ロールモデル

夢か修行か #私の就職活動

noters、今回のテーマは #私の就職活動 です。

#就活をもっと自由に のムーブメントを仕掛ける中で、はて、自分はどうだっけなと思ったので、notersのテーマでこれをチョイスしました。一人ひとりのストーリーはn=1で各論に落ちちゃっても、いろんな大人の開示されたストーリーの「サンプル」を採取する中で、若い人が「自分だけのオリジナル」を作っていってほしいなと思います。なんなら全大人分欲しい。

これは持論ですが

ロールモデルなんていない

「将来に希望を持てない理由の一つは大人の等身大のサンプルにアクセスする機会がないから」

本当にそう思います。

月曜から木曜まで、4人の大人が等身大の自分のストーリーを晒してくれました。

かっこつけてないし、等身大でリアル。みんな学生だった。みんな日々暗闇でもがいてたんだなぁと、キラキラした自慢話よりも、こんなストーリーが溢れる世の中になりますように。

それでは、僕の就職活動についてもお話します。少しでも誰かの参考になれば嬉しいです。

どうすればサラリーマンにならずに済むか

そもそも、自身の就職活動について語るに当たり、中高の話はしないとなりません。大前提ですが、僕は中高の通学往復4時間の、うつになりそうな通勤電車のくたびれた雰囲気に嫌気が差し、「このスーツ着たゾンビになったらオレの人生は敗北だ」と思って、危機感から「サラリーマンにならずにかっこよく生きる方法」を探していました。そこから音楽に出会いロックバンドを始めるのですが、この話はまた今度。

やっと見つけたかっこいい大人

上記から、進学校に行きながら勉強せずにバンドに明け暮れるというなんとも中途半端な生活を続けていたのですが、ある方との出会いで、高校2年生から突如狂ったように勉強を始めました。当時西大和学園の理事長であった田野瀬良太郎先生です。詳細はまたお話できればと思いますが、当時彼と話した僕の頭の中にはひとつだけ、「かっこいい大人見つけた!」でした。「やりたいことあるやつはそれをやればいい」「やりたいことがまだないやつは一旦勉強しときなさい。やりたいことが見つかったときに早送りできるから。社会ってそうだから。」彼が最後に言った言葉です。それだけが方法とは思いませんが、ほんとにそうだったなと振り返って思います。

京都大学入学で感じたのは、経験負債

結局高2の時点で数学偏差値20代だった僕は、朝6時におき、電車内は暗記、授業中は過去サボった分の勉強、土曜も学校、日曜は図書館と本当に狂ったように勉強し続けました。うちはお金のある方ではなかったので、国公立に現役で行くことが必要でした。何で京大を目指したのかというのは、数学の問題がクリエイティブだったから。カルチャーが自由だったから。それだけだったような気がします。そこになにかあると信じていました。

大学に入って、友だちができました。そこで感じたのは勉強以外の経験負債でした。スポーツ、恋愛、他にもいろいろ。高校では勉強以外のこともできてるキャラだと思っていましたが、それは狭い世界の話で、自分の知らない世界を知っている人がたくさんいました。これはやばいと。偏差値の高い大学に行くメリットはいろいろありますが、自分の経験負債、世界の狭さに気づくということは、大きな価値だなと今でも思います。その時出会った大学内外の友達とは未だに年1回は集まりますが、本当に出会えてよかったなぁと思うのです。

3年生の夏から始めたいわゆる就職活動

僕は理系学部でした。入った理由は比較的理数教科が得意でそっちのほうが合格確率が高かったから。97%が院進学する中で、僕は学部で出ることにしていました。理由は「大学で、また経験負債がたまり始めている気がしたから」。今までにない刺激に溢れた1-2年生の生活も、どことなくルーティンになってきた気がしたのです。あと1年生のときのオリエンで学部長が「君たちは化学のメジャーリーガーになるのです」と講話した際に、シンプルに「やだ」と思ったことも重要な気づきでした。

サラリーマンにだけはなりたくないと思っていた僕が就職活動を始めた理由は、すごく単純で、イケてる先輩がどんどんサラリーマンになって、楽しそうに仕事の話をしているのを聞いて、「サラリーマン→かっこ悪い」ではないということを知ったからです。中学生のときは、見た目や雰囲気だけで判断していたなと。

僕は2010卒ですが、その頃からサマーインターンなるものはありました。最初は手当たり次第行っていましたが、覚えているのはリクルートHRマーケティング(当時)、リンクアンドモチベーションでした。

当時の僕が仕事に求めるものは単純でした。「かっこよく仕事したい」「感性を表現したい」「世の中の雰囲気を明るくする仕事がしたい」「自分よりすごい人たちと仕事がしたい」どれも言葉は稚拙ですが、今でも変わってないなぁと思います。就活のパッケージにあわせずに作った言葉たちは、自分に正直なものだから、あんまり根っこは変わらないんだなと思います。

世の中の雰囲気を明るくする仕事は電通、博報堂にあると信じ(じいちゃんが博報堂で話聞いて思ったから)、自分よりすごい人たちとする仕事=1年目から経営者と対峙する仕事=リクルート、SMBCにありそう、と少ない一次情報の中で頑張って自分のやりたいことを仕事や企業に当てはめました。ベンチャー企業という言葉すら知りませんでした。

2008年9月のリーマンショック

これは本当にいい経験だったなと思います。たくさん受けていたインターンの多くが今年度の採用取りやめを発表しました。就職活動を一緒にやっていた仲間は外資メーカー/コンサル/金融、商社を目指していて、広告は僕だけでした。

「何かリーマン・ブラザーズという会社が倒産したから、何かやばいらしい」と仲間同士で話していました。でも、いい大学は就活に有利と刷り込まれた僕たちは、いわゆるギャンブル就活を辞めませんでした。どうせ受かってみんないきたいところでやりたいことができるだろうと信じていました。

本選考が始まって、現実を知ることになります。

電通は一次面接で、博報堂は二次面接で落ちました。リクルートやリンクアンドモチベーションも確か早めに。残ったのはSMBCの果てしないリクルーター面談のみ。

当時なぜか強気だった僕は、リクルーターの方に

リク「志望動機考え直してきた?」

僕「志望動機は自分で決めたやつ前伝えたんですけど、また同じこと話さないといけないんですか?メモとってないんですか。」

リク「みんなちゃんと考えてどんどんよくなってんだよ!寺口くんは殻に閉じこもりすぎだよ。」

僕「変えません」

みたいな、謎の「抵抗」をしていました。多くの企業に落ちたことで、自信を失って意固地になっていました。今思うとよく付き合ってくれたなと思います。

たしか二次面接でそのナメた態度を、採用責任者に怒られて、帰り道に泣いて、もう一回考えて話においでと言われて、頑張って考えたことを言って最終で内定をもらったような記憶があります。

あとから聞きましたが、僕は「最後の内定者」でリストにはしばらく手書きだったと。

何もできないのに、勝手に自信を失って、変化を恐れ、自分の意見に固執したやつに根気良く向き合い拾ってくれた、SMBCの採用をされていた方々の器の大きさには、感謝しています。

あと、ひとつ謝らないといけません。なぜ金融で、なぜ銀行で、なぜSMBCかという志望動機がわかりやすいと教えてもらった僕は「他の2メガ」を受けているフリをしていました。エントリーもしていません。ごめんなさい。

僕は今でもSMBCの方々が大好きです。だから銀行の中の人をしらない人が「銀行員はもう終わり」とか知らずに言ってると、普通にムカつきます。普通に彼ら彼女らはすごいです。

夢か修行か

そんなこんなで、タイトルの通り、夢か修行かで選んだ自分の就職活動。特にアドバイスはありませんし、こんなサンプルもあるってことを事実だけ書いておこうと思います。ただひとつ言えることは、

「自分の気持ちに正直に描いた希望の言葉は、意外と10年たっても変わらない」

ということです。それだけは、誇っていいかなと思います。

みなさんのオリジナルを大事にしてほしいなと。


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