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宙ぶらり | ちろ

晩夏って、無性に味噌煮込みうどんが食べたくなりませんか?食べたら食べたでおそらくめちゃめちゃ汗かいて暑くなって後悔するんだろうな。

自分が「移民」という部類に該当するということを自覚したのは、つい最近のことだ。
浅学であることを重々承知したうえでいうと、「移民」というのは何らかの事情を抱え「仕方なく」生まれた故郷を離れ、異国に移り住む人のことを指すとばかり思っていた。けれど自分もとっくに身心ともにふるさとを離れてしまっていて、気がつけばこの国で、ある意味「仕方なく」17年も過ごしているとも捉えられる。

韓国人の両親のもとでソウルで生まれ育ち、小学6年生の夏に家族で日本に住まいを移した。きっかけは父の転勤にある。年齢もあってか(だいぶ大きいこどもではあったけど)、引っ越しを告げられたときそこまで動揺していなかった気がする。ほんの数ヶ月だけ日本語を勉強して、いくら学んでもひらがなの「ぬ」と「め」の違いが覚えられず、イヌとネコしか単語を知らないまま宮崎県に引っ越した。とにかく景色もさることながら、食べ物、建物、人柄、すべてが真新しかった。広々と田園が広がっていて、良い風が吹いている街だなと思った。毎日学校終わりに塾に通い、ときにはサボって母に怒られ、土日も近所の施設に行って課外授業を受けて、でもたいして得ることは多くなかった自分にとって、日本の国柄はとにかく衝撃的なものだった。「ここまでのんびりしてても生きていけるのか…」と理不尽な怒りさえも覚えていたように思う。

はじめて登校した日のこともよく覚えている。日韓関係が決して良いとは言えなかった時代だったので(今もややその傾向にあるが)、「朝鮮人」と呼ばれないかとか、いざいじめに遭ったときは韓国語で言い返してやろうとか、性根の悪いことばかり考えていたのだけど、教室に入って数分でその靄は少し晴れた。お手洗いの場所はここだよとか、帰りの会というのが毎日あって、とか、給食のときは当番制で、とか、みんな何を言っているのかまるっきり分からなかったけど一生懸命教えようとしてくれていることがありがたく、なのに自分はお礼も気持ちもまともに伝えられないものだから、もっと日本語勉強すべきだった…と申し訳なくなった。担任の先生も親身になってあれこれ面倒をみてくださって、今でもその先生のことを思い出すと少し胸がつまる。「あしあと」という学級日誌があって、いつもコメントと共に添えてくれていた「^▽^」のマークが嬉しかったのを忘れられない。ちなみに給食は黒糖パンとQBBの動物型抜きチーズの組み合わせがいちばん好きでした。韓国の給食はうすい平たい鉄板にのっていたので「ごはんが器に盛られて出てきてる…!」と衝撃だった。余談すぎる。

中学のときはうまくコミュニケーションがとれず友人もできないまま卒業し、必死になって周りの話すことを真似し、ニュアンス諸々を覚え、高校生になってようやっと冗談を言い合ったり日常会話に困らない程度にまでなった。今思うと心折れずにようやってたな…と思う。

数年前に通名を取得し、その名前で仕事をして暮らしているけど、思い返せばそこまでしなくてよかったなとじんわり後悔する。決断したのは自分自身なんですが。当時はともかく「韓国人だと思われたくない」一心で、溶け込めるはずのないはざまに無理矢理入り込んでいこうとしていた。
学校で「なんか韓国語でしゃべってみて」と興味本位で頼まれることへの小さな苛立ち、キムチやビビンバなどを見た友人がわざわざ報告してくることに対するやるせなさ、周りと違って画数の多い自分の名前の漢字。カタカナに書きおこすとまぬけな字面。思い返すとばかばかしいことでいちいち傷ついて、いちいち引きずっていた気がする。苗字のことを突っ込まれると、出身地のことを明かすのが嫌で「”韓国岳”っていうところが宮崎と鹿児島の間にあって〜」と適当に濁したりもしていた(本当にたまたま韓国岳という場所があるんです)。

たまに韓国に帰ると、懐かしさによるものも無論あるが観光にきたようなわくわく感で胸がいっぱいになる。生まれ育っているのに、まるではじめて来た知らない街みたいにはしゃいでしまう。
人々の丁度いい無関心さ(必要以上に気を遣わなくていい)、ぶっきらぼうに思えて実は情に厚いところ、そしてやっぱりどこかデリカシーのないところ。小綺麗、とは少しかけ離れているけれどたしかに美味しい市場や近所のお店のごはんたち。帰るたびに新鮮に思い出し、からだの深いところから溜息がでる。当たり前だけどちょっとしたときに無意識に出てくることばが韓国語だと自然で、言動もたどたどしくならない。頭で考えるときも韓国語、数字を数えるときは言語が半分ずつ混ざる。日本語を話すときはいつもちょっとだけ肩に力が入ってしまう。所詮自分は向こうの人だ、と思う。

美談にするつもりはないしそこまで故郷が恋しいなら帰ればと思われそうだけど。はっとしたときにはもう良い歳で、二つの国の間で中途半端に身をひたしているもんだから、今から向こうに馴染める自信も実力もなく、競争社会に揉まれる気もさらさらないし、いつの間にか長くここにいるのだから、離れる理由もない限りはたのしいことを見つけだしながら暮らしていこうとは思っている。

ここで綴ったこと以外にも掘れば掘るほど尽きぬくらい話は湧いてきますが、このへんで。
余談ですが再来週、同居人が行ったことがないと言うのではじめて韓国に連れて行きます。ちょっとでもおもしろがってもらえたら嬉しい。


ちろ
本を読んだり台所に立ったりする人

恵文社一乗寺店書籍部門の人。家での晩ごはんを楽しみに日々生きています。

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