愛にできる事はまだあるかい

イベントに行く。

結構な倍率のイベントに
当選する為に何口もの応募をして、つまりその為の対価を数倍も支払って行く

結構な競争率のイベントに
入場資格を得る為に何時間も並んで、つまり相当な時間を費やして行く

そうさせる力が、そのイベントにはある。
いや正確に言うと、あったのだ。私にとって。
今や熱が去ったというか、それまでの熱量がなくなってしまっただけなのだけれど。

惰性で行くには余りにも金銭的にも時間的にも対価が高すぎるのに
それでも行く理由は人。

それでしか出会えなかったひとには
そこでしか会えないから
かつてイベント自体に向けられていた熱量をかけて
それを取り巻くひとに会いに行く。


何かを好きでいるのには物凄い力が要る
物事を好きでい続けるにはおそらく、一方的に感受性を維持しなければならないのだろう。

それ であり続ける物事自体から供給される事象を
受け取れるアンテナを張り続けていなければ続き得ない愛。

たぶん
アンテナの感度相当高くないと受信しきれないから
高性能のアンテナ持ってなきゃ作れなきゃ受け取れない

だって供給される愛は事象として
すべからく同等であるからして
受け取る側の感度によって増幅幅が違う

アンテナ、そんなにまでポンコツではないと思ってるんだけど
なんてかこうちょっと耐用性に問題があるらしい


会いに行った先で
高性能のアンテナを張り続けられてる人々を羨ましい目で眺める
少し寂しいような微笑ましいような気持ちで
変わらず熱く愛を語る人たち


好きだったものは変わらず それであり続けそこにある。
好きで居続けたい自分が
他人の高性能のアンテナを経由し、そこからまた発信される変わらない、むしろ増幅されたそれを
微弱にでも受信しようと側に佇む


好きだったものに対する執着と惜別
手放し難い愛と歪んだ矛先
ノスタルジー


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