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ペルソナ5スクランブル クリア後感想 シナリオ編

P5Rプレイ後ソニックを挟んでこっちを消化。
ペルソナはストーリーで陰湿な所があるから続けてプレイするとしんどいからな!

クリアデータ
クリア後クエスト全制覇データ

今回はシナリオについての記事ですが、そのうちバトルについての感想も書きたいと思います。

余談ですが上記の画像通り私のP5主人公の名前は反田椿裟(つばさ)です。

下の名前はコイツから貰いました

第一話で数ページで死んじゃうキャラのくせになぜかやたらカッコいい名前と極道技巧持っているヤツで好きです。

【各地の王たち】

日本全国各地で悪さをしている王を改心させる一夏の旅に出るというのがP5Sの基本シナリオで、この王たちは劇中でも言及されていますが、決して悪人ではない。

仙台編より
仙台編より
仙台編より

最後の王である近衛明を除けば、各地の王の現実世界での認知は「スマホアプリのEMMAでトモダチ登録するとトモダチになった人間を思い通りに操れる」というものでしかなく、こんなもん悪用しない自制心の持ち主の方が希少でしょう。
そのうえ各地の王は思い通りに操れる人間を使って犯罪まではやっておらず(本人自身は犯罪を犯していますが)、自分の夢を叶えるための道具として使っていたあたりかなりブレーキが利いています。

あとアリスちゃんは佐倉綾音のノリノリ悪役ボイスが聴けたので大満足。

おのれアトラスあやねるになんてことを言わせるやがる!(ありがとうございます)

ともあれ、現実世界で犯罪行為をしておきながら醜い自己弁護で己の欲望を肥大化させていたP5本編のパレスの主どもに比べたら善人です。
それはそれとして私は金城好きですけどね。

【王=Ifの怪盗団たち】

柊アリスのトラウマルームを見た時点で「ん?」となった点で、王は基本的に怪盗団メンバーの誰かの「ありえた未来の姿」とでも言うべきキャラクターですね。

実際に終盤でお春さんがそれに触れています。

【柊アリス=杏】

アリスは秀尽学園OGで、おそらく素で美少女だったからこそ、いじめられていた経験があったとトラウマルームの内容から怪盗団は推測しています。

一方で杏は白人系の特徴がモロに出たクォーターの美少女で、いじめられるとまでは行かないものの女子からハブられるという生活を送っていました。……というかもしかしかすると高校三年生の今でも杏自身が気にしていないだけでハブられは続いている可能性もあります(竜司もそんな感じだし)。

そんなアリスが宿した希望は杏と同じく「輝かしい自分になりたい」「誰かの光になりたい」というもので、アリスは立派に自分の力でその夢を成し遂げていたはずです。
王にされてしまったから暴走しただけであり、そもそも地力がなければ王として利用されるに至るほどの知名度も持てなかったはずですからね。
しかし「王の力で他人を改心させる」と「怪盗の力で悪人を改心させる」はどう違うのか、ということは近衛戦で議論バトルとして繰り広げられるくらいに本作のテーマです。

ようするに杏も「志帆という親友がいたから」「怪盗団の仲間が孤独に苦しみ良心に富んだ少年少女たちだったから」という幸運があったから悪人にならなかっただけで、一歩間違えばアリスと同じような、いやもっと悪い人生を歩んでいた可能性も十分あったでしょう。

【夏目安吾=裕介】

仙台編は異世界転生系に対する痛烈な皮肉だらけでプレイしていて笑いが止まりませんでした。

ペルソナスタッフは本当に性格悪い連中ばっか揃っていやがるな!(褒め言葉)

※※※

仙台編シナリオはP5本編の斑目編シナリオだけでなく、裕介の皇帝コープシナリオも下敷きになっています。

自分で盗作したか、師匠が盗作したか。
この違いはあれど、夏目は祖父の書いた小説に心が救われ同じ道を歩みたいと決意してペンを取り、裕介は母が描いた(と知らなかったが)絵に惹かれて同じ道を歩みたいと決意して筆を取ったという点で、杏=アリスと同じように出発点は同じです。
また皇帝コープでの裕介は「サユリ」の美しさに遠く及ばぬ現実の自分に苦しんでおり、このあたりも祖父の書いた小説に及ばぬ自分の筆力に劣等感を抱いていた夏目も同じですね。

さらには裕介は皇帝コープで「劣悪な師の下で虐げられていた美形少年絵師」という触れ込みで画壇デビューしないかという取引を持ちかけられて、怒り苦悩する場面もありました。
裕介はこの取引を友であるジョーカーのおかげで突っぱね(というか途中で忘れるくらい創作に没頭した)られましたが、夏目は同じような取引である「祖父の七光りで大賞デビューさせてやる」に屈してしまった。

夏目のトラウマルームでifの自分だと悟る祐介

※※※

ちなみに裕介は文章については素人だと自称しているものの夏目の小説については「文章自体は上手いと思う」「でも中身が空虚」「創作ならばどんなに技術が稚拙でも伝えたいモノがあればそれがあるはずなのにこの作品からはそれを感じられない」と感想を述べています。

これ、皇帝コープで裕介が描いた作品である「欲望」の評価と似ているんですよね。
「画法技術自体は年齢の割には高い」「でもこれは『欲望』を説明しているだけで何も伝わってこないし込み上げてもこない」とズタボロに酷評されてます。

※※※

畑は違えど裕介が夏目に対して始終親身に接していたのはありえた自分だというものだからだと思います。

P5本編での話ですが斑目に残った弟子がもう裕介一人しかいなくなっていた時点で、怪盗団が手出ししなくても遅かれ早かれ斑目は画壇界から切られてリークされてしまい、祐介は劣悪な師の下からは抜け出すことはできたと推測できます。
でもその時にジョーカーのような信頼できる友人がいなければ道を誤っていたであろうことは、P5Sシナリオでも上述画像のように裕介本人が触れています。

【近衛明=怪盗団】

近衛については特定キャラというわけではなく、怪盗団全員のifの姿と言えます。

彼の正義感は本物であり「改心」を使って悪人を私刑するのは一緒じゃないかと、戦闘前に怪盗団と熱く長い論戦を行っています。
怪盗団は「全会一致したターゲットのみ狙う」というプロセスを踏んで個人の「改心」を行う。
一方で近衛は「『改心』をシステム化させ善良な人々が多くなり、弱者が虐げられない社会を作る」としています。

赤線は私が勝手に引きました

このあたりは「改心」という異能をテーマとしたメガテン系のアライメントである「カオス」「ロウ」の論戦そのものですね。
P5の怪盗団たちはバリバリの「カオス」で自由意志と個人の尊厳を守ることを第一としており、それを踏み躙るような輩を一番嫌っています。
まぁ本家メガテンほど苛烈なカオスではなく現在の社会まで否定してブッ壊すまで行きませんが。

モルガナは主人公の代弁者という側面もあるため
超ストレートなカオス意見を言うことが多いです

一方で近衛の主張もバリバリの「ロウ」です。
彼が完成させたアプリEMMAによる「改心のシステム化」は人を管理し導く人工神を作るのと同義であり、ルールに逆らう意志さえ摘み取るシステムを自作してそれに殉じるという姿勢はP5ボスキャラの中でも一番わかりやすいタイプのロウと言えるでしょう。

ここから前後してアライメントについての話が続くので「アライメントってなんのこっちゃ」って人は以下のリンクでわかりやすく説明されているので参考にしてください。

※※※

アライメントで言えば怪盗団は混沌にして善(ルールに縛られない利他主義者)であり、一方近衛明は秩序にして善(ルールを順守する利他主義者)であると定義できます。
同じ善であることが、獅童や明智のような秩序にして悪(ルールを悪用する利己主義者)という対極位置の敵と違うところで、だからこそ怪盗団のifの姿が近衛明だと言えます。

「改心」という異能を手にした時、怪盗団の導き手は混沌善を体現するモルガナでした。

しかし近衛は悪を憎み善を欲する心はあっても、導き手や理解者がいなかった。
彼は幼い頃に父親を殺してしまわなければ自分が殺されるという正当防衛でしか生き残る術が無く、その罪悪感が他人との心に溝を作ったのかなと推測しています。

結果、彼の目指すべき理想はフィクションのヒーローであるゼファーマンだけで、社会の秩序は自分のような力なき子供を虐げるという事実に義憤を燃やし「今の社会秩序が罪無き人々を踏み躙るならより良い秩序を自分が構築し社会にもたらしてやる」という独善に暴走してしまった。

近衛にも腹を割って相談できる理解者がいれば軌道修正してくれたのでしょうが、それは彼自身の生い立ちと本物の正義感が阻んでしまったので劇中の結果は必然と言えます。
P5Rの丸喜先生も悲しい敵であり怪盗団のありえた未来でしたが、近衛は止めてくれる人がおらず作ることもできないだけの事情があったという点で、より悲劇性が強いですね。

なお、最初に「近衛以外は善人」と書いたようにここまで近衛寄りの意見を書いておいてなんですが私は近衛を悪人だと評価しています。
どんなにより善い世界を作る素晴らしい計画であったとしても、自分の部下を自殺させておきながら隠蔽し、その罪を他人(それも未成年)におっ被せた挙句、自らが有利に立ち回るためにこれまた子供を利用する。
EMMAがそう提案したとしても、彼が善人であれば「それは犯罪だからできない」と突っぱねるべきであったのにこれだけの悪事をやっちゃったあたりが秩序善の「悪人」と言えます。

アライメントの解釈は多数ですが「ロウ」軸では既存の秩序に添うのだけがロウではなく、新しいルールを作る者もまたロウと言えます。
自分ルールを他者にも沿わせるように世界を作り替えると「ロウ」になり、自分ルールを貫くためなら手段を選ばないが他人は勝手にしろよなのが「カオス」というのが私の意見ですね。

※※※

ちなみにメガテンを主軸としたP5のアライメント考察ではこちらの記事が本当によくできています。
P5無印ではカオス軸だったのが、P5Rではニュートラルへと変化したという視点はかなり鋭く、丸喜戦を経験しなかったP5Sの怪盗団がバリバリのカオスなのも納得です。

【道を踏み外しそうになった時に支えてくれるのが友人】

P5Sのテーマはコレかなと思っています。

「人の良き友人」であらんとするソフィアが「良き友人」とは何かを学んで成長していく様がストーリー中では丁寧に描かれています。

最初の渋谷ジェイル攻略後のソフィアの意見
最終決戦手前のソフィアの諭し
最終決戦手前のソフィアの諭し

ソフィアと対になるEMMAとは先述したロウフル近衛とも被さるところがあり、秩序にして善の体現者であるEMMAと混沌にして善になったソフィアどちらが人に必要であるかというのが最終決戦の内容とも取れます。

かなりのネタバレになりますが、ソフィアの覚醒したペルソナはパンドラ

ギリシャ神話において人類最初の女性であるパンドラは人の良き友人となれたのか?
箱を開いてもたらした混沌善は本当に希望あるものなのか?
AIという新技術は果たしてパンドラの箱なのか?

※※※

P5S発売の2020年から2年後の去年から、AIによる各種創作についてが日夜SNSでは騒がれているあたり、ペルソナスタッフはやはり社会の混乱の種について先見の明があるなと思うところ。

P4のマヨナカテレビなんかはYouTuberや生配信の闇と被るところがありますが、P4の発売は2008年でまだその手の問題は浮上しておらず動画サイトが定着したあたりの頃なので、人間の心の闇を描くのがペルソナのテーマである以上現実の未来の問題についても結果的に先取りして描いてしまうことがあるんでしょうかね。

【死ぬ瞬間まで遅くはない】

「道を踏み外しそうになった時に支えてくれるのが友人」というのは、同時に重く暗い裏返しの現実もあります。
「そもそもそんな良き友人に出会えず恵まれなかった不運な人はどうするんだよ」という身も蓋もない話が。

ラスボスに怪盗団たちは「貴方たちは強いからなんとかできるけど、多くの人はそうではない」と批判されていますが、これはモルガナの反論のように「強いんじゃない。強くなったんだ」だから的外れな意見です。

なおソフィアも最終決戦直前まではEMMAと同意見部分もありました

なら、そもそも強くなれるきっかけである人の巡り合わせに関してのみはぶっちゃけ運です。
極論、怪盗団たちはただ運が良かっただけで、人の巡り合わせが悪かったら王たちのように道を踏み外していたのだというはP5全編において明言されていないものの繰り返し提示されているテーマであり、大変残酷な現実です。

※※※

でもそんな無味乾燥で酷薄な現実を突きつけて終わらせないあたりがP5Sのいいところで、杏は同じ悩みと希望を抱いたアリスに「友達になりたい」と言い、祐介は夏目に「お前が必死に書いてきたことを俺が認めてやる。俺がお前の作品の読者だ」と寄り添い、鞠子は犠牲者になった子供の母親から叱咤激励され、近衛は善吉に「なれよ。ヒーローに」と焚きつけられ、一ノ瀬はソフィアともう一度やり直すために旅に出る。

失態や罪を犯したとしても、その罪を暴いたり糾弾した当の本人が手を差し伸べて良き友人であらんとする。
これ、相当キツいテーマです。殻に閉じこもって人との接触をできるだけ最小限にすれば、傷つくことはないわけですから。でもそうすると当然、手を差し伸べられていることに気がつかなくなってしまう。

死ぬ瞬間まで「自分は巡り合わせが悪いんだ」という言い訳をさせないとも取れるわけで、いい話ですけど本当にキツい話です。

【それでも手を取るくらいなら死を選ぶ】

P5S本編の話からはズレますが、P5Sで繰り返し描かれてきた「罪を暴く人物こそが良き友人である」というテーマに真っ向から反逆しているのがP5のライバルキャラである明智吾郎。

明智は怪盗団との敗北後に、双葉と春(明智が二人の親を殺している)にすら手を差し伸べられて「一緒に協力して獅童を倒そう」と持ち掛けられてすごく悩んだ挙句、自分が自分であるために父親の認知存在である自分と刺し違えることを選びました。
差し伸べられた手を取って窮地を脱するという選択肢があったにも関わらず、明智が劇中でああいう行動を取ったのは複数の解釈があるのでしょうが、いずれにせよ「明智のプライドがそれを許さなかった」というのは間違いないところ。

そして手を振り払ってもなおまだ届かぬ手を差し伸べられるという……

吾郎ちゃんは本当に面倒くせーキャラしています。さすが怪盗団のライバルだけあって、登場すらしていないスピンオフ作品ですら中指おっ立てて怪盗団を批判してくる恐ろしいヤツだ。

【まとめ】

ガチでクズの胸糞悪い悪人がいないお話だったということもあって、プレイ後の気分は大変に爽やかでした。
「これでいいんだよ」って感想が湧いてきますが、でもやっぱりP5本編が苦い終わり方しているからこそ「これでいいんだよ」という気もします。

※※※

また、ソフィアのペルソナ覚醒シーンでの台詞はP5無印で大罪の徹甲弾を撃ったサタナエルと同じ「創造主への反逆者」というテーマを引き継いでいますね。

ただの反逆者ではなく「創造主の望みを理解しているからこそ、あえて命令に従わず反逆する」という点ではヤルダバオトに対峙するサタナエル以上に、四文字様に対立したルシファーと同じだというのが私の意見。
個人的にはルシフェルが堕天した理由は傲慢とか人間への嫉妬ではなく、「アンタの命令に素直に従っていたらこいつら人間はいつまでたってもアンタの望んだ通りにならないから俺が汚れ仕事をやってやるよ」というものだと思っています。

P5Sは、P5無印の戦いを経て既に鉄の結束を結んだ怪盗団だからこそできた相手を思いやるが故に批判して「お前は一人じゃない」と言ってあげられるというお話だと締めることができるかもしれません。

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