クソデカ感情処理自分語りからの「さなのばくたん。2023」感想

アーカイブを見る前に、会場で感じたクソデカ感情を残しておきたいんだ。

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名取さなのことを推しとしてとらえ始めたのはいつだったかな。

Youtube君によると最初に見たのは2019年3月後半、輝夜月でVtuberに入門し、キズナアイやホロ2期生を見ていた中でYoutubeにサジェストされたのがきっかけだったような気がする。

最初は数ある登録チャンネルの一つくらいの認識で、そんなに強い感情も持ってなかった。おもろい配信をする女って思ってたけど、超会議で懸命に踊る姿やたどたどしくも気持ちを表に出す姿にだんだんと配信を見る頻度が上がった。

ただ、推しという概念はあまり理解していなかった。
Vだけでなく何かに熱中できる人に対してどこか冷めた感情を持っていた。

たぶん、その概念を理解したのは2020年3月7日。はじめてのばくたん。に応募したものの、チケットが取れず残念だな~程度の気持ちでいた。
いざ中止となり、さなのばくさん。で悔しい思いを露わにしながら一生懸命準備した姿を見せてくれる名取に目が離せなかった。

そこから積極的に名取さなの活動を追いかけるようになったと思う。
彼女の成長に感動し、俺たちせんせえに向けてくれる感情に応えたいと思うようになった。

2021年3月7日のばくたん。では、雪辱を果たすように歌って踊る姿に感動し、彼女の努力に涙し、最後のシーンで冷や水をぶっかけられた。

あの病院服の姿は、謎動画、オリ曲の歌詞、名取の配信の端々で出てくるいわゆる”考察要素”から感じられる、「名取さな」という存在が薄氷の上に立っている感覚を一気に呼び覚ました。

推せば推すほど、俺たちが応援している「名取さな」という存在は本当にいつまでも続くのか?という不安を抱えることになり、ほかのVtuberが引退・卒業するのが対岸の火事とはとても思えなかった。

前回のメチャ・ハッピー・ショーでは、前々年ラストの映像があったため、正直なところ若干身構えながら見ていた。ただしそういった姿は一度もなく、言葉通り名取は俺たちにショーを見せてくれていたのだな、と変に構えてしまっていたことを反省していた。

今年。キービジュアルを見たときに若干不安を覚え、さなコレのジャケットを見たときに確信を持った。集大成ということばを名取が使うことに、おそらく何らかの「名取さな」要素が来るんだろうと思った。

それでも、年に1度の大イベントとして期待に胸を躍らせながら席についた。チッタデッラ全体が名取の誕生日を祝福しており、抱えていた不安を忘れさせてくれるような雰囲気があった。

平行世界、と前置きした中で出てくる王、キョンシー、制服。お悩み相談と称してわざとらしくもメッセージを伝えてくる姿に、言いようの無い違和感を覚えた。

最後、元の世界に戻った!と言うなかで響く誰かの足音に、ああ、「名取さな」か…と祈るような気持ちを覚えた。
暗転した瞬間、思わず唾を飲んだ。正直見たくなかった。
キョンシーが歌っていた「全部ホントで全部ウソ!」という言葉が脳裏をよぎった。

病院服をまとった名取■奈が出てきた瞬間、物語の終焉を感じた。
これまで「名取さな」が4年間で丁寧に蒔いてきた種を回収するときなんだと感じた。

でも全部「ゆびきりをつたえて」に吹き飛ばされた。
ペンラ振る余裕もなく、スクリーンを食い入るように見つつ泣いていた。

歌詞が本当に名取の言葉に聞こえたし、「名取さな」の言葉でもあった。
名取■奈と「名取さな」が同時存在し、名取■奈がナース服を纏い、「名取さな」というコンテンツとして見てきた名取が、”名取さな”に収束していく感じがした。

せんせえだけでなく名取自身も目を逸らしていると思っていた名取■奈に、正面から向き合う姿をまさかこのタイミングで見せるとは考えてなかった。

モンダイナイトリッパーのように日々駆け抜けていく名取を追いかけながら、いつかはその瞬間が来るんだろうとは思っていたし、来ないでほしいと思っていた。

でも、自分と向き合う姿をまざまざと見せつけられ、歌詞の内容で殴られ、物語は終わりではなく始まり、今日が”名取さな”の再誕だよと伝えてくれた。
こんなに感情ぐちゃぐちゃにされたのははじめて。

「私がどんな人になったとしても 変わらず いてくれるんでしょ?」
そういってくれる信頼を結ぶことができたんだなあ、って思う。

誕生日おめでとう。
自慢の推しだよ。ほんとに。

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