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284. 昨日書き忘れたので2000文字書きます✏️

2000文字ツラツラと

昨日はごちゃごちゃしてて
書かないという選択をしてしまった。

いつも1000文字かいているので
代わりという意味で2000文字書きます。

今年が明けてもう10日経ちました。

自分は今迷走しています。

本当にやりたいことがあるはず。

だけど、自信がなくて親に
明言することもできない。

「あんたどう考えてるん?」

オカンが最近僕によく言う言葉です。

その度にはっきりと〇〇だ。と答えれず。

自分は気持ちを許している親にでさえ
自信を持って夢や目標を語ることができない。

それは逃げであり、それが楽だから
腰抜けな態度をとってしまう。

本当に夢があるなら
恥ずかしいとか感じないはずなんです。

だから僕はここで宣言することから始めます。

弁護士になって英語も喋って
本も出すような人になる

今の夢はこれです。

僕はまず京都大学の法科大学院に入ります。

そのために11月にある試験に
通らないといけません。

(昨年度は11月だったので
今年度も11月だと思います。)

2年で卒業して
司法試験に合格します。

そして並行して今も継続中の
使える英語を身につけて
海外で働きたいです。

日本で働くことになっても
お金を貯めて海外で何年か過ごすことを
経験します。

本を出せる功績を残します。

仕事でも生活術でも
思考方法でも
何の分野でも良いんです。

自分は本を書いてそれを世の中に
送り出したいです。

今書いている日記も
本を書くことになる将来のためでも
あります。

成功者になりたいわけではありません。

だけど、ゲスい野望を持つことが
恥だとは思いません。

お金を稼いで社長になって
良い家に住む。

こんなことを言うと欲望の塊だと
周りは言うかもしれません。

でも、そういうゲスい素直な野望は
夢を叶えるためには
必要です。

今言ったようなことが本に書かれていました。

それは自分にとってショッキングなことでした。

ゲスい野望を持つのはダメという
考えが自分に染み付いていたからです。

本当はお金持ちになりたくても
それをおおっぴらに言うのは
ダメだと考えていました。

しかし、そういう素直な夢や目標は
周りに言って良いと思います。

だって世の中の役に立ちたいとか
人のために貢献できる仕事をしたいとか
綺麗に聞こえても
ワクワクはしないからです。

みんな本当の気持ちを隠して
綺麗な野望を言うのはやめてほしい。

汚い野望が世のためになる

僕は汚くてゲスい夢も人の役に立つと思います。

実際お金を稼ぐことは
悪いことではないと思います。

それだけお金があれば
綺麗事を言うだけじゃなく
経済を回すことができるからです。

綺麗なことを望んでもお金がないと
出来ないこともあると思います。

飢餓や難民を救うためには
お金が必要なことは間違いありません。

もちろんお金だけでは何も
変わらないこともあります。

だけどそういう個人の夢や目標は
巡り巡って人のためになることが
ある。

だから僕は汚い夢を持つ。

有名にならなくても良いけど
同級生からうらやましがられるような
仕事につく。

お金は稼げなくても良いけど
自分のために理想的な使い方をする。

大望を持つことは良いことだ

犯罪にならなくて
人に迷惑をかけなければ
大きな野望や夢を持つことは全部素晴らしい。

たとえそれが実現できなくても
それに向かって何か行動していく
きっかけになる。

大きな夢を恥ずかしがらず持ちます。

今の自分の学力や
これまでの経験上
京都大学の大学院に行くのは
難しいことは確かだ。

それでもやってみたいから
大学院を目指します。

失敗することは考えません。
僕は受かります。
そしてその先の司法試験にも
一発で受かります。

そうでないと自分が納得しません。

英語もペラペラに喋ります。

なんだったら英語以外の言語も喋れるように
なっていると思います。

そして自分に納得いくまで
勉強をする人間になります。

いわば空腹の獣状態です。

常に満足せず
より良い方向に自分を持っていく。

そうすることで戦いがずっと続けられる
戦士のような人間になります。

20歳30歳、50歳、80歳。

どの歳であろうが関係ありません

考えることは同じです。

自分の進化、そのために刺激を求め続ける。

実は英語の教員免許を取ると決めた
時からずっと引っかかることがあります。

自分は人様に物事を教えられる程ではない。
勉強を教えるだけの先生なら
正直同じ歳の学生同士でも
賢い人がいるので学校生活は
学生だけで成立つと思います。

しかし、先生という職業には
もっと勉強以外の
人間的教育が求められると思います。

僕は人より長く生きたからといって
その人が偉くなるとか
その人の言うことは一理あるとか
思わないタイプです。

どんなに長く生きようが
どんなに若い人だろうが
その人の価値は変わりません。

だから人間的に教育する人というのは
人間性が素晴らしくないといけません。

もちろん完璧である必要は
ないですし完璧な人間などいません。

しかし、それらを踏まえて
自分は人様に物を享受できる器でないと
思っています。

これはネガティヴだからとかではなく、
自分は他人から学ぶことの方が多いと
思う場面に多々ぶつかるからです。

そう思っているので
教員というら立場になることは
出来るだけしたくありません。

自分の生徒が自分より素晴らしいとき
その職業の意味が失われる。

だから自分は教員よりも
プレイヤー的要素がある
弁護士や勉強がもっとできる
職業につきたいです。

それではこのへんで👋

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