ハトポッポー

言葉を吐くただの人の分際ですが、平和主義なんでハト様の名前お借りしてます。 コラボレー…

ハトポッポー

言葉を吐くただの人の分際ですが、平和主義なんでハト様の名前お借りしてます。 コラボレーションについて勉強しています。ポッポッポー。

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最近の記事

デジタルの海にクソをする

今日も懲りずにここにきて デジタルの海にクソをする。 毎日を生きる中で、ああいったりこういったり やいの言うたり言われたり。 それはきっと、見方を変えれば排泄ではないのか。 人間がこうやって、秩序の流れをつくってさ、その中でカオスを並べたりして。 秩序を取り入れ、無秩序をはきだす。 そんな大きい波の中で、排泄をする。 この世界のプランクトンたちは分解してくれるのだろうか。 カオスという概念では、最初の状態がほんの少し違うだけで、将来非常に大きな違いを生む。 ローレ

    • 学んでもよくわからんし、学ばなくてもよくわからん

      現代の貨幣制度、資本主義、自由市場。 その中では、何が交換されているのだろうか。 なにをもって正しいとするのかは、人それぞれだけど それが正しく機能していると、 どれほどの人たちが思っているのだろうか。 とてつもなく大きな波が来て、 なにかにしがみついてないと流されてしまうから、 だから僕たちはこの世界を何食わぬ顔で生きているのだろうか。 僕はお金を稼いでいる。君も、そのまた友達も、みんなお金を稼いでいる。 それが生きていくことだから。 今日も明日も食って寝るために。

      • 美しさの先に

        夕焼けの空だったり、 ちっちゃい子供の笑顔だったり、 アスファルトに咲く一輪の名もなきお花だったり そういうものにふと、美しさを感じる。 どうしてだろう? なんとなくイライラしてたり、悲しかったり、 そんな時にふと見るとなんでもない景色が 別の瞬間には、美しく見える。 美しさとは何なのだろうか? 美しいという言葉の中にある独特の質感。 それは、この世界の美しさすべてを表現できるのだろうか。 美しさは、人によっても違っているし、場所によっても変わってくる。

        • ソクラテスさまぁ~!

          この世界は何だろうか。 ぼくたちはなぜ生きているのだろうか。 ふとした瞬間に考えるのはいつもそんなことである。 まずは先人たちの言葉を学んでみる。 哲学者サルトルはこう言った。 「実存は本質に先立つ。」 これはつまり、ぼくたちの存在に理由なんてないってことで 人間は自らで、己の本質を探していけって。 まあそうよなって、なんとなく理解できるような気はする。 ヴィトゲンシュタインはこう言った。 「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。

        デジタルの海にクソをする

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        • みらいをかんがえる
          4本

        記事

          共存共生の未来への架け橋 ― web3技術×農業がもたらす可能性

          第1章:はじめに 1.1 私の興味と目的 農業領域や社会の価値交換や情報システムに興味を持っています。web3技術を通じて、農業組織や生産者、販売者、消費者がより公平で持続可能な関係を築くことを目指しています。私は、農業の現場での実践とweb3技術の探求を通じて、より人間味あふれる社会を実現する一助になりたいと考えています。農業の魅力や価値をより多くの人々と共有し、共に発展する社会の実現を目指しています。 1.2 農業組織の中央集権化とリテラシーの課題 農業組織の中央集

          共存共生の未来への架け橋 ― web3技術×農業がもたらす可能性

          ippuku Plug-in みんなでつくる新しいコミュニケーションツール PRD

          ハーイみなさんこんにちは! この文書の目的は、以下の通りです: ippuku Plug-inという音楽コミュニケーションツールの説明、ビジョンの共有。 開発チームに対しての詳細の提供。機能、要件についてすべての関係者が共有の理解を持てるようにする。 このプロダクトの開発、運営、その他サポートなど仲間の募集。 このようなかたい文章を書くことに慣れていなくて 読みにくかったらごめんなさい。 0. 共感しよう!分かち合おう!生きている喜びを歌おう!ぼくたちは生きている。日

          ippuku Plug-in みんなでつくる新しいコミュニケーションツール PRD

          だからあしたも

          ぼくたちはもともとひとつで それがどんどんおっきくなって それがどんどんちがってきて ぜんぶべつべつになっちゃった。 って もしそうだとしたらさ みんなわかりあえないってことなのかな。 ぼくたちはちがいのなかを生きるから ちがいにしか気づけないのかなあ。 ぼくのせかいときみのせかい それはきっとちがうけどさ それでもきっと ひとつになったらいいなあ。 って だからあしたもあるいてゆきやす。 どっちかがしぬまでよー。

          だからあしたも

          あるく

          あるく ぼくはあるく ただひたすらに みちをあるく ずいぶんとおくまで来ちゃったなあ そんなときに なみがきて あしあとたちは さらわれる ぼくはちょっぴり 不安になって なみうちぎわを ふりかえる たちどまって かんがえる そこにはもともと なんにもなかったみたいに さらさらきらきらひかってる ぼくはなんだか たのしくなって またまえをみて あるきだす たちどまっては あるきだす ながされていくことも 笑えるように

          よるのうみ

          自然の中に生きるぼくたちは 自然に生きることをわすれちゃう。 誰がすきとかきらいとか 忙しいとか楽しいとか ゆっくり休む時間まで 大事なことをわすれちゃう。 愛しい人との時間とか 自分に向き合う余裕とか。 明日はどうなるかわからないけど 楽しく生きていたいなあ。 明日の自分は忘れちゃうのかなあ。 そんな刹那の星空を 自由に自然な波の音を 聴いて眺めて浸る夜。 あの人みたいには生きれないけど ぼくはぼくなりに 頑張って生きていきたいなあ。 いろ

          よるのうみ

          かわる

          昨日と今日が、ちがっていたり 空が、赤く染まったり 晴れたりくもったり、雨がふったり うつろいゆく、いろんなもの とどめることは、できなくて ただひたすらに、過ぎてゆく 指のあいだをすりぬける 小さな砂のひとつぶが 僕のいのちだったらさ となりに落ちてる貝殻は きみのいのちだったりするんだよ 貝殻はいつか、ちいさい砂の粒になって 僕みたいになってさ そしたら僕は海になってるよ 変わらないことなんてないけどさ それもいつか海になるんだよ

          はじまり

          出会って別れ 別れては出会う。 人生はいつもそんな調子で せわしなく流れていく。 別れはいつも寂しくて 悲しくなるけれど 失うからこそ、当たり前じゃないって気付く。 そしてそれがまた、当たり前になっていく。 出会うということは 別れるということで 別れるということは また出会うということなのかもしれない。 明日はどんな出会いがあるんだろう。 明後日はどんな別れがあるんだろう。 どれだけそれがつらく寂しいものでも その先にははじまりがある。 別れ

          なにを思って生きるのか

          すごく弱い僕たちは いつも楽なほうを選んでて、 そのことにすら気づかない。 気づいた時にはもう 取り返しのつかないぐらい 無意識の中を生きていて ふと後ろを振り返って悔やむ。 人生の終わりを考えてみる。 何歳かわからないけど、歳をとった自分が 「なんやかんやいい人生やったなあ」 ってにっこり笑いながら死んでいく。 そんな風に死にたいから 今を諦めたくなくて そんな風に死ぬために 今を全力で生きていたい。 目の前に広がってるこの世界 明日は少し違

          なにを思って生きるのか

          おばあちゃんがくれるもの

          僕には2人のおばあちゃんがいます。 でももう2人とも、この世にはいません。 おばあちゃんを2人とも亡くしてから 気づいたことがあります。 80年以上いろんな激動の中を もがいて楽しんで、泣いて笑って 生き抜いたおばあちゃんは、 とてつもない経験値があるということです。 でもどちらとも、そんなに話しをした記憶がありません。 一緒に遊んだ記憶は少しあるけど、 言葉で教えてくれたことは ほとんど覚えていません。 「もっといろんなこと教えてもらいたかったなあ。」 そう思

          おばあちゃんがくれるもの

          カイコを飼って思ったこと

          カイコを飼って思ったこと。 ぜんぶいきてるってこと。 みんながんばっていきてるってこと。 ひとりでは生きていけないってこと。 命がつながって自然ができてるってこと。 僕らは たくさんの命をもらって生きてるってこと。 僕らは 自分に近い命を大切に思うってこと。 優しい気持ちは 心の余裕から生まれるってこと。 人も自然の一部ってこと。 みんないつかは死ぬってこと。 生まれてから死ぬまでは生きてるってこと。 本能のままに生きるのも 考えまくって生きるのも おん

          カイコを飼って思ったこと

          コロナウイルスのワクチンについて考えてみよう

          今日は、コロナウイルスのワクチンについて考えてみようと思います! まず最初に断っておきたいのは この記事によって 「ワクチンは悪いものだ!いいものだ!!」 ということを伝えたいのではありません。 ただみなさんに考えて欲しいのです。 自分の体に入れるものを「みんなしてるから」なんて理由だけで従うのはとても恐ろしいことだと思います。 でも、ワクチンが安全かどうかの議論は、僕のまわりではほとんど聞いたことがありません。 それは、そもそも情報がないからだと思いました。 判断する

          コロナウイルスのワクチンについて考えてみよう

          死後の世界への大冒険

          「ねえねえパパ、なんで泣いてるの?」 「それはね、ママが死んじゃったからだよ。」 「ねえねえパパ、死んだママはどこにいくの?」 「お空にいくんだよ。お空でずーっと、パパやゆうきのことを見守っていてくれるんだよ。」 「ふーん、変なの。」 ゆうきくんには、死ぬということがどういうことなのかわかりませんでした。 死んだママがお空に飛んでいくところも、 お空にいるママも見えないからです。 「いつかまた、ママと遊べるかな?」 「うん、いつかきっとね。」 それからゆうき

          死後の世界への大冒険