見出し画像

鬼滅の刃 私が妓夫太郎大好きな理由

アニメで刀鍛冶の里編やっている真っ最中に遊郭編のボスキャラの話してどうすんだよって話ですが知ったこっちゃねぇ。

【鬼いちゃんは利他主義者】

お前正気かよと思われるでしょうが、私から見て鬼いちゃんこと妓夫太郎は利他主義者である。
より正確に、そして残酷に言ってしまえば妓夫太郎には確固たる己がない。
自分が無いから他者への反応でしか物事を決められない
、アレで案外自我もエゴも薄めの生き物だというのが私論です。

じゃなきゃ基本的に普段は寝ていて妹がピンチの時だけ起きるなんてスタイルは取っていませんよ。

寝起きの鬼いちゃん

【妹はエゴイスト】

妹の堕姫は生前の梅時代はどうだったのかはよくわからないとして、鬼になってしまってからは、コレでどうやって吉原みたいな国公認の盛り場で遊女やれていたのが謎なレベルで頭が悪くてワガママで自己中心的な性格です。

しかし逆に言えば儘であるという漢字を見ての通り、自己中心的という漢字も見ての通りで、彼女はわかりやすいエゴイスト。自分の思い通りにならないとすぐ癇癪を起こし、自分の美的感覚に沿ったものしか口にしない。

そんな悪ガキそのものな妹を可愛がって守ることにリソース全振りしているのが鬼いちゃんこと妓夫太郎なのです。無惨様からも「妹が脚引っ張ったから負けた」と無惨な評価。
まぁさすが忍者なので死んだフリが得意技な天元さんとか胸貫いたはずの伊之助とかはともかくとして、善逸にトドメ刺さなかったのはごもっともですね……。

話はズレましたが、生前の頃はともかくとして鬼になってからの妓夫太郎は妹に全てを捧げて鬼生送っていたと言っても過言じゃないです。
……逆に言えば割としょっちゅう正体見破られてスパスパ首刎ねられていたという話になりますね堕姫は。堕姫の正体を見破った時点でなぜ本隊に連絡することを最優先事項にしないのかこの鬼殺隊という脳筋復讐鬼集団は。

※※※

そういう意味でも「二人で一つ」というのは本当の所と言えます。妹が決めて、兄が動かなければこの鬼兄妹は正直アンバランスすぎて弱い。
後述しますが、この弱点を突かれたことこそが敗因になったとすら言えるのが悲哀であり救いでもあるところ。

【歪んだ社会の鏡】

注:堕姫の口を借りて妓夫太郎が喋っています

また「妓夫太郎は自我やエゴが薄い」と先述した理由の一つがコレ。
生前の台詞でも

この世にある罵詈雑言は全て俺のために作られたようだった

やめろやめろやめろ!!
俺から取り立てるな

何も与えなかったくせに俺から取り立てやがるのか
許さねえ!!
許さねえ!!

誰も助けちゃくれない
いつものことだ
いつも通りの俺たちの日常

いつだって助けてくれる人間・・はいなかった

社会から虐げられ、搾取され、刈り取られるばかりだった妓夫太郎に、社会の常識を求める方が無理というものでしょう。
彼は社会から教えられたこと=「お前は醜く汚く卑しく無価値だ」というレッテルを律儀に社会へ返しただけです。
その結果、凶暴で手のつけられない取立て率120%というやってはいけないところまで借金の取立てする化け物が誕生したのは当然と言えましょう。

殺すならいっそ赤子の時に、産まれる前になぜ殺してやらなかったのか。
使うのならなぜちゃんと教育してやらなかったのか。

社会の半端な情と悪意をそっくりそのまま反映したのが妓夫太郎です。
生前の瀕死時の体型を見るからに彼もまだまだ少年であり、自我の確立が不完全な時期に鬼籍入りして、そのまま精神的成長を遂げられなかった永遠の悪ガキと言えます。
彼が「社会から向けられた悪意」と「妹から向けられた愛情」の二つを擦り合わせて、世界に向き合い社会適応するにはまだ時間も足らず、何より教え守ってくれる大人がいなかったが故に、自我の薄い脊髄反射的な考え方しかできなかったのは仕方のないところなのでしょう。

※※※

吉原が以後この兄妹の暗躍によって多数の犠牲者が出る魔所と化したのは、吉原の大人たちがこの兄妹に対して慈悲の死も、慈愛の施しも何も与えず搾取し続けた報いですね。
もっとも兄妹の虐げに全く関係のない大正時代にまでその因果が残っていたのは……無惨と鬼殺隊に怒りを覚える案件ですね。

それはそれとして百年も吉原以外で生きることを考えられなかったこの兄妹には哀しみを覚え、百年も吉原みたいな目立つところで大暴れしていたこの兄妹鬼を刈り取れなかった鬼殺隊には呆れを覚えるのですが……。
いやホント無能にも程があるぞ鬼殺隊。せいぜい下弦くらいの時期に察知してなぜ狩れなかった。たぶんご都合主義。

【兄としての共感。そして敗北】

そんな妓夫太郎の悪ガキマインドに革命を起こしたのが炭治郎。
「妹を守る兄」という点で強い共感を覚えた炭治郎を妓夫太郎は煽りまくりますが――

赤丸部分に注目

正直私は「なんて優しいんだ!?」と驚愕したシーンだったりします。

というのも、考えてもみてください。フィジカルにピンキリはあるものの、十二鬼月クラスともなった鬼は素手で人体を引き裂くくらいは余裕なのです。
赤丸で囲った部分を注目していただければわかりますが、そんなパワーでやったら腕は肩か肘からちぎれるだろうし、手の平を握れば指は全部血煙となり、頭をはたけば頭蓋骨が砕け散って脳ミソをブチ撒ける。
この場面の暴力は全部繊細に手加減しているんです。

ちょっと力加減間違えたら脊椎ポキッてやっちゃうのに
生前ブーメラン発言をして「兄の矜持を見せてみろ!」
と叱咤激励するシーンにすら見えてきたり

もちろん簡単に死なせてしまってはいたぶる面白さが無くなるからだというのが大きな理由なのでしょうが、指くらいは全部もぎとってもどうせ即死しないうえに戦闘能力を失いますし、堕姫は炭治郎の目だけは気に入っていたので目玉だけ抉り取って妹にあげちゃってからいたぶっても全然OKなのに、この手加減具合はもういたぶるを通り越して体罰付きの説教です。あるいは単なるご都合主義。

※※※

挙句この有様。

ちょっと待って君無惨様に「耳飾りの剣士ブッ殺せ」って命令されてなかった?

もはや公私混同、完全に仕事を忘れるレベルで竈門兄妹、とくに炭治郎が気に入ってしまったわけなのです。
ちなみにここ堕姫が勧誘を嫌がっているんですけど鬼いちゃん珍しく妹の意見ガン無視しています。無惨様の命令はたぶん頭から完全にスッコ抜けている。それほどまでに炭治郎に共感を覚えてしまった。

※※※

鬼殺隊視点で読めば、鬼に勧誘してくる邪悪で陰険な鬼というのが妓夫太郎なわけですが、妓夫太郎視点で見れば我を忘れるくらいの「共感」という歓喜が芽生えてはしゃいじゃったとなってしまうのです。

けれど人食い鬼の妓夫太郎がいくら共感を覚えたとしても、人間の炭治郎にくれてやれるものは「死」か「鬼として生まれ変わる権利」かの二つだけ。
鬼殺隊からすればそりゃおぞましく、反吐が出るような提案でしょう。
でも無惨の血以外何も与えられなかった妓夫太郎が炭治郎に与えられるものは、この二つくらいしかなかった。
ようするにこのシーン、妓夫太郎は最大限の譲歩と贈り物の提案をしているのです。

なおこの親愛なる兄から兄への贈り物に対する返答は不意討ちからの断頭の一撃でした。
まぁ鬼殺隊はそれが仕事だから仕方ない…………(そもそもこの戦闘に至ったのは炭治郎が帰還命令に即従わず挙句の果てに無断で勝手に堕姫と戦闘を始めたせいで戦力不足の行き当たりばったりでノープランの不利な戦いになったのはさておくとしておきます)

【共感≠自我の芽生えの代償】

そしてこの妓夫太郎が迂闊にも炭治郎に隙を丸出しにした所から怒涛の反撃が行われ、結果的に兄妹鬼の首は刈られることに。

鬼になってしまったら精神的成長が遂げられなくなり、後は無惨の血の影響で本来の人格がどんどん無惨因子に汚染されていく――というのは勝手に自己解釈しているところなんですが、この炭治郎に鬼の勧誘を行った時の妓夫太郎は、生前すらも含めて初めて「自分自身の意志でやりたいこと」「妹以外に愛することができるかもしれない友」を見つけた、つまり自我が芽生えかけた瞬間=大人になりかけたのではないかと思っています。
ようするに狛治や後の炭治郎と同じく無惨の呪いを克己心で以て超克しかけた鬼の一人。
とはいえ、あのまま本当に(絶対ないだろうけど)炭治郎が鬼になることを了承したとしても無惨が許さないので、どの道炭治郎に共感を覚えた時点で妓夫太郎の死は決定していたとすら言えます。

社会の鏡であり、妹を守ることにだけアイデンティティを見出していた妓夫太郎という少年が、自我(エゴ)を見出したことそのものが終わりの始まりだったというのは哀れではありつつも、必然であり、無惨の虜囚から解放されたことはそれもまたある種の救いだったのかもしれません。

【嘘だよ】

妹を溺愛しつつも内心ではやっぱり腹に据えかねるモノもあった鬼いちゃんの図

この期に及んで、ガキ丸出しの兄妹ゲンカをしてしまうというのもこの兄妹の幼稚さが現れ出ているところで哀しい話です。

まさかの敗北と死を目前に、内に溜めていた感情や鬱憤が爆発してしまい、堕姫も図星だったのか途中から言われっ放しだったあたり炭治郎の「嘘だよ」こそ嘘であり残酷な真実であるというのが私の解釈です。
そもそも「首くらい自分でくっつけろよなぁ。お前は本当に頭が足りねえなぁ」「俺の可愛い妹が足りねえ頭で一生懸命頑張っているのをいじめるような奴は皆殺しだ」とか言っちゃってますしね……。妹の頭の悪さに関してはさしもの鬼いちゃんも認めているところであった。

でもたった一人の愛しい愛しい家族いもうとに怒りや不満といったマイナスの感情を覚えて何が悪い。
その醜い汚濁に満ちた憎悪もまた真実。
それ以上に、その醜い汚濁を抱えて超克する愛が生前のこの兄妹の間にあったのもまた真実なのですから。

親もきょうだいも選べないのですから、そこに憎しみが生まれるのは当然です。
でもだからこそ、その選択権のなかった関係から愛情が芽生えるからこそ家族愛は美しい。

……というか炭治郎お前本当に妓夫太郎の言うようにちゃんと妹を守ってやれ。いつもちゃんと妹のこと考えてやれ。それたった一人残ったお前の大切な最後の家族なんだぞ。
この遊郭編の後で、炭治郎が禰豆子との関係を見直し、鬼の本能に負けて暴走した一件を深く反省し、その愛情が刀鍛冶の里編のラストとなる「兄妹愛が太陽を克服した」という形にしてくれたらどんなに良かっただろうと惜しく歯がゆい想いに駆られるところです。
私が鬼滅を褒めてんのかけなしてんのか微妙な記事ばかり書くのは「もっといいやり方があっただろう」という拙さと、そこから目を逸らして都合の良いように消費する世間の過大評価への怒りからですね。

【実際、梅がいなかったらどうなっていたか?】

話がズレましたが、実際妓夫太郎が言うように彼に妹がいなかったらどうなっていたでしょうか。

先述したように、社会から悪意と搾取を受け続けた妓夫太郎は、そっくりそのまま社会に対して悪意と取り立てを返す化け物になってしまいました。
でも、妹の梅は兄を愛した。
名前すら与えられなかった少年にとって「お兄ちゃん」と親しみを込めて呼んでくれる妹は、どれだけ愛おしくてたまらなかったかは想像を絶するモノがあります。
……書いててはじめて気づいたんですけど、妓夫太郎は自分の名前が無く「虫けら、ぼんくら、のろまの腑抜け」と呼ばれ続けていたわけですから彼にとって己を定義する本名は「お兄ちゃん」だったとすら言えるのではないでしょうか。
妓夫太郎のアイデンティティの根幹は全て妹に依ってのみ構成されているとすら言えます。
そりゃそこまで行くと先述したように愛情の裏に不満や鬱屈だって溜まるでしょうよ。

※※※

ようするに、妹の梅が「お兄ちゃん」と呼んでくれなかったら、愛情を与えてくれなかったら、妓夫太郎は「虫けら、ぼんくら、のろまの腑抜け」で在り続けたわけです。
それでも持って生まれた凄まじい生存欲求と、それを満たすだけの手段を選ばない生き方ができていたので、長じることはできたかもしれません。

でも、そこにいるのは中身が空っぽで、己が醜く汚く卑しく無価値だと認めるだけの少年です。
おそらく、悪人が都合のいい道具として拾って仕事を仕込み、適当なところで使い捨てるのが関の山だったのではないでしょうか。
愛情を与えられる機会がなかった名無しの少年にとっては「自分を道具として使う」人間ですらも「自分を必要としてくれる」と勘違いしてそのまま破滅の道をまっしぐらに墜落するのが自然でしょう。
……書いてて本当に悲しいけど、このパターンはあまりにも現実にありふれたお話というのがやるせない話です。

そういう意味で「妹が生まれていなかったらもっと最悪な人生が妓夫太郎を待っていただけ」という結論を出さざるを得ないところがあります。

【おわりに】

私は鬼滅の刃は「家族愛」がテーマだと思っているんですが、ある意味これの集大成であったのがストーリー全編で見ればやられ役の中ボス程度でしかなかった上弦六兄妹と言えるとすら思っています(次点で兄上戦)。
それくらい、上弦六兄妹と竈門兄妹の対比は本作のテーマに通じています。

また、どこまでも子供であることから脱却できなかった上弦六兄妹が、だからこそ二人で一緒に地獄に落ちることを選んだのに対し
痣の代償があるとはいえ一応は成人でき、カナヲと結ばれて大人になることができた炭治郎は、鬼殺隊や新たに得た家族との絆の方を大切にし、妹の禰豆子は禰豆子で別の伴侶を見つけて二人それぞれに別々の道で大人になっていったというのも悲しい対比に見えます。

きょうだい愛は尊いけど、やはり社会に揉まれ大人になると希薄になって薄れてしまうものなのだと。
そうあらなければ人の営みにはならないのだと。
わかっている。わかってはいるが、そこまでして社会的務めを果たさなければいけない理由はなんなのだ?
鬼も被害者だったのに救える手立てをなぜ身内を鬼にされてしまった者も多い鬼殺隊隊員は願わなかったのだ?
鬼は全員地獄落ち、鬼殺隊は痣でほぼ全員若死にして後に起きた凄惨な戦争と戦後を大人の責任を果たさねばならない世代で体験せずに済んだというのは不公平すぎないか?

そんなに普通の人間、普通の営みというのは尊いのか?

そう考える私にとって、兄妹離れず地獄でもどこまでも一緒に逝くことを決めたあの二人こそが、哀しくも美しくどこまでも己を曲げず貫ききった、人間の尊い姿だと思うのです。

この記事が参加している募集

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?