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議論よわよわなENTP

 これはあるあるなのでしょうか。僕の性質なのでしょうか。ENTPの方で共感できる方、できない方、もしくは共感できるけど別タイプな人がいたら、コメントで教えてくれると嬉しいです。


 僕の中では、常に【TiとFe】、【NeとSi】が綱引きをしている。
 NT的な事は自然に思いつくのだが、そもそも他人との議論の中では、僕のNT的意見が100%採用されると思っていない。そのため、人と話し合いをしていると、

 「合理的にはこっちが正しいんだけど、この人の立場とか感情的には違うんだろうなー…、まあ気持ちも汲んで濁しとくか。」
 「普通に新しい方法考えれば良いと思うけど、ただルールの波及範囲が広すぎるってのも一理あるから、一旦保留かな。」

 みたいな感じで、直感的に思うNTの部分を、FeとSiがかなり引っ張って、世間的な中立に引き戻す。
 その心の中も反映して、議論をしていると、誰もが納得する落としどころの範囲で、最もNTに近いエリアに着地させようと議論を操作しようとする性質がある。そのため、議論においては、「自己主張」よりも「場の操作」が基本コードになっている。
 これは僕の中では上手く生きていくために身に着けた生き方なのだが、どうも巷で言われているENTP像とは整合しない。

 「ENTPとはかくなるものだ!!」という記事を読むと、どんな権威にも反発し、論理的に言いくるめてしまう!最強!!革新的な知見でリスクを取って起業する!論破の化身のサイコパス!!みたいな、エネルギッシュでトリッキーなキャラクターが出てくる。
 わかる!わかるんだが、今の自分とは確かに違う…。

 広くENTPさんと共感できると思っているのは、Ne-Tiを大切にしている、アイデアを出す事が楽しい、認められるともっと嬉しい、ルーチンワークは苦手、っていう内面だ。(これが共感されなかったら僕はENTPじゃない)
 しかし、自分の場合それが行動に直結してない。FeとSiの引き戻しが強すぎる。

 特に、人の感情を肌で感じ取れるようになってからは、これは顕著だ。人と話すときにはもれなく、相手が楽しいように気を使いながら、さらに自分のNT的な感覚を曲げなければいけない。僕にとって、人と話すコストはものすごく高くなってしまった。

 この現象を心理機能的に考察してみると…

【Ti】
  Ne-Tiにより自分なりに論理的に正しいと思う考えはあるのだが、Tiの性質上、相手の持つ論理性もフェアに評価する。ほとんどの場合、お互いの主張は絶対的な正解/誤りではなくグラデーションなので、どんなに小さくても相手の言い分で認める部分は認めてしまう。特に、最近はFiも認識できるようになってしまったため、Fi由来の心の論理というものは、最低限認めてしまう。
 故に、自分が絶対的に正しい、というような確信はほぼ持つことができない。

【Fe】
 話していると、相手の感情をリアルタイムで察知してしまう。自分の主張が相手の意にそぐわず悲しませている場合、正論で傷つくだろうと思う場合、同情してしまう。
 そして、周囲の人の感情も効用の評価関数に組み込むため、相手が喜ぶ、という事実だけで、議論の初期位置で若干相手の側に立ってしまっている。あわせて、自分の感情は度外視しているため、最終的に感情論になった場合、絶対に相手に譲ってしまう。
 ENTPテンプレな、明らかに間違っていることに対する質問攻めについても、Feが阻害する。あまり個人を責めたててメンツを潰したくないから。

【Ne】
 面白そうなこと、新しそうなことを好む。デフォルトではそうなのだが、これは世界に否定され続けてきた。学校では、皆と同じ行動をしてNeを使わない事こそが物事の成功だと調教され続けてきた。余計な質問をする奴はハブられるから。
 世界に対して純粋に興味関心を向けても良いのだ、と自覚できたのは社会人になってからだ。そして、その頃には進路も固まってしまっていた。結局、対外的にNeを押さえつける癖は今でも抜けなくて、具体的に人生設計と連結させられるイメージがない。
(イブリースさんの下の記事でのNeの話は、めちゃくちゃ共感してしまったのである。)

【Si】
 結局は世の中はルールやデータで動くと考えている。物事は動かす力よりも安定しようとするエネルギーの方が強い。Siを無視してNeの本能的に動いていると、周りから顰蹙を受け、疲弊していってしまう。誰にでも伝わるような明白な言葉で地道にやらなければ、人は動いてくれないし、根回しと事前調整こそが仕事の要点である。
 (ただし、ここは自分がゆがめられている点な気がする。Neを貫き通して尊敬を受けている人たちもたくさんいるから。)


 そんな感じで、心理機能の綱引きが起こっており、NT的に言いたいことがあっても、やりたいことがあっても、それは必ず相対化されて、社会的に普通の事、相手の主張に譲歩した状態から議論が始まってしまう。議論において初期デバフがかかっているのだ。

 結局、議論をすると自己主張を全部通し切れるのはNJタイプだし、論破にすら持ち込まずにお気持ちパンチで「破」してくるのがFPタイプだ。僕はこれらすべてに議論で勝てない。
(こんなよわよわなENTPはENTPなのだろうか…?)

 最終的に、僕は全てのスキルポイントを正面論破ではなく、議論を操作する技術に振り切った。相手の感情を刺激すると負けるから、代わりに向こうから落としどころを変えさせる事を身に着けたのだ。
(そして人狼ゲームが天職になった。)

 そうやって折り合いをつけていく事が、大人になることだと言う人もいる気もする。実際、全ての心理機能を伸ばしてコントロールできるようになっていくことが、人間として成熟していく事だと言われている。
 ただ、やはり二律背反な機能は、お互いを阻害し合っている。
 変にFeやSiにかぶれず、なぜ?なに?モード全開の小学生の時の生き方を維持できてたら…、うーん…、成功したのならば人生としては遥かに興味深かった気がする。でも、寿命を擦り減らしていそうだし、うまくいかなすぎて自殺しているリスクもあったのかな?
 結局これは、僕の生存戦略だったように思う。

 そして、そんなしわの寄った自分の心を感じ取っているからか、その分僕は真直ぐな人に惹かれる。まっすぐのまま社会に適合できたとしたらその才能に、社会と格闘しているのであればその闘志に、かけがえのない美しさを感じているのだ。

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