【手奇塾】満州事変を一番喜んだのは満州人300万人(前編)

みなさんは、満州という国がかつてあったことを学校で習いましたか。
 蒋介石は、一度も満洲に足を踏み入れたことはなく、言葉も通じなかったのです。満洲を支配する張学良の軍隊が消滅して、その支配権は、300万人の満洲人に戻り、清朝の最後の皇帝溥儀を元首に、故郷で独立宣言したにすぎません。清朝から独立した孫文ら漢民族はよくて、満洲人は独立してはいけないのでしょうか?
 満州とは、清帝国を建国した満州人(女真ジュシェン族、後に満洲マンジュ族と改める)の故郷の地です。満洲は、満州人の神聖な土地で、清の時代は、厳しい移民法令を定めて、漢民族の満州への立ち入りを禁止しました。立ち入ると死刑でした。さらに満州人と漢人の婚姻を禁止し、最後の皇帝が退位する数年前までこの禁制は続いていました。ともと中国の土地で起こった事件ではないのですが、満州国を滅ぼし、自国領にしたものですから満州事変を反日記念日にしているのです。もちろん12月13日の「南京大虐殺」なんてありえない歴史の改竄です。韓国同様中国共産党も反日が国是です。

1931年関東軍は、満州の現状を一気に改善しようと張学良の軍隊を追い払います。張学良の軍は15万とも20万ともいわれていましたが各地に分散していましたので、動きの速い関東軍と朝鮮から越境した日本軍、わずか1万4千に各個撃破されてしまいます。これをよろこんだのは満州人でした。満州国が建国されます。満洲国は、満洲語を話す民族300万人が、長親子の軍閥支配から独立して建国した国です。もちろん日本が後押しをしました。自由社230ページの側注にあるように、「1939年の時点で満洲国は、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど約20か国から承認されていた。」のです。

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