タイトルなし

久しぶりに長い文章を書きたくなった。読ませるためのではなく、自分を整理するための文章を、だ。

一昨年、怠惰という名の体調不良で単位を落とし留年が確定した。コロナ禍で人と話す機会も殆ど無いし、何をやるにも億劫でどうしようもなかった。自身の進退を決めることが出来ずに実家で数ヶ月ヒキニートをしていた。やる気はないが、今いる大学を辞めることも惜しく感じて取り敢えず大学を卒業しようと結論づけた。
僕は両親の負担になるのを極端に嫌っている。浪人をしてしまっているのだが、その際も予備校に通うか否かについて両親と言い合いになり、お金を出してもらい通うことになった。1年間の予備校の費用は僕の中で親への借金だと感じている。また、大学に関する部分も負担を強いたくないため両親には家賃と通信光熱費だけを頼っている。学費は奨学金で賄っていた。
留年が確定した時点で奨学金は停止され、つまり留年中の学費のアテがなくなった。別に親に頼っても良いのだが、自身の怠惰が要因なのもあって頼りにしたくなかった。単位数は半年間で得ることができることが分かっていたため、半年間休学し学費を自分で稼ごうと考えた。
実際に半年間休学し、その間派遣会社のアルバイトで様々な仕事を経験し、色々な人間の話を聞いた。派遣会社の労働で出会う大人はたいてい人生という舞台から落第してしまった人だと感じていた。離婚し子供とも離れて一人暮らす初老の男性、アルバイトで食いつないでいる実家ぐらしの30代、生活費を補填するため働く主婦、景気の悪化に当てられて正規の仕事を失った人など。本人たちはそれでも楽しく生きているようだったが、僕にはそれが幸せには見えなかった。そして自分の境遇もまた不幸の入り口にあるのだと恐れた。
大学に復学した。コロナは依然として猛威を振るっており、講義は殆どがオンラインで行われた。一昨年単位を落とした理由もここにある。オンライン形式の講義には場所による拘束がない。進研ゼミを溜めてしまう小学生のように、最終的に手を付けられなくなり単位を落とす。それでも半年間の休学で得た自分の金を無駄にはするまいとなんとか単位を取り、進級できることになった。
今年3月、研究と就活がメインイベントになる。どちらも上手くいかなかった。就活で上手くいかなかったことによって研究にも手がつかなくなり、ゼミに出席できなくなった。気分が塞ぎ込んでいた。昼夜が逆転し、食欲が失せ、風呂に入ることさえ億劫になっていた。一昨年の症状と同じだ。このままではまた台無しになる。カウンセリングを受け、精神科にも行った。徐々に改善し始めたがまた悪化しカウンセリングも精神科も連絡を絶ってしまった。
同時期にギャンブルに手を染めた。毎日地方競馬に金を費やし負け続けた。自分の将来を見ずに目先のマネーゲームのことを考えるのは精神的に楽だった。研究も就活も努力が必要だ。努力しなくて良い日々にドップリ浸かっていった。
貯金が無くなった。当然だ。よく見ると学費分にまで手を付けていた。親を頼った。頼りたくないとか言ってられなかった。競馬をやめた。研究や就活をやる気にはならなかった。そもそも学ぶことへの興味も失せていた。休学以前からじわじわと感じていたその感覚が確信に変わった。何をして生きていけば良いのかわからなくなった。また、なぜ生きているのかもわからなかった。生存も死も妥協で、現状維持の生存の方が楽で生きている。
自分のことを要らない人間だなと感じる。大学を卒業した同期が仕事に、恋愛に、趣味に、正しく生きていく姿を見て、嫉妬心のような羨望のような諦めのような感情でグチャグチャになる。退屈でつまらない正しくない人生がまだ続くと思うと気が狂いそうだ。毎日味のしない飯を食べて、面白くない映像見て笑って、知らない女で抜いて、でもやっぱりつまらなくて寝て終わる。無気力なんだ。助けてくれ。
それでもまだ死ぬ勇気がない自分に呆れる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?