百の小町 百の髑髏

  くれごとに秋風吹けばあさなあさな

 上の句が吹く風に乗って届いてくる。
 薄をかきわけかきわけ歩みを進める。
 おそらくこのあたりであろうと、薄の一叢を掻き分けるとしゃれこうべがひとつ、眼窩から薄を生やしてあった。
 舌はとうの昔に朽ちて失くなっているが、吹く風に髑髏の空洞が鳴るのか「くれごとに・・・」と繰り返す。

  をのれとはいはじ薄の一むら

 下の句を詠じれば、髑髏の表に血が生じ、神経が生じ、筋が生じ、肉が生じ、髪が生じ、たちまち一人の女の、丸くうずくまった姿と成った。
 用意してあった上衣をかけてやると、女はそれをかき合わせてすっくと立ち上がった。
虚ろな眼で周囲を見渡し、女は嘆息する。
「また死んでいたのか、私は」
「ええ、今度は見つけるのに時間がかかってしまいまして。ずいぶんお待たせしました」
と云うが、申し訳なさなどなくにやにやと笑う。
「業平よ」
 はあ、と女は呆れた息を吐く。
 美しい女である。
 これこそ古より聞こえし色好み、小野小町その人である。
 輝く容貌。羽織った衣を透けて見えるほどに光を放つかのような肢体。
「相変わらず貴女は実に美しい」
「それはそうでしょうよ。私はそう在るように定められているのだから」
 何度同じ問答をするのかしらんと小町は思う。
 何度この女の骨を捜しては、歌の力によって蘇らせなければならないのだろうかと、黒々とした髪が小町の額にはらりとかかる様を眺めつつ思う。
「今度はどうして死んだんです?」
 問えば小町は眉根を寄せて、
「覚えているわけないさね。いつから死んでいたのかも憶えていないのだから。死ぬ前のことなんて、そんな昔のこと、憶えているわけないじゃない」
「それもそうですねえ」
 身の回りの品も一通り用意してきたんですよ、と行李を開いて、草履やら着物やら杖やらを小町に渡してやる。
「サテ、これからどうするんです?」
「そんなこと決まっているでしょう。どこまでも旅をするのよ。行けるところまで、行きたいところまで、どこまでも歩くのよ」
 歩くだけじゃなくて、乗物を使うこともあるだろうけどね、と小町。
「乗物?」
「そうよ。空を飛ぶ乗物もあるのよ。飛行機と云って・・・・・・」
「なんと、空を?」
「長く生きているとね、珍しい乗物に乗ることもあるのよ。
 そうしてね、ずうっと遠くまで行くの。そして道々さまざまなものを見たり、聞いたり、嗅いだり触れたりするわ。
 人にも大勢、会うのよ。言葉だって違う人もいる。さまざまな人と、話が通じないこともあるけれど、なんとかやっていくのよ」
 話すうち、小町はすっかり旅装を調えてしまった。
「業平、あなたはどうするの?」
「僕ですか、そうですね、僕は変わりませんよ。いろいろな土地、時に生きる女性を探して、情けをかけたり、かけられたり・・・・・・僕も貴女と同じく、永遠の旅人たる宿命を課せられておりますので。しかも貴女と違って老いもせず、死にもしない。困ったもんです」
「色事なんて、よく飽きないねえ。私なんてとっくに飽きちゃった」
「それはもったいない」
 くつくつと笑うと、業平の姿はかき消すように失せてしまった。
 幾度となく繰り返してきた別れを少しも気にせず、小野小町はこの生の最初の一歩を踏み出す。
 会うは別れのはじめ、生まれるは死すべきはじめ、ただ世は水の泡のよう・・・・・・
 次の生はもう無いかもしれない。それもよいだろう。
 生死流浪の迷いの道の先へと歩いていく。
 跡には薄が風に吹かれてさわさわと揺れる。そしてそれらもやがて時の彼方へと遠ざかり、静寂が無辺に広がるばかりとなった。

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