小説とかいう優しくなれる薬

先日彼女の実家に行った際に、彼女の部屋の本棚に圧巻された。新書や勉強用の本が多かったが、彼女と仲良くなったきっかけになった小説や、今まで彼女と過ごしてきた中で、話に聞いてきた今の彼女を作り上げたであろう小説がいくつか鎮座していて、なんだか小説の意味みたいなものを考えてしまったのでつらつら書くことにする。


本を大項目に分類すると、辞典、新書、漫画、雑誌、小説、等々に分けられると思うけれども、僕はこの本のカテゴリーの中でも得に小説が好きだ。読んだ冊数が死ぬほど多いわけでもなく、古典的作品に対して特段造詣が深いわけでもない。でも、好きという感情は他人と比べて成り立つものでもないため、ここでは自信を持って小説好きを自負したい。


子供の頃から僕は月並みに本を読む子供だった。おそらく本を読んでいた母親の影響だと思う。ハリーポッター、ダレンシャン、デルトラクエスト、多くの子供がそうだったように、小学生の低学年の頃は、いわゆる子供向けの冒険物語を親から買い与えられて読んでいた。


そんな僕が初めて自分の意思で本を買ったのは小学5年生の秋だった。ちちんぷいぷいという関西ローカルの番組で、伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』という小説が紹介されていた。炬燵の中でタイトルから内容を考えてみたが、どんなに想像を尽くしても、イメージすら浮かばない本のタイトルに完全に心をやられ、母からもらった千円札を握りしめ近くの本屋に自転車を走らせた。


あの時の興奮は今もぼんやりと頭の奥に残っている。自分の意思で、自分の欲求で、読みたいものを買うという行動は当時の僕にとって至極刺激的な行動だったし、自分がなんだか少し大人になったような、今思えば気恥ずかしい感情も心に浮かべていた。


それをきっかけに色々な作家さんの本を読んだ。村上春樹、江國香織、吉本ばなな、米澤穂信、恩田陸、重松清、森見登美彦。授業中や寝る時間を削って読んだし、テスト期間中に徹夜して小説を読み始めてしまい、とても追い込まれたりしたことだってあった。


高校生になって、家出をした関係で夜テレビを見ることができなくなってからは、古典的な小説なんかも読み始めたりした。モームの『月と六ペンス』やフィッツジェラルドの『グレートギャッツビー』は未だに引っ越す度に新居に持ち出すようにしているし、人生観に大きく影響を与えられたヘッセの『車輪の下』もこの頃読んだと記憶している(エリートに対しての懐疑は実はここから)。安部公房やミラン・クンデラ、シェークスピアも当時は良くわからないまま読み進めていたりした。そこから読書に対する姿勢みたいなものは社会人の今でも変わっていない、相変わらず小説が好きだ。


たまに、小説を読むことに意味はない、時間の無駄だ。という論調を耳にすることがある。特に新書を好んで読む人からこれらの指摘を食らうことがあるのだけど、僕は小説を読む意味はあると思っている。子供を授かるようなことがあれば、もちろん子供にもたくさん買い与えたい。


小説を読むことの意味を一義化はできないけれども、個人的に意味合いとして大きいなと感じるのは、「他人の視点に没入感を伴いながら立つことができる」ことだ。


よく娯楽として小説と並べられる映画や漫画、アニメは、網膜に射出される像に関して、見る側が感じとる視覚的感覚が共通化される。それに比べ像を持たず、字のみでストーリーを展開していく小説は、読み手の価値観や過去なども絡ませながら脳内で像を生成するため、感じ方がより強く個々人で分かれる。そうやって作られていく像は、個々人の過去や思想が反映されるため、恐ろしいほどの没入感を伴う。そんな没入感の中で、主人公の視点、もしくは語り手の視点に立ち、作りこまれた世界を覗くことは、VRやARの技術が発達した今でさえ、小説以外の方法では難しいのではないかと思う。小説を読むという行為は、自分と異なる他者を理解するための小窓の役割を担っていると僕は考える。


ここまで、小難しい感じで話を展開してきたが、僕が言いたいのは「小説を読めば、他人の立場や考えをくみ取ることができる優しい人間になれる素養が身に付く」ということだ。この素養こそ、現代に生きる私たちに最も必要とされている能力だと感じる。なぜなら、2004年SNS元年以降のこの時代では全く異なるレイヤーの人物をリアルタイムで近くに感じることができてしまうからだ。貧乏人も金持ちも、ブラジル人も日本人も、老齢者も子供も、インターネットにより一つの基盤の上で価値観を投げつけあえる現代は歴史を省みても特殊な時代であることは間違いない。


多種多様な人の価値観を身近に感じながら生きることができる今の世界で、自分の幸せを守り、相手の幸せを阻害しない生き方が、ひどく理想的な生き方なのではと個人的に考える。子供にももちろんそういった感性を身に着けてほしいし、子供に対して僕自身もそう接していきたいと思う。


何歳になっても小説を読み続けよう。紡がれた物語に体を任して、どこまでも遠くへ行けるように。そして、人に優しく、幸せな心を維持できるように。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

14

価値観とかいうエゴ

価値観はエゴだ。エゴは別に悪いことじゃない。ただ見る人が見ると鬱陶しく思われるだけ。ここにはそんな価値観を垂れ流します。
2つのマガジンに含まれています

コメント3件

先程、たまたまキラキラさんのブログを見つけ、とても面白かったので、noteを始めました。つまらない日々に、ありがとうございます。
小説でしか癒されない傷ってありますよね。小説でしか養えない宝物みたいな感性とか人間性とか。わかるわー。大人になると、自分がなんで悲しいのか、誰からも教えてもらえなくなっちゃう。
いつも読ませていただいています。
小説に対する考え方に共感しました...!人に憑依して感情をくみ取ったりする鍛錬になると思っています。新しい言葉をたくさん知って自分の考えていることを言葉にする力もつく気がしますし、何より読んでいて楽しい。

余談なのですが、「好きという感情は他人と比べて成り立つものでもない」という言葉に勇気をいただきました。ありがとうございます...!
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。