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稼ぐということ

私、時々、お友達の包丁を研いでいます。趣味ではなく、数年間ほど親方について修行をしたんです。不肖の弟子ではありましたが。
主婦のかたや、旦那さんが研がれるお宅もありますよね。
職人というのは、どんな包丁でも最短時間でいつも同じクオリティに研ぐことのできる人。そういう技能があり、その技能に対して対価を頂くのが生業。

実は、私、初めはお友達だからとお代を頂かずに研いでいたんですが、逆にタダは頼みにくい、必要な時に依頼しやすいように有料にしてほしいと言われました。たしかに…。それからお代をいただくことに。それは技術に責任を持つことでもある。

自分の技術でもいつもより手間暇かけなければいけない状態の包丁をお預かりする時には、そのことを説明します。そして、いつもの料金ではできないので、追加料金がこれこれかかりますがどうしましょうか?とお聞きします。
仮に、通常なら1本仕上げるのに30分のところ、その包丁に古くて深い錆が全体にあれば、どの道具を使ってどんな技術で、どのくらいの時間がかかるかは見ればわかります。そういう見立ても職人だから出来ることです。

そのようにしていたら、あるとき、普段は使わなくなったけどお母さまの形見だという古い古い包丁を持ってこられたかたがいらした。以来、数は決して多くありませんが、3年に一度くらい、そういう依頼をいただきます。研いでも錆が深く、切れ味を戻すことができないものもありますが、使えるようになる場合もあります。私の今の技術でどの程度まで復元出来そうか、事前にお伝えして決めていただいています。そのかたにとって大切なものを預けていただけることはとても光栄なことです。

少し脱線しましたが…そういうことまるっと含めてできることが対価に値するということ。

そこに嘘や誤魔化しはないのだから正々堂々とお代を頂く。当たり前なのに、なぜか初めの頃はできなかった。

頂いたら申し訳ないとか思ってしまう自分は、全ての責任を引き受けていなかったのかな?覚悟がなかったというか…

ただ、初めて私に依頼してくださるかたには、私の技術が本当に満足のいくものかどうかは、出来上がった包丁を使うまでは分からない。

だから、私は初めてのかたには初めの一本はお代をいただきません。出来上がった包丁を使って、それで良いと思えば、次にまた依頼してくださる。私は、チラシとかネットとか宣伝を全くしていないので、初めの一本は宣伝料とも言えます。

おかげさまで、数は多くありませんが、もう何年も依頼してくださるかたがいらっしゃいます。
そういうかたが、お友達にご紹介してくださって、お友達の包丁も一緒に研ぎに出してくださったり。もちろん、そのお友達の初めの一本はお代はいただきません。

そうやって、ほそぼそと、でも、長くお付き合いいただけていることは本当にありがたいことです。私の技術を認めていただけるかたが確実にそこにいてくださる。このことは私自身にとって何にも代え難い価値。

とてもささやかな商いですが、包丁一本に込めた技術の確からしさを保証してくれるのは、依頼してくださるかたの「満足」です。その満足を目に見える形と量に変えたものがお金。

なのに、時々、お金を稼ぐ話は、なんか卑しいとか下品とか…それって偏見じゃないのかな。

稼ぐことはお金がもらえるだけでなく、誰かのためになっているという実感を連れて来てくれます。甲斐というか。

そういえば、こんなこともありました。中越地震からの復興途中にある高齢者ばかりの小さな村に砥石持ってボランティアに出かけました。集会所の台所を借りて「一日おります。都合の良い時に包丁持って遊びに来てください。」と。屋根の雪おろしや田の草刈りのお手伝いの時に、時々泊めて頂いてた一軒のおばあちゃんに声かけて待ってたら、7軒ある村のお年寄りが順繰りに包丁持ってこられました。おしゃべりして、逆にお餅とか自家製の切り干し大根とか頂いてしまった。

息子が卒業した小学校と中学校の家庭科室の包丁を研いだこともあったなあ。マンモス中学校だったので生徒数も多くて、包丁40本くらいあったかな…みんな切れなくてね…家庭科の技術試験でりんごの皮剥きをやっていたけど、よく怪我せずにやれてたなあなんて思いながら研ぎました。切れない包丁は余計な力をかけて使うことになるので、不慣れな人ほど危険で思わぬ大怪我になることもあります。切れる包丁は無駄な力が要らないので安全なんです。むしろ、洗う時などには注意しないと手を切ったりします。

あ、ちなみに、定期的に研いで手入れしている家庭用の三徳包丁なら、1時間に5本以上研げないと生業としてはやっていけない…30分もかけてたらいけません。親方から即破門です。

今日も読んでくださってありがとう!


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