おしゃれになりたいとかそういう願望がださかったんだと気づくまで

別にたいしたことではないんです。
おしゃれになりたいとかそういう願望をもってるひとを否定したいわけでもなく、とりとめもなく、書くだけです。

中学2年生のときに、大好きだった女の子にフラれたあと、後日談で、実は服が全然好きじゃないから別れた~みたいな話を聞いて、泣けた。そのあと、よーし、僕はおしゃれになりたい!おしゃれになるぞ!と決めて、ファッション雑誌(当時、SMARTとBoonと、ストリートジャック、cstmだったかな。特にSMARTが好きだった。)をかぶりつくように読んだ。見よう見まねで四条に走って、かたっぱしから雑誌に載っているショップに入ったりしたけど、そこにはかっこいいと思える服がたくさん並んではいたものの、どこか自分はまだ着る資格がないといわれているような気がした。

今だからわかるのは、かっこいいのは、服というより、そのひとが身にまとったストーリーというか、匂いというか、音というか。ファッションの裏側にあるものがかっこいいんだよな。悔しくて、恥ずかしくなる。

当時のぼくは、服を脱いだら何にも残らないただのからっぽなガキだった。

ファッションはただの記号でしかなくて、方向性の道しるべというか、それ自身が意味を強くもつ側面もあるにはあるんだけど、別にそれだけじゃ足りないって事。結局、何もないやつがただただいい服買って着てるのに魅力もなんも感じないってこと。服に着られてオワリ、アパレルメーカーに人生の一時の青春を消費されてオワリ、要はそんな見掛け倒しなんてなんも意味ないぜってこと。自分が何者で、何が好きなのか、ただそれだけなんだろうな。

話は変わるけど、何周回ってもやっぱりシンプルで馬鹿なTシャツが好き。Tシャツが僕のスーツだし、正装って胸張っていいたい。

-Another-
御池で発売前から並んで買ったBAPEのTシャツも、四条のNIKE(後にそこで働くことになるとは思ってなかった)で並んで買ったJordan1も、いつもどこかゆるいLOFTMANも、買いたくてもなかなか手が出ないCapriも、頭を金槌で殴られたような衝撃だったDeviceも、ペロリも、Cambioも、中学からお世話になっていたspinsも、藤井大丸も、全部今でも青春だし愛している。

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