますが、現状維持というものはこの世になく、守りに入った時点で衰退しているんだ、ということを強く認識しなければいけないのでしょう。
戦後の起業家の自伝を読みまくろう
スタートアップ業界の第一線にいると、どうしてもfacebookやTwitterで流れてくる今の日本やシリコンバレー、中国の事情に目がいってしまうんですよね。
でも、そこに差別化要因はないので、むしろ戦後の経済史を勉強したり、今巨大企業となっている会社の創業者の自伝を読んだ方が学びがあるなと思っています。
私だと今はこんな感じ。
やっぱスマホだらだら触るより、読書だな〜と日々思ってます。
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