つくりつづけないと死ぬ #人生で一番古い記憶

こんばんは、寺口です。
今週のnotersのテーマは、人生で一番古い記憶です。

今のところ鮮明に覚えているのは、3歳くらいのときに、木造の家の洗面所で一人で鏡を見ながら泣いていたときのことでした。

「僕なんて必要ない。みんな僕のことを忘れてしまう。」

そう言ってずっと鏡に映った自分を見ながら泣いていました。なぜかすごく濃く覚えています。

親はたくさんの愛を注いでくれていました。友達もいたし、弟とも仲がよく毎日楽しく遊んでいた。

自己紹介にも書いたのですが、僕は自分の才能にとても自信があります。が、自分の存在に対しては自信がありません。

それは昔も今も変わらなくて、思えば今までとってきた選択のほとんどが、自分がこの世界に存在していい理由を見つけるためのものだったと思っています。

毎日が、自分の存在価値の確認作業と証明作業の連続だと思っています。

人の役に立ちたいのは、役に立つ自分であることを確認したいから。

人を笑顔にしたいのは、もらった感謝と笑顔が自分の価値確認になるから。

音楽を始めたのは、自分の発したもので熱狂する人たちを見ることが、消えそうなアイデンティティーを救ってくれることに気づいたから。

文章を書き続けるのは、誰かの心の中に生き続けたいから。

SNSで発信して反応を待つのは、誰かに存在を認知されていることを確認したいから。

緊張屋だけどイベント登壇のオファーを断らないのは、自分の言葉が誰かに届いていることをその場で確認できるから。


全部自分のためです。

利他か利己かという話でいえば、全部利己です。

生きている実感と、生きてていいという自信が欲しいのです。

いいんじゃないでしょうか

自分を満たしてあげるための行動が、結果としてまぐれで、誰かの何かになれば。

自己犠牲とセットで、誰かのために何かしてあげようとしたら、僕は見返りを求めてしまいます。

我慢してこんなことしてあげたのに、何も返してくれない。

きっとそう思ってしまいます。

だからこれからも自分のために生きようと思います。

生き心地を求めてつくりつづけたものが、いつかまぐれで誰かの幸せにつながったらラッキー

そう願って。

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