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原点回帰。趣味、じぶん。

1 ほぼ一年ぶりのnote

2022年2月以降、noteを書いていない。
去年の今頃、ちょうど転機を迎えてからだ。

環境的な変化としては、新しい職場と仲間を得た。
職種は変わらずながら、なにもかもが変わった一年。
待遇も、専門職としての扱いも、裁量権も、健康状態も、
さいわいなことに劇的に向上。

ここ数年ぶすぶすとアイデンティティが燻っていただけに、
新鮮な風が送り込まれて、ええ具合に炎が立ち上った感。
真っ赤に燃えさかる“じぶん”が面白くて面白くて、
正直、書いてる場合じゃなかった。
(他人様に見せないものはいろいろ書きましたけど)

「いま、ここ」を体験しているとき、言葉はあまり役にたたない。
言葉を編集するのが追いつかないほどの怒涛の体験に次ぐ体験。
「次は?そうくる?えー!この次はどうなる?どうする?」
例えるなら自分が大写しのスクリーン。観客、アタシひとり。
スクリーンにへばりついて、泣くわ笑うわ歌うわ踊るわ。
煽るわ怒り狂うわ浮くわ沈むわ。転げまわって大騒ぎ。
もはや、じぶんスペクタクル。

すごい、たのしい。
やばい、たのしい。
ながいこと、わすれてた。

2 名無しのカウンセラー

一昨年の秋、公認心理師資格取得をきっかけに始めたことがある。
私の原点であるカウンセリングを、もういちど真面目に受けること。

高名なカウンセラーじゃなく、自称〇〇カウンセラーじゃなく、
スピリチュアルなお告げ先生じゃなく、コンサル先生でもない。
オンラインサロンもやらない、SNSにも疎く、アナログで、
名前を売ることには無頓着。そんな人を求む。

私がじぶんであり続けるプロセスに敬意をもってくれる人。
あるべき時にあるべき形でその場に在る人。
風のような、雲のような、土のような、水のような、
それでいて胸に炎を絶やさない。そういう人。

で、人から「なんてカウンセラーなの?」と聞かれても、
「なんだっけ。名前知らん」くらいの感じが理想的。

だって、カウンセラーは黒子でクライエントが主役なんだから。
著名な〇〇先生の舞台に、登場人物として出てくるような
じぶんなんか、ほんといらん。
口コミの○○様あつかいのじぶんなんか、ほんといらん。

そういうわけで、流れで出会った名無しのカウンセラー
(名前あるし覚えてるけど)の元にせっせと通って足かけ一年。
やっぱり“じぶん”って、真面目に楽しむだけのことはある。

どんな本より、どんな映画より、どんな動画より、
じぶんが面白い。じぶんには勝たん。

3 大きなものがたりと、小さなものがたり。

なにが面白いって、具体的にひとつ挙げるとするなら、
(説明するとほんとうに面白みに欠けるんだが)
大きなものがたり(ドミナントストーリー)から、
小さなものがたり(オルタナティブストーリー)を
注意深くより分けていく発掘の過程がえぐい。
別に名無しのカウンセラーはナラティブ派じゃないんだけど。

毎度アタシがマシンガンのように話しまくり、突如押し黙り、
自家製じぶんノートにがしがし書きまくってひらめいたことを、
語りまくって勝手に昇天して白目剥いて泡吹いて(噓でしょ)、
また正気を取り戻して何事もなかったようにモソモソ動き出す。
モソモソのわりに、新しいじぶんの萌芽にぺカッと誇らしげ。

そんな限りなくマイペースな破壊と再生を繰り返すプロセスに、
相手は名無しの体で「在り続けて」いるだけなんだが。

ここ数年、援助職アイデンティティがぐらついていたのは、
じぶんを徹底して楽しむことを、すっかり忘れていたからか。
ようやくしっくりきて、満足の年初め。

今回は、心の面からの破壊と再生の試みについてのお話でした。
次回は、身体の面からのアプローチについて話そうかな。
んー。話せるかな。



「どんなことでも、なんとかなる」「なにごとにも意味があり、学ぶことができる」という考え方をベースに、人の心に橋をかける言葉を紡いでいきます。サポートいただいた場合は、援助職をサポートする活動に使わせていただきます。