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時が流れていることを、初めて知った

身近な人が年老いていくこと、死に向かっていくことをどう受け入れたらいいのか、まだ分からない。

母から電話があり、祖母が痴呆気味だと連絡を受けた。
実家は電車で一時間程の距離なのに、忙しさにかまけて年に数回しか帰っていない。母や姉とは一緒に食事をしたり旅行をしたりするため、頻繁に会っている感覚だが、祖母には帰らないと会えない。

祖母は私が生まれた時からおばあちゃんだった。今80何歳なのかも分からないけれど、私は生まれてから27年も経っているのに祖母は変わらない気がしていた。
母方の祖母で、ずっと同居しているため、一番身近な家族の一人だった。
そして、私のことを最も愛してくれている人の一人でもある。

昔から人見知りで愛嬌がなく、真逆の姉と比べられ「身内に可愛がられる子ども」だった。私の可愛さは身内にしか分からないという。
当時は微妙な気持ちだったが、今となっては自分にとって大切な人たちに愛されて可愛がられていたことを幸せに思う。
そんな風に親戚中に可愛がられて育った私は、これまで何人もの祖母の兄弟やその家族を見送ってきた。血縁関係でいうとそれほど近くない存在の人たちの見送りでも、本当に悲しかった。
その度に、祖母にもこういうときが来るんだよな、と漠然と感じていた。考えるだけで鼻の奥が痛くなり、すぐに考えるのをやめた。

いつか来るその日のことを、どれくらい前から覚悟していたら良いのだろう。
両親や父方の祖父母も健在で、母方の祖父は私が生まれる前に他界していた。私はまだ、本当に身近な人の死に立ち会ったことがない。
大好きだった母の従姉妹も、お世話になったバレエの先生も、ずっと一緒だった訳ではない。寂しく、涙も溢れたが受け入れるのにそれほど時間はかからなかった。

両親や祖母と、同じ道を一緒に歩いているように感じていた。でも本当は、両親は私より前を、祖母はもっともっと前を歩いていたのに、気付いていなかった。
私も姉もまだ結婚していないため、我が家は末っ子の私が生まれた27年前から家族構成が全く変わっていない。年に一度だけ全員が集合する年末年始では、デジャヴのように毎年同じことを繰り返していた。それが当たり前だと思っていた。

時が流れていることを、今初めて知ったのかもしれない。
身近な人が変わっていくこと。年老いていくこと。
いつか、私のことも分からなくなってしまうのかな。いつか、そんな日が来てしまうのかな。
その日が来ても、私はちゃんと立っていられるのかな。

母との電話で、もっと一緒にいれば良かったと私が言ったら、
「今までもっとああしてれば、と過去を後悔してはだめだからね。私たちは、ちゃんと自分たちの選択をして、こうやって過ごしてきたんだから。」と言われた。
ずっと涙が止まらない私に、母は優しかった。もういい歳なのに、まだ私は母の子どもなのだと思った。

変わらないで欲しい。誰も、私の前からいなくならないで欲しい。
私が生まれたその瞬間に、今の家族の形が出来上がったのだから終わりもみんなで迎えたいよ。
そんな風に思っては、きっといけないのだろうな。

#エッセイ #コラム

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