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日本のカフェは中々入れない       サッカーニート編

久しぶりのパソコンのお供はカフェモカ。

前回の記事から1年と5ヶ月弱が経ってしまった…。
noteを忘れていたわけじゃない。
いや本当に、、、

ただ、日本のカフェが高いのよ…(小声

はい、嘘です。サボってました。
厳密には書く「心」の余裕がなかったんでしょう。

今は少し余裕ができたので、過去を振り返る感じで書いてきますね。

タイから帰国したのが2020の9月上旬。
日本に戻ってきてもコロナは大変で、練習を受け入れてくれるチームがなくて公園で1人で毎日ボールを蹴る日々。

本当ね、毎日しんどかった。

タイでのコロナ生活も、しんどかったけど
無所属のサッカー生活」これはこれで大変でした。

週末になっても試合はないし、サッカーは団体競技なのに1人で壁に向かってボールを蹴るだけ。
雑草がただ生えてる凸凹な公園でボールを触る日々。

俺、何してんだろう
数えきれないくらいこの言葉がずっと24歳の僕に襲ってくる。

周りは就職して早い人は結婚までしてる。
それに比べて俺は、、って思って数ヶ月過ごしてた。
泣いて夜の道を走った事も。

あ!!!「俺はこんだけ辛かった!!」って自慢したいわけじゃなくて
今は「こんな事もあったな〜」って軽い感じで書いてます。
その辺よろしくお願いします笑

話を戻して
まぁ、当たり前といえば当たり前の感情なのかも。
ほんの数ヶ月前までは整備された綺麗な天然芝のグラウンドでプレーしてた僕が、急に雑草の公園て、、、

当時の僕はその現実を受け入れきれなかったんだと思います。
プロから無所属というより、無職になったんですから笑

ただ、このままではダメだなって思ってる自分。
もっと上を目指したい自分。
やめた方が良いんじゃないかと思う自分。

色んな感情がグチャグチャに混ざり合って自分がどこに向かいたいのか。
何を目指してるのか。本当に自分でも分からなかった。
もう、何していいか分からない。

この怒りでもない悲しみでもない、名前のないこの感情をどこかにぶつける事も出来なかった。

現在の僕がアドバイスするなら「勉強しろ」「バイトしろ」なんですが。爆笑
まぁ、無理だったな。この時は本当に病んでたし。

また、そんな状態の自分を分かって接してくれる親の優しさがまた辛くて、、

無気力で過ごしてる僕に対して特に何も言わない。
学生の時からよく僕を叱ってた怖い父も僕と話す時は気を使っていた様に感じた。

親は子の事はなんでも分かるとよく聞きますが、その逆もまたあるよね。
でも、結局その後にダラダラした僕に呆れた父が怒った事をきっかけに初めての衝突(反抗)をするんですが…笑

そのおかげで父とは少し仲良くというか、腹を割って話せる様になった気もする。

でも、そんな生活も続けていると面白い出会いもあった。

家の近くの公園をホームグラウンド(笑)として使ってた僕も、たまに遠征をしていて…

週末に自転車で20分くらいの河川敷のグラウンドへ行ってた。
そこは土のグラウンドでゴール付き。

公園フットボーラーからしたら贅沢。

その日はたまたま父が練習に付き合ってくれる日で2人で蹴っていた。
ある程度、時間が経ったら隣のグラウンドに女性の人達がぞろぞろと。

あまり気にせず、帰る準備をしてトイレを済まし自転車に乗ろうとしたら
さっきまでいた父がいない。

あれ?と思いながら辺り見回してたら、1人の男性と話してる。。

もしかしたら、、、とは思いながら父の元に
「練習させてくれるって」と一言。

この時「ですよね〜!!!!!」って心の中で叫んだ覚えがある。

さっきの女性の方達は「女性のサッカーチーム」
で父と話してた男性はそこのチームの監督。

なんだろう、この父のコミュニケーション能力は。
凄いよなぁと感心(笑)
あ、今は感謝しています。ちゃんと…。

そんなこんなで女性の社会人チームは僕を心よく受け入れてくれ
僕の新たな練習する場が増えた。

脱・無所属?ではないな、、、

そこでの出来事などはまた別の記事にしますね。(多分)

このチームでの活動のお話をすっ飛ばすと、
12月のチーム探し編が来るんだけど無茶苦茶長くなりそうだから次にしようかな。。

あ、書く集中力がなくなったとかじゃないからね。本当にまじで、、、
飲み物も無くなったのにカフェに居座るの悪いし…

次回がチーム探し編って言ったけど、、、
今回のこの記事に名前付けるとしたらなんだろう、、

孤独編? 無職編? 無所属編?

あ、、、これだ。



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