生きもがいてくれ

人生100年時代!にあと80年も生きんの?ダリィなって思ってる新社会人のみなさんへ(明日死んでもいいと思ってる30歳からの告白の手紙)


今朝、会社に向かっているとたくさんの新社会人がいた。希望と困惑の混じった彼、彼女たちの表情を見て、手紙を書くことにした。


この手紙は、「1年目でやっておくべきこと」とか「100年時代の生き方」とか、そういった一切のハウトゥーとは全く関係ない、ただの30歳の独り言だ。でも、きっと、何人かの人の心にはずっとこびりつくものになると思っている。多分これからきっとみんな頑張るのだろう。遮二無二頑張って、一切の希望がなくなった時、自分につき続けた嘘に気づいた時に思い出して欲しい。



そもそもマジで100歳まで生きたいか?

ライフシフトという本が流行った。最近はテレビでもCMでも「人生100年時代に備えよう」みたいな話が多い。「100年生きなければならない」みたいな文脈を感じる度に思う、「え、100年とか長くね?」って。そう思う人は僕の他にもいるんじゃないかな?既に人生が暇つぶしになっている人にとっては、暇つぶしの過酷な延長線だ。今僕は、すごく充実していて毎日楽しいが、流石にあと70年は「正直長い」と思っている。


「生きる」を自分の言葉で訳しておいてほしい


生きるって、人によって解釈が違うと思う。ある人にとっては、「心臓が動いてること」かもしれないし、ある人にとっては、「希望があること」かもしれない。心臓が動いていることを生きるというのなら、僕はたぶん「生きじゃくって」いて「生きまくって」いる。今は毎日幸せ、生きることが楽しくて仕方がない。でも、すごい大変だったんだよね。


死ぬ理由は特になかった、でも生きるのはダルかった


少し、昔の自分の話をしたい。僕は、昔から頭が良かった、勉強もできたし、要領もよかった。頭が良くて、足も速くて、顔も悪くない、スクールヒエラルキーでは割りと上の方にいた。最初は「好きなこと」を自由にやれていてると思っていた。でも、いつしか自分の「好きなこと」は「誰かの最大公約数的な正解」に無意識に擦り寄っていった。気がつくと「みんなの正解」が僕にとっての「好きなこと」になっていた。


本当は大好きな音楽をずっとやっていたかった。でも、僕は「みんなの正解」を選択し続けた。所謂「一流大学」に行き「一流企業」に入り、「一流の部署」で「一流の仕事」をしていた。「つまんねぇな」と思いながら。当然「みんなの正解」を解くのは得意だったので、見かけ上はうまくいっていた。


悲劇は突然起きた。4年目、行きの西武池袋線の電車でぶっ倒れてから、何もやりたくなくなった。バーンアウトってやつだと思う。


あとから思えば、予兆はあった。昼飯の後に吐いたり、38-9度の熱が1ヶ月ほど続いたり。「毎日この熱なら、これが自分の平熱なのかな」とか思いながら、毎日「みんなの正解」を解き続けた。


ありえないことを言ったことがある。冬にじいちゃんが死んだ。その時当時の上司に「仕事のほうが大事なので帰りません!」とか言って「そんなこと絶対言ってはいけない」と諭された。それほどまでに、「みんなの正解」に支配され、道を誤っていた。ごめんな、じいちゃん。


一度精神的な死を味わった僕は、「みんなの正解」を解くために頑張るのをやめた。今は「自分の好きなこと」を、収入とか、周りの評判とか関係なくただひたすらにやっている。自分が好きなことやりまくって、誰かが少しでも幸せになったのなら、そんな幸せなことはないと信じて。


今自分の中には、不思議な感情がある。今はただひたすらに生きもがきたい、が、明日死んでもいい。


100歳まで「幸せに生きる」には、「明日死んでもいい」を毎日思えるか


今まで正解のある問いをひたすら問いては、マルバツで評価されてきたと思う。多分、今日入社式で「社会人の仕事は正解がない」とか「恐れず主体性を持って」とか言われると思う。これは半分本当で半分嘘だ。大抵の仕事に正解はある。し、新しいことをやろうとすると、組織の中に困る人はいるので、迫害を受けることもある。特に事業も、組織も凝り固まっている組織においては、異分子はリスクだ。


でも「生き方に正解はない」は、圧倒的に真だ。今までは、経済的成功のための生き方の模範解答は存在した。でも多分、今はその模範解答もなくなった。
どんな良い企業に属しててもリストラはあるし、どんなに市場価値を高める努力をしても、行きたいところに行けるかなんてわからない。
どうせ死ぬんだったら、安定という虚像に支配されるよりも、好きなことしまくって、結果、誰かの幸せの量を少しでも増やすってのも悪くないと思う。ある程度の金持ったら、何となくわかると思う。


自分への嘘発見器は、毎日同じ質問を自分に問うこと


これからも、いろいろ言われると思う。「置かれた場所で咲きなさい」とか、「目の前の仕事をできないやつにやりたい仕事なんてできない」とか、これは真か偽でいえば真だと思う、が、そもそも人に言われることではない。自分で自分に問いかける言葉だ。

あとひとつ、自分に問いかけ続けて欲しい言葉がある。

「今、自分は生きているか?」

もし今、死んでるんだったら、生き返るための方法を模索して欲しい。なんでもいい。仕事でも、恋愛でも、趣味でも、旅でも、週末のボランティアでも、複業でも、転職でも。「自分探し」は周りが言うほど悪いものではない。「自分探し」をされると困る人達が、あなたたちの「自分探し」を自分の都合で禁止してることも往々にしてあるから。

是非、目の前の仕事をがむしゃらにやってみて欲しい。

ただ、「好きなこと」を「みんなの正解」で決めてきたあなたが真っ先にした方がいいことは、無意識にイコールで結んでしまった「好きなこと」と「みんなの正解」にある鎖を引きちぎることだと思う。

大変なことも、辛いことも、たくさんあると思う。
ずっと前に自分についた小さな嘘を、今のうちに思い出しておいて欲しい。

そして、あと一日、あと一日、自分の気持ちを聞いてあげながら、生きもがいてください。

応援しています。


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