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Reflection [反射・反映・熟考・内省] | motoi

8月末、淡路島洲本で開催される展示会に向けて、せっせと制作中。

展示会のコンセプトは、‘日常の事実’。
主催してくださるHIRAMATSUGUMIさんが掲げてくださった。

「日常生活のむさくるしい諸事実の中にある美。 それは本質的に不完全なものの崇拝であり、人間と 自然に関するわれわれの全見解を表現している。」 

岡倉天心「茶の本」の冒頭の言葉と共に、HIRAMATSUGUMIが大切にしていることや活動をお話ししてくださった。
理念に沿った在り方に感銘を受けたのを覚えている。

溢れるほどの日常の事実から、作品に起こすのにしっくりくるものを選ぶことにした。
今回はジュエリーではなく、平面作品になる。

6月に入ると、近所の田んぼで田植えが行われていた。
土を掘り起こし、土手を固め、苗を植える、多くの作業の中でも、水を張ったばかりの田んぼを見るのは特に好きだった。
波の無い静かな広い水面は、見ているだけで心地良い。
そこに足を入れれば、柔らかな土が足の裏や足の指を包み、膝下まで水に浸かるのだろう。
その田んぼの浅さも心地良さのひとつかもしれない。

水面が空を映し込んだ時の景色といったら!
毎度言葉を失う。
こんな美しく素晴らしい景色を、毎日、ライヴで、しかもフリーで!、見られるなんて。
空と水田の隙間を滑るように自転車をこいでいると、頭から、足元から、身体が空の色で染められてゆく。

この景色を元に、デカルコマニーという紙と紙の間などに絵具を挟み、再び開いて偶発的な模様を得る技法や、版画の技法を用いて作ることにした。
空と水田の景色は勿論、身体が空の色で染まってゆくあの感覚を形にしたく、模索中。
そして苦戦…

透過する素材をベースにしたい、絵具の滲みや複写を多く用いたい等、実験を重ねるごとに、‘染まってゆく感覚’のイメージと親和性の高い作り方を手繰り寄せることが出来る。
具象からどんどん離れてゆくのが正解のように感じる一方で、陽に照らされ風に揺れる草花の存在は、私の中ではっきりとした輪郭を持っている。
それまでもが抽象になってしまうと、表したい感覚の瑞々しさや差し迫る心の動きが失われてしまう。
複数のレイヤーを通して物事を捉えるので、一枚ずつレイヤーを確認すれば、多少の矛盾はあるかもしれない。

デカルコマニーの偶発性を利用した作り方にはしっくりきている。
合わせ鏡のようであることは勿論、同じ空や景色が二度ないことを考えると、人の手によって緻密に作り上げるよりも、現象を作品の中心に置きたかった。
絵具の色味も最低限のものにし、色作りはしなかった。
ここに太陽があって、ここに緑があった、といったように、実際に見た景色を参考に、チューブから大胆に絵具を紙に置き、挟み込む。
開いた絵の上に新しい紙を置いて何度も写し込んでゆくと、新たな擦れや滲みを作ってくれる。
絵具の滲みは光に透かすと特に美しい。

搬入まであと3日。やっと制作の方向性が見えてきた。遅い…!
どこまで手を入れて、どこで手を抜くか(自我を控える、現象に委ねる、というのか)、がポイントだったのだと気付いた。
手の抜き方こそが作品の細部を作る。これは発見だった。

多くの作り手が、自分自身と、そして素材や物理という現実と戦っている。(あと社会?)
空を水田が映し込むように、空と水田の関係は、作り手と作品の関係に似ている。


motoi
ジュエリー作家

ジュエリーブランド「moi.toi.」では、コンセプチュアルでユニークなジュエリーを展開。 作ること、食べること、考えること、考えないこと、豆のさや剥き、庭の草抜きが趣味。 橋を叩かずに渡り、壊れても気付かないタイプ。 もう一歩、社会と深く交わりたく、新しい展開を模索中。

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