彼女たちの夏

俳句甲子園についてどう思うか、聞かれたことはたぶん一回もない。

俳句甲子園について何か頼まれたこともなかった、この夏までは。


俳句甲子園はここ数年配信で見られるようになり、

「この学校の句、いいの多いなあ」

「この学校のディベート、キャラが立ってる!楽しい!」

と完全に視聴者の目線で楽しんでいた。

去年は10年ぶりくらいに生で観戦できて、

イベントとして洗練されてきたなあという印象を持った。

私は俳句甲子園に出たことは無いが、俳句甲子園を戦う楽しさと

俳句を詠み、俳句について考え、句会をする楽しさは違うと思っている。

どっちが良いとか悪いとかじゃない、

楽しさの質も、かける時間も違うし、

俳句をやっていく中で勝敗は生まれないし。

彼らが俳句甲子園を戦ったのと同じひたむきさで

俳句そのものと付き合ってくれたらいいなー、と思いつつ

エンターテインメントとして俳句甲子園を楽しんでいた。

何か俳句甲子園の役に立てたらとはぼんやり考えてはいたが、

まあ純粋な視聴者としてわあわあ騒いでればそれだけで

「面白いのかな?」って興味を持ってくれる人もいるかもしれないし、と

いち視聴者で居続けるつもりだった。


俳句甲子園の全国大会に出るという彼女たちに

初めて会ったのはほんの3ヶ月ほど前だ。

俳句を見て欲しい、ということで顧問の先生のお宅で

みんなでお菓子を食べたり『ハウルの動く城』を観ながら

俳句を作ったり直したりした。

私が色々言ってしまうと安直になってしまうのでは、と

冷や冷やしたが、一句一句を誠意をもって、

でもなるべく自由な気持ちで読もうと心がけてみた。

結ばれそうになる像を全力で断ち切る勇気のようなものが

彼女たちの句からはみなぎっていて、

かっこいいな、背中を押したいなと思った。

そんな彼女たち、東京家政学院高校俳句同好会の部誌

『Phenomenon』vol.2を読んだ。

今年の俳句甲子園はtwitterで結果を知っただけだったので、

全国大会を戦った感想を彼女たち自身の言葉で読めたのも、

彼女たちの作品を本のかたちでまとめて読むことができたのも嬉しかった。


スカートの脱ぎ捨てられて秋の海  大西菜生

鹿火屋の少年唇奪われたらしい

あんまり好きじゃない火曜日と梨 

 

余分な力を抜くといい句が出来ることを

理屈抜きで感じ取っている作者。


向日葵や反戦はときどきみだら  神田くるみ

誰にでも抱かれてゐる子蝉時雨 

日焼子の耳のうしろの明るさよ


向日葵の句、何度読んでもかっこ良くて、嫉妬してしまう。

文語や切れ字との相性の良さを伺わせる句群である。

初めて会ったとき、彼女が取り合わせに悩んで

顧問の先生に「これ(句の取り合わせ)面白いですか?」と

何回も真摯なまなざしで聞いていたのがとても印象的だった。


母の日も体調悪い系女子か  高野恵

戦場になりゆく故郷はおぼろ


明るさとからっとした素質を感じさせながらも、

時折抒情がほとばしるところが面白い。


将来に冬の風吹くレジスター 八品舞子

遠足や押し広げたる地平線


古風で優等生的な印象の句も多いのだが、

言葉の使い方にスケールの大きさが感じられる。

彼女は俳句で何を詠みたいのだろうか、

どんな俳人が好きなのだろうか。気になる作者である。


この星の遠足の乳母車かな 多賀日和子


俳句甲子園の地区大会の大将戦を勝ち抜いた句。

大西さんの俳句甲子園参戦記に載っていたが、

遠足の句を読んでこんなに不思議で

はるかなものを見つめている気分になったのは初めてだった。

季語の本意をしなやかな感性で押し広げたら

別の星に飛んでいってしまうとは!!

この句が私たちに見せてくれる景色が、

何だか地球の話ではないように思えるのは私だけだろうか?

この作者が部誌に作品を載せていないのが残念でならない。


「私たちがなぜ他に見ないような句を詠むのか。きっとそれは、いま私たちがいちばん愛せる句でこそいちばんしあわせになれるからであり、そして何より俳句が好きだからだ。」(大西菜生『36分間の夏』より)


俳句はお休みします、と松山で感じた悔しさを

押し殺すように綴ったメンバーも、

来年も松山に行きたい、と感情をむき出しにして書くメンバーも、

自分が愛せる俳句を目指して戦っていたことが

『Phenomenon』を読めば分かる。

元気が出る一冊なので、ひとりでもたくさんの人に読んで欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?