できないという価値について__2_

”できないという価値”について

前提というか、結論として、

『価値とは一定ではなく視点、基準、人によっていくらでも変わるということ』。
『何に価値を感じるのか?それが価値観であり、そこに絶対的な優劣はないということ。』
『あなたが価値があると思うもの、あなたが大切にしたいものを大切にしてほしいということ。』


この前提のもとに僕が感じていることを言語化していきます。
楽しんでいってね!

自転車に乗れない自分には戻れない

久しぶりでいきなりですが、仕事(UberEatsの配達)の合間を縫ってこんなつぶやきをしました。

そもそもの前提として、”自転車に乗れない自分には戻れない”という考え方が好きで。

小さい頃、多くの子どもは自転車に乗れるように一生懸命練習するわけだけど、一度乗れるようになると乗れなかった自分には戻れなくなる。
乗れなかった時の自分をマネをすることはできたとしても、それは演技であって”乗れない自分”ではない。
そういう、”一度できるようになるとできなかった自分には戻れなくなる”ことって結構あるなと。
(ある意味では成長や経験のデメリットとも言える。)

この話は数年前にネットで面識のある方と初めてお会いした時の飲みの席で生まれたもので、とても面白い考え方だと思って今でも心に残っているのだけど、最近になってふと思い出してやっぱり面白いなと思って頭のシンキングゾーン的なところに放り込んであれこれ考えを巡らせていたのです。

その過程で上のようなつぶやきをしたのだけど、280文字では乱暴な感じにしか言語化できなかったので、久しぶりのnoteでじっくり言語化をしていこうと思います。

あ、最近見かけたこの話も似たようなの感覚だなと思ったのでシェアしておきます。
子どもが描いた絵と、”大人が子どもが描いたようにあえて下手に描く絵”には見る人が見れば明らかな違いがあるんですよね。
(イラストといい、このふるえるとりさんの感性がなんか好きです笑)

あっ これ大人が描いたやつだ!「子どもが描いた風の絵」警察👮‍♂️

親にとっての"自転車に乗れない子ども"

まず、最初から自転車に乗れる子どもはいない。(多分、笑)
自分はまだ親になったことがないので想像だけど、”自転車に乗れない我が子と一緒に乗れるように頑張る”って子育てにおける醍醐味のひとつなような気がしていて。

〜〜〜妄想タイム〜〜〜

いよいよ補助輪を外し、自転車越しに我が子の背中を押す。
「持ってるよ!持ってるよ!」と言いながら
我が子を信じ、そっとその手を離す。

「離さないでね!離さないでね!」と言いながら
自分の力でペダルを漕ぎ、ふらふらと数メートル進み、最後には転ぶ我が子…。

「あぁ、ついこの前まであんなに小さかったのに、自転車、乗れるようになったんだなぁ。。。」

(´-`).。oO

うん、これは泣く.・゚・(ノд`)゚・.

子どもの成長を垣間見るって何物にも代えがたい幸せなんだろうなぁ。。。

そうかぁ、愛する我が子の成長を見守るのは嬉しくもあり、同時に寂しくもあるのですね。。。

映画やドラマで感動できるのは、
最初はできないところから始まって、
チャレンジして、
でも失敗して、
でもまたチャレンジして、
やっとの思いで夢を叶える!!
みたいなストーリーがあるから。

最初からお金持ちだったり、何にもチャレンジしなかったら、面白くもなんともないよね。

もし、我が子が最初からスイスイ自転車に乗れたらそこに子育ての醍醐味という価値はないのですよね。

視聴者にとっての"運動神経悪い芸人"

僕はここ数年テレビのない生活を送っているのだけど、年末は実家に帰って親とコタツでテレビを観る。

テレビではアメトーークスペシャルで"運動神経悪い芸人”が流れていて、親と一緒に泣くほど笑いながら観た、そんな記憶がある。
(去年と一昨年も年末にやってなかったかな?)

”運動神経はいいほうがいい!”っていうのが世間の常識なのかもしれないけど、"運動神経悪い芸人”を観た多くの人が笑い、ストレスを発散し、元気をもらっている。

野球対決なんてファイブアウトチェンジとかサイレント満塁とかめちゃくちゃなルールが導入されていくのに、最後に生まれる謎の一体感と感動はなんなのだろう(笑)

彼らは運動神経が悪いことで、僕ら視聴者に”笑いという価値”を提供している。
これは明らかな価値だ。
僕はすごいことだと思う。

世間の常識と正反対の人たちが、とてつもない価値を生み出しているのだ。

”できないという価値”はきっと他にもたくさん存在する。

そして”自転車に乗れない子ども”も”運動神経悪い芸人も”、そこにはとてつもない価値をはらんでいる。

価値は変容し、経験となり財産となる

”できないができるようになること”で”できないという価値”はある意味、ある視点ではなくなったように見える。
つぶやきでは文字数の関係で”なくなる”と書いてしまったのだけど、その価値は変容するのだと僕は思っている。

自転車に乗れるようになったことで、それは”親にとっての思い出”になる。
子どもにとっては自転車に乗れるようになったことで、”できないこともチャレンジすればできよるようになる”ということを子どもは知る。

運動神経が悪くても、例えば猛練習してホームランを打てるようになったら、その経験は多くの人に夢や希望を与えたり、具体的なプロセスやノウハウを人にシェアしたりすることで新たな価値が生まれたりする。

それは経験であり財産だ。
できなかった時には戻れないけれど、それが人生を輝かせ、自分や誰かを活かすチカラになる。
辛くなった時、過去の自分が財産となって自分を支えてくれる。

できるようになるという価値

先ほどのツイートにフォロワーの糸巻きさんからこんなリプライを頂きました。

なるほど〜。。。

糸巻きさん、自分にはない視点をシェアしてくれてありがとうございます。
おかげでこうして考えを深めることができていますよ!

そう、さっきも書いたけど、”できないからできるの過程”ってものすごく価値があって。

天才肌だったり感覚肌な人だと、「ここをシュッとしてパッとしたらピューン!って感じだよ!簡単だよ!」みたいな説明しかできなかったりして、人に教えるという意味ではあまり価値がなくて。

逆に誰にでもわかる形でその過程をシェアできる人ってものすごく希少だし、希少だからこそそこに価値が生まれ、”できないからできるようになる”という経験、ノウハウはそれだけでビジネスになったりもする。(ライザップとかね)

ビジネスや他者貢献の源泉って、”人のできない”を解決したりサポートしたりする、そんなシンプルところにあるものなのかなって思います。

できないから価値があり、できるから価値がある

僕も最近、自分の得意分野を活かした仕事をしようと思って個人事業主として開業したのですが、その根源も同じだなと思います。

自分のできるが誰かのできないを解決したりサポートしたりすることにつながると思うし、誰かのできないが存在して初めて、自分のできるが価値として輝くのだと思います。
だから僕もある意味、自分のできるを活かしてくれる"できない人"を求めているという側面もあると思います。
これもビジネスの根源的な部分な気がします。
(光と闇的な、二元論的なアレですね☆)

ナニカができてもできなくても、視点を変えれば必ずそこに価値は宿ります。

自分には価値がないというのも大切なひとつの視点だし、そこに絶対的ないい悪いはないと思います。
そう思うことも自分の自由。

でも、それが嫌なのであれば、握りしめたその手を緩めるように、視点を解放してあげてみてほしいのです。

例えば、今ではYouTubeで無料でたくさんの人生というストーリーを観ることができます。

今ではYouTuberというイメージがすっかり定着してきたキングコングの梶原さん。
YouTubeでは”カジサック”という名前で活動していますが(子どもたちには本名よりこちらの名前のほうが知られているのでは?)、このカジサックという名前もとある”できない”という苦い経験から生まれたのだそう。
詳しくはこちらの動画の7分30秒くらいから語られているのでぜひ観てみてください。

”できない”というある意味負の経験が、後の”できる”にとてつもない価値を持たせるということもあるのですね。

そんな僕も今はたくさんの”できない”を持っています。
例えば開業したのにお金の管理苦手で困ってたり(確定申告怖い笑)、多動的でアイデアや構想はたくさんあるのに具現化するのが苦手で自分のHPや名刺すらできてなかったり、ほかにもたくさんたくさん。

でもだからこそ、その数だけできないができるになったり、誰かが出会ってくれて僕を助けてくれたりする未来が存在できるのだと思います。
(その先でまだ見ぬパートナーに出逢ったり?笑)

できるから、価値がある。
できなくても、いや、できないから、価値がある。


どちらにせよ、僕にもあなたにも、最初から価値はあるということ。

そう思ったらなんだか、不思議と何も恐れる必要はないのだと思えてくる。
そう思ったらなんだか、不思議と明日もこの人生を生きようと思えてくる。

あなたもそう感じてくれたのなら、この記事には価値があるのだと思います。

あとがき〜あなたが価値〜

かなり久しぶりにこんなに長文書いたから疲れたけど、とても楽しかった〜!!

糸巻さん、ステキなきっかけをくれて改めてありがとうございます。

最後に、「そういえば昔にこんな曲を作ったなぁ」とふと思い出したのでシェアします。

8年前の当時のiPhoneのカリンバかなにかのアプリでなんとなく即興で作った曲です。
あとで”Childhood memories”というタイトルに変更したのだけれど、”幼年時代の思い出”的な意味で、当時の自分はこの記事のために名前変えといたのかもと思いました(笑)

なんとなく、小さかった頃の背の低かった視界で世界を見ているようなビジョンを起こさせる響きがあるような気がしていて。(語彙力)
みなさんも自分の小さい頃、いろんなことができなかった頃の自分に思いを馳せて自分の成長を振り返ってみてもらえると嬉しいです。

そして最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。
本当にありがとうございます。

自分のこと、たくさん褒めてあげてほしいなと思います。
あなたは今日の今日まで、たくさん自分を生きました。
とてもすごいことです。
それだけで価値があります。
できないことも含めて価値があります。
全部ひっくるめて、あなたの価値です。
というか、あなたが価値です。

本当にありがとう。

あ、僕も自分のことちゃんと褒めますね(笑)


おわりに、僕が大好きなこの曲をどうぞ。

では、またどこかで。


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