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【日常】寄り道 枝垂桜は残った!

 酷暑が続きますね … 。
 僕も毎日大汗をかきながら動き回っています。今日は、朝から仙台市若林区の 舟丁ふなちょう という町にある現場に赴きました。
 現場が狭小地だったので、空いていたコインパークを探して駐車したまでは良かったのですが、これが存外に遠かった …(汗笑)。

 ということで、予定通りにコンクリート打設前の配筋検査を終えた僕は、現場からコインパークまでの道程を「寄り道タイム」に変えることにしました。まぁ。たった10分程度の寄り道ですけどね。 

 それにしても舟丁ふなちょうという響き、趣があって素敵でしょ?
 この界隈では、今もなお伊達藩政時代の旧町名(南材木町・穀町・南染師町など)が散見されます。
 因みに、この舟丁は古地図(正保仙台城絵図)には明記されておらず、それを裏付けるかの如く、地名の後に「町」がつけられていません。
 それもそのはず、御舟衆が集住していたことから舟丁という名称が周知していったようです。職業・職能・地位などが地名に直結するのは、当時なればこそなのでしょうね。

興味のある方は拡大してみて下さい

 仙台市の南東部に位置する若林区は、江戸から奥州街道を下ってくると仙台城下せんだいじょうかの入口にあたる場所になります。
 そして、冒頭の写真「ふなちょうはし」が掛かっている通りは、奥州街道一本西側に位置しています。

 この界隈に立つ度に、僕は「ねずみ」という古典落語の演目を思い起こします。彫刻の名人 左 甚五郎ひだり じんごろう が、仙台の城下外れで宿引きの小僧に請われるまま、朽ち果てた旅館「鼠屋」に一夜の宿を求めるところから始まる噺なのですが、この小僧が宿引きに立っていた場所は、この辺りなのではないかと妄想し、ほくそ笑んでしまうのです。

山本周五郎の「樅ノ木は残った」に寄せて

 話を戻しましょう。
 この「ふなちょうはし」の袂には、創業1885年を謳う「石橋屋」という仙台駄菓子(昔ながらの素朴な駄菓子)を売っていたお店がありました。
 いやいや「ありました。」ではないのです。建物だけは現在も残っていますから。ただ、今年の5月に閉店してしまったと … 。

 此度は、敷設されたばかりの道路に関係する電気工事の車両が駐車しており、格好よく撮影することが叶わなかったのですが、なかなかどうして老舗の雰囲気がする建物でしょ?
 営業していた時には、出入り口の軒先に暖簾のれんがかかっており、130余年の歴史に相応しい店構えだった … って、そんな姿もまた過去の話になってしまったのですね … 。

 また、石橋屋の名物は仙台駄菓子だけではありませんでした。
 敷地の南側を流れる六郷堀ろくごうほりに面して枝垂桜しだれざくら(ベニシダレザクラ)が植えられており、隠れた桜の名所として人々の目を楽しませてきたのです。 

 そんな石橋屋ですが、周辺の環境が大きく変化してきていることもあり、閉店以降の変遷(維持管理を含め)が気になるところです。
 ただ、私の記憶が正しければ、2000年代初頭に仙台景観重要建造物指定建物に指定されているので、無下に扱われることはないと思います。されば、この枝垂桜も大いに花を咲かせてくれることでしょう。

写真右端の道路が近年になって敷設された宮沢根白石線

 これからも、仙台市街地の都市化は進み、縦横無尽に道路は敷設され、建物は天を穿つように建てられていくに違いありません。
 それでも遺るものは遺るべくして遺るはず。
 この枝垂桜の古木も ” そんな存在 ” であって欲しいと願うのです。

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