はじめまして。寺口浩大です。#私の履歴書
はじめまして。こんにちは。
こうやって改めて自己紹介を書くのは、初めてなので楽しみです。
徒然なるままに、書いていこうと思います。
最近、お気に入りの写真。
・1988年3月生まれの30歳
・兵庫県伊丹市出身
・175cm/67kg/B型
・3兄弟の長男
・ロザリオ幼稚園→伊丹小学校→南小学校→西大和学園中学校/高等学校→京都大学→SMBC→Deloitte→ONE CAREER
・楽しくてがんばったことはバンドです。
ぼくについて、自分でわかってること
自分のことは、正直まだあんまりよくわかりません。
だから、それを知りたくて、毎日、存在価値の確認と証明のために生きています。(ここは抽象的で長くなるかもです。)
命について考えることが好きです。
世の中の構造について考えることが好きです。
※北野唯我さんの名作。(唯我さん貸してください)
それぞれ理由があります。
命について考えるのが好きなのは、起こっている事象や意味の本質に近づけるからです。そしてきっと死んだら考えられなさそうだからです。だから、生きている間にたくさん命について考えようと思います。
世の中の構造について考えるのは、自分の中に怒りを生みたいからです。
僕にとって、怒りは喜怒哀楽の感情の中で最も大切なエネルギーです。
つくることが価値証明の手段である僕にとっては、創造の種である怒りを体内で分泌させることが、生きていくうえで欠かせません。
そして、怒りは理想と現実のギャップが生む、自己肯定の手段としての他者否定や、思考停止のための個体の批判、憎しみとは程遠くて、崇高で美しい感情だと信じています。
理想がないと怒りは生まれない。
現実を理解していないと怒りは生まれない。
そして特に、人間がよかれと思って作ったシステムと実態の歪みの中で、固まったものたちが軋んでる情景を咀嚼することが、僕のガソリンです。その中で人を憎んだり、争ったりする人たちを見ては哀しくなります。エネルギーを吸い取られてたまに疲れてしまいます。でも、怒りが僕を復活させてくれます。
毎日その繰り返しです。
すごくシンプルな問いをたてるために、できるだけ難しい問いを解きたいと思っています。僕にとっては、目的は問いを立てることで、問いを解くのは手段のようです。
問いこそが僕にとっての成果物です。
世の中には「問いを立てる人」と「解く人」と「その他の人」がいます。問いに絡んでいる人のことは、すべて尊敬したいと思っています。
そして、「問題提起屋」としてこれからも、価値があると信じるものをつくり続けて死にたいです。
これまでのこと
関西の普通の家庭で生まれた僕は、変わった子といわれる子でした。
ユニーク、ナナメウエ、狂ってる、キチガイ。すべてが褒め言葉でした。「普通」であることが恐くて、「変わってる」と言われることが僕のアイデンティティの確認につながっていたので、とても喜んでいました。
自分には特別な才があると信じていました。きっと今も。
でも、自分という存在自体に対しては、疑問とゆらぎを感じていました。きっと今も。
「みんな僕のことなんて忘れてしまう。みんな僕のことなんてどうでもいい。」と、3歳くらいのときに、ひとりで洗面所の鏡の前で自分に言い聞かせながら、ずっと泣いていたことを覚えています。メンヘラですね。
ドミニコ会のモンテッソーリ教育を幼稚園で受けて育った僕は、好奇心を育む機会に恵まれ、自由の素晴らしさと厳しさ、多動であることの肯定、みんな違って当たり前だということ、そして歌うことの楽しさを知りました。たぶんきっと、今、権力に興味が無いのも、民主的なムーブメントに興味があるのも、違いに恐れる人が違いを愛せたらいいなと思うのも、自我を組成しているときに受けた刺激や言葉が、それらに満ちていたからだと思っています。両親や兄弟、友人たちに愛されながら生きていました。
小中高大、社会人はいろいろありました。社会との折り合いをつけることに苦労しました。
きっと幼少期の自己が核で、そこで様々な刺激を受け、そこに感情と経験を溶かしていきました。以下、好き嫌いでダイジェストでお送りします。
学校は好きだったけど、授業は嫌いでした。(なぜ全員が同じ方向を見て何十分も座っているのか理解できませんでした。)
学びは好きだったけど、勉強は嫌いでした。(宿題をやった記憶がありません。)
いじめっ子もいじめられっ子も好きだったけど、いじめは嫌いでした。
お父さんもお母さんも好きだったけど、夫婦喧嘩は嫌いでした。
算数はすきだったけど、数学は嫌いでした。(xとyに感性が殺される恐怖を感じていました。小5で算数オリンピックのファイナルに出ました。えっへん。)
実力テストは好きだったけど、復習テストは嫌いでした。
スポーツは好きだったけど、部活は嫌いでした。
音楽は好きだったけど、楽譜は嫌いでした。
ライブは好きだったけど、練習は嫌いでした。
自分の才能はすきだったけど、自分の存在は嫌いでした。
・小学校のストーリー
・中高大のストーリー
なかった。また書きます。友達が最高でした。
・大学卒業後のストーリー
いまのこと
ワンキャリアという会社で、いろいろやっています。主に、価値をつくると届けるでいうと、届ける仕事のほうが多いです。資本市場のゲームルールの中で、どこまで美しいと思えることを、美しいやり方で証明できるかということを大事にしています。
変化するものの中で、変化の中心にいられることは、とてもスリルがあって楽しいです。
パブリック・リレーションズの可能性を信じています。
2017年から2019年にやったことの一部です。
これからのこと
具体的なことはわかりません。今、いっぱいやってるプロジェクトをかたちにしていきます。
ただ、できる限りアウトプットを抽象化して、音楽に使える時間を増やしたいです。音楽というか、ロックやストリートダンスのようなカウンターカルチャーや、そこに時間を投資した人の才能や価値を証明したいです。
写真は世界的ダンサーのHANくんと。ロックもダンスもどこか近い。
多分変わらないもの
哲学、宗教(カトリック)、民主主義
変わるかもしれないもの
価値観、使う言葉、スタイルやアウトプットのやり方。
最後までご覧いただき有難うございました。
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