自己紹介

 テルグ映画が日本ではじめて上映されたのは、1985年4月の<インド映画スーパーバザール(春):第2回インド映画祭>の「シャンカラバラナム」だと思いますが、このとき私はこれを見ました。インド古典音楽を見直す契機となった名作の触れ込みで、大使館をはじめとするインド側(やおそらく松岡環さん)の強いプッシュで上映作品に加えられはしたものの、娯楽映画として毛色の違うこの作品に、佐藤忠男先生をはじめとするシンポジウムの先生方が論評に困っていたのをよく覚えています。

「トゥラシが通りを歩くシーンで、牛糞を踏んづけてもそのまま歩いて行っちゃうんですよね」
「文化が違いますよね」
「文化が違うとわからないですね」

 歌の吹き替えのS. P. バーラスブラフマニヤムが2020年にコロナウイルス感染症で亡くなったのに続き、K. ヴィシュワナート監督もこの2月に92歳で世を去られました。ご冥福をお祈りします。

 私がはじめて見たテルグ映画は、その前年8月、ハイダラーバードで見た古典舞踊クーチプーディ師弟の映画「アーナンダバイラヴィ」です。

 モーニングショウで再映されていたこの作品を、ハイダラ到着翌日から上映が終わるまで、憑かれたように毎日見続けました。聞いたことがない音楽、見たことのない踊り、というのが大きかったんだと思います。特に前半は踊り満載で、タイマン耐久ダンス合戦も2回あります。このときは知らなかったのですが、歌の吹き替えと、主演のギリーシュ・カルナード(カンナダ語話者でシャーム・ベネガル監督作品の常連)のテルグ語吹き替えを担当していたのもS. P. バーラスブラフマニヤムでした。
 この映画で、クーチプーディはビート主体だ、という思い込みがあったために、シャンカラの歌に触発されてトゥラシが踊り出してしまうという「シャンカラバラナム」は初見ではあまり刺さらなかったのです。しかし、その後、演出上の建前は別として、シャンカラとトゥラシは本当はどんな関係なのかを考えながら見るとインドのオッサンたちが言うように名作だ、と思い至ったとき、俺ももうオッサンだな、と自覚しました。

 K. ヴィシュワナート監督の古典舞踊メインの映画としては、この時期の南インド映画の人気曲を次々と送り出していたイラヤラージャの曲をS. P. バーラスブラフマニヤムが歌い、当時人気ナンバーワンだったカマラハーサン/ジャヤプラダの共演作品、「サーガラサンガマム」がもっとも有名です。
 ただ、イラヤラージャとカマラハーサンの組合せだと、ゴッドファーザー風ファミリードラマのタミル映画「ナーヤカン」でしょう。私にとってはこの映画、舞台がボンベイの有名スラム・ダラヴィのテルグ人街(そんなもんあるのか?)、悪役はタミル人商人カーストに置き換えられているテルグ語版「ナーヤクドゥ」です。この映画でも、S. P. バーラスブラフマニヤムが歌と主役のテルグ語吹き替えの両方を担当しているからです。nī ānaṃdaṃ mā sontaṃ「あなたの喜びが私たちのもの」

 カマラハーサンのような、表情で泣かせる(笑わせる)芝居にコロリと行ってしまう、というのが南インド映画に耐性ができた理由かもしれません。邦画だとショーケンとか、高倉健なら「網走番外地」「いれずみ突撃隊」「ならず者」・・・

 テルグ語なんてわかっても映画や歌がわかるぐらいしか使い道ないよな、と思っていましたが、ラージャマウリ監督作品の登場で、まさにその使い道ができたようなので、知ってる範囲で書きとめておこうと思います。

おまけ
 ラージャマウリ監督が、ナートゥのダンスについて「これは喧嘩なので、喧嘩のような振付を入れてもらった」と語っていましたが、第1回監督作品ではJr. NTRにクーチプーディの振付で喧嘩させてますね。

「クーチプーディ(に)だってカンフーだってキャットウォークだって何にだってレディーだぜ」

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