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面白いは「僕」と「あなた」の間に生まれる。

タイトルは以前読んだ、とあるエッセイの中の一文から。

誰のだったかな。もし「私です」という人いたら教えてください。


面白いは「私」と「あなた」の間に生まれる。


そのエッセイがどんな内容かは覚えてないんだけど、この一文だけは強烈に覚えてる。しびれました。

僕なりにこの一文を解釈すると、

きっと面白さっていうのは、数学でいう公約数みたいなものなのかなぁと思うわけです。


僕はラップバトルの「フリースタイルダンジョン」という番組が大好きでもう10数回生で収録観覧に行くくらい好きです。

自分のブログにもこんな記事を書くくらいにハマっていたりします。


1つの時代の終わり。般若の敗北、そして晋平太がダンジョン完全制覇。

生で観るMCバトルは激アツだった!初めてフリースタイルダンジョンの観覧に行ってみた。


だけど、いかにMCバトルが面白いのか、熱いのかを周りの友だちにいくら熱弁しても、


「へぇ~そうなんだ」


の一言で終わります。

いくら熱弁しても、一言で終わるこの悲しさったらない。


一方で、友だちと一緒に観に行って、個人的に「面白くなかった」映画。

だけど、その友達は嬉々としてその映画がいかに「面白い」かを熱弁してくる。

その時、僕は、


「へぇ~そうなんだ」


で終わらさず、「何でそう思ったの?どこらへんがポイント?」とより相手の話をふくらまそうとします。

ああ、僕ってなんてやさしいんだろう。

冗談はさておき、なんで相手の話をふくらまそうとするかというと、相手の「面白い」を受信したアンテナをお裾分けしてほしいから。

そのアンテナを借りれば、今まで知らなかった新しい「面白い」が手に入るかもしれない。

多分、面白さって自分が何を持っているかで違うんですよね。


たとえば、面白いと言われる映画があったとする。

でも、それは映画自体が面白いんではなくて、その映画を面白いと感じる要素が自分の中にあった。だから、面白い。

そういうことなんだろうなぁと。


だから、大ヒットしたりしている映画など多くの人が面白いというものは、きっと最大公約数的なものだと思うんです。

「美しい」とかも似たような感じだと思うけど、「面白い」よりも少し幅がせまそう。


さて、長々と書いてしまったけど結局何がいいたいか、というと、

何が面白いかなんて誰にも分からないから「あなた」の思いを発信しませんか、という事。

僕からしたらめちゃくちゃ面白いのに「私なんて」と言って発信しない人の多いこと多いこと。

発信したくない人を捕まえて「発信しろよ!」というわけではなくて、発信したいという気持ちがあるなら、「試しにやってみませんか?」というお誘いなわけです。


どんなにヒットした映画でも「どこが良かったの?」という人はいる。

逆にどこが面白いのか分からなかった映画にも「超面白かった!」という人もいる。

同じ人間でも時が経てば変わるものもあります。


「自分」×「相手」=「面白さ」


もし、こういう公式があるとするならば、

あなたと「面白い」をつくれる人は必ずどこかにいる。

だから、その人に向けて発信してみませんか?


面白いが生まれた瞬間って多分思っているより嬉しいですよ。

サポートしてくれたら、小躍りして喜びます。