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「待ち遠しいもの」がある生活。「待ち遠しいもの」から見えてくること

 小学生の頃は、木曜日と金曜日が待ち遠しかった。木曜日にはポケモン、金曜日にはドラえもんがあったからだ。日曜日には家族と食卓を囲みながらちびまる子ちゃんをみて、おばあちゃんが入れてくれたお茶と剥いてくれたりんごを食べながらサザエさんをみる。私の曜日感覚はテレビと共にあった。

 テレビ番組、ゲームや漫画の新作、好きな人からの返信……待ち遠しかったものは例をあげればキリがない。しかし、つい最近まで「待ち遠しいもの」があまりない生活を送っていた気がする。Netflixには見尽くすことのできない量の映画やドラマが、Youtubeにはさらにあらゆる動画があり、Radikoではタイムフリーでいつでも聞けるラジオ番組が無数にある。「予約」をして保存しなくても後からいくらでも見たり聞いたりできるようになったのだ。

 「待ち遠しい」という感覚はどこか不思議だ。「待ち遠しいもの」に該当する条件を私なりにあげるとすると
第一に「好きなもの(生活に必要なもの)」
第二に「現在、不足しているもの(物質的、精神的に)」
第三に「今はまだ到達できないもの(時間的、空間的に)」 となる。

 例えば、夏の体育の後に飲む「水道水」はどんな飲み物よりも美味しく感じた。それは、生命の維持に必要で、喉の渇きという形で不足しており、休憩の時間まで辿り着けないもの。

 ラジオ「高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと」のことが好きで、過去全番組を見尽くしてしまった。どんなに続きが見たくても日曜夜の放送まで待つしかない(待ち遠しくて過去番組を聞き返しまくるほどのヘビーリスナーです)。

 小説家「村田沙耶香」の作品が好きで、これまた全作品を読み尽くした。不足感から「新作でないかなー」と思いながら過去の作品を読み返す。まだ発表されていない作品に期待を寄せて、新作が出たら何が何でも入手したくなる。

 特に小説は新作が次いつ出版されるかは作者の裁量次第であるから、予告された段階で私は一度有頂天になる。最新作に至っては、単行本でも文庫本でもなく文芸雑誌への掲載である。CDに例えるなら、アルバムになっていない段階、最新PVに飛びついているようなものだ。きっと、アイドルや歌手が好きな人と似た感覚だろう。

 ある意味、生まれて初めてデートをする時の感覚と似ている。デート中がピークかもしれないけれど、実はそれまでのワクワクする時間もまた心地よいものだと思う。

 同時に、ある人の「好きなもの」はその人が抱く「待ち遠しいもの」から見えてくるのではないだろうか。

 私の生活を彩る「待ち遠しいもの」はたくさん抱えておきたい。

あなたにとっての「待ち遠しいもの」はなんですか

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