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長島有里枝さんに力をもらって

2018年は仕事などで人に振り回されることが多く、すっかり疲れてしまった。(上の写真は散らかりすぎたわが家のリビング)

わたしがまだ大学生だった時、お世話になっていたカナダ人の先生が「I have burn out(燃え尽きちゃった)」と言っていたけど、その時は燃え尽きるってどういう感じなのか見当がつかなかった。わたしが社会人になってからの仕事人生は、決して平たんではなかったけれど「燃え尽きた」という類の状態にはならかった。どちらかというと、もっと病んでいたかもしれないが。そして、40歳を過ぎた2018年に、生まれて初めて「燃え尽きた」という感覚を実感した。もう自分から何も発信したくないし、働きかけたくもない。自分が何を好きで、何をやりたいのかも分からなくなってきていた。許されるのなら、しばらく快適なタイムカプセルの中で冬眠して、飽きた頃に出てきたいという思いがあった。どうやら心が疲れすぎて、病みはしないものの、かなり消極的な心理状態にあった。

そんな中、写真家の長島有里枝さんの写真やエッセーの数々、小説「背中の記憶」、Life展「作家で、母でつくるそだてる」などに大いに励まされた。今でも彼女の存在や作品は、心の支えになっている。

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長島有里枝さんを強烈に意識するようになったのは、2017年の冬頃開催されていた恵比寿の東京都写真美術館での個展「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」がきっかけである。

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この展覧会で衝撃を受けて以降、東京都写真美術館にはできるだけ足を運ぶようにしている。ジェンダーやアジアの女性写真家といったマイノリティーに光をあてた展示が秀逸であり、毎回目を丸くしながら展示を味わっている。そこで気づいたことの一つが、意外と外国人の鑑賞者が多いということであった。この美術館では展示の紹介ムービーや作品のキャプションが日本語と英語のバイリンガル表記に力を入れているようだった。また、作家たちの多くが、自身の作品の解説文を積極的に英語でも執筆しようとしていることに気づいた。

ここ数年、ブログやSNSなどでの発信が億劫になっていた。その原因の一つとして、日本語に閉じたコミュニケーションに窮屈さを感じていることに思い当たった。であれば、あの作家さんたちのように、英語でも書いてみるのがいいのではないかと考えた。2019年になってから、少しずつ新しいことを始めようという意欲を取り戻しつつある。小さな取組の一つとして、慣れない英語でもブログを書いてみようと思っている。

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