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ペルソナ5スクランブル ボスシャドウデザインについて

感想自体がかなりヴィラン寄りだったのですが、今回の記事は完全にヴィランのための記事。

↑感想記事↑

各ジェイルボスの姿についてのお話になるのでスクショも使う関係上、ネタバレになります。
目次でもジェイルボスの名前使っちゃうからネタバレ見たくない人は本当にここが瀬戸際だ!

【最初に】

なぜこんな記事を書こうかと思った原因ですが、P5Sのボスシャドウの戦闘形態は最初から最後まで一貫して「悲しい」「胸が痛い」という印象を覚えたので、その感想を一つの記事にまとめたかったというところ。

P5本編のボスの男性キャラのシャドウは皆「浅ましい」「醜悪な欲望の露出」といった面が突出しており(ただ、金城と奥村社長はバックボーンを想像すると少しだけ悲しさを覚える)、この点でわざわざ考察する必要性は感じなかった面が大きいです。
いや金城だけはメインで記事書きましたけどあいつは例外。あいつはクズだけど好き。

しかしP5Sのボスキャラシャドウは劇中でも言われている通り「決して悪人ではない」という点で、欲望ではなくトラウマがまず第一にデザインに出ていると解釈しています。

ある意味ではP5SのボスキャラシャドウはP4の仲間のシャドウに近い部分があると思います。
ただP4のシャドウは「対象人物の目を逸らしたい自分の影」が純粋に顕在化しているわけではなく「人は見たいものを見たいように見る」マヨナカテレビ視聴者たちの補正が入った結果、あえて滑稽で露悪的になっている面も強いと私は見ています。完二やりせちーなんかいい例ですね。

【柊アリス】

シャドウアリスと現実のアリスの落差だけなら、とくになんとも思わなかった娘でした。
というかそもそもP5Sがどういう話なのかよくわからん内に、現実にしろシャドウにしろぶっ飛んでいる格好のアリスと短期間の内に両方で出会いますからね……そんなの考察している心の猶予が無ぇ。

現実のアリス
シャドウアリス

現実のアリスは不思議の国のアリスをモチーフにしていますが、単純に彼女は自分自身をアリス・リデルに見立てているわけではなく、自分自身の周囲を「不思議の国」にしたいという方向性が見えるデザインですね。
一方で、シャドウアリスは非常にセクシーな女王様スタイル。念動系の使い手でもあるためかサイケな色合いが強く、なんか若干サンバまで混じっている気がする。

【戦闘形態】

アトラスめなんて悪趣味なんだ……と歓喜と悲しみが湧き出たデザイン。

さらにセクシーなバニーガール姿に変形しており、太股には隷従させた男の暗喩であるニンジン(ニンジンってのがさらにもう……)を差しており、やたらとお尻を強調してヒップアタックまでしてくるという……。
というかあやねるボイスのこんな格好のキャラに「ぴょんぴょん❤」とか言わせるとかごちうさファンにケンカ売ってんのかアトラス。いいぞもっとやれ。
……でもこれコーエーテクモ側スタッフもたぶん相当悪ノリしているな?

※※※

ボス名が「マッドラビット・アリス」であることから不思議の国のアリスに登場する三月ウサギが元ネタであることは間違いないところ。

三月ウサギがなぜマッドなのかというと繁殖活動に必死で発情しているからというあたり、どこまでも性的な属性を持つ姿であると言えます。

しかし戦闘形態に変身した直後の台詞が「さあ急がなきゃ。時間に遅れちゃうよ」だったり初対面で招待カードを渡した時の台詞が

こうだったり、インタビューでの言葉から元々のアリスの純粋な願いは「自分は不思議の国への案内人である白ウサギのようにありたい」と取れる点が多いです。

ようするに「男をたぶらかす魔性の発情ウサギ」という外聞からのトラウマと「夢の世界への案内人」である理想の姿が、同じウサギという属性をもって合体事故を起こしているのですね。
外聞評、レッテルに自暴自棄を起こして「お前らがそう望むってんならそうなってやるよ!」というのは、元は陸上少年だった竜司がヤンキースタイルになっちゃったってあたりにも通じます。

先取りして書いてしまいますが、P5Sのボスキャラシャドウのデザインに私的に「悲しい」という感情を覚えてしまうのはこのトラウマで塗り潰された醜悪な姿の一片に気高い本人の希望が垣間見えるところ。
正にパンドラの箱の中に取り残された一握の希望……とまで言ってしまうのはちょっと勘繰りすぎかもしれませんがね。

【余談】

P5Sのチュートリアル開始地点となる地下水道のゴミ捨て場ですが

机にイス、スライドドアやロッカーの蓋などが……
側面から見た図
こちらは教科書の山っぽいものが……

そしてこちらが渋谷ジェイルのトラウマルーム。

積み上げられた机……スクールカースト……
ちなみに時計は逆周りしています

ソフィアといい認知世界の渋谷のゴミ捨て場は誰かのトラウマがやたらと溜まっていたようですね。
メメントスを破壊した影響かも……。

【夏芽安吾】

P5の斑目もそうでしたが「虚飾」が大罪なだけあって、滑稽さと金ピカっぷりが通じるデザインですね。

現実の安吾
シャドウ安吾

【戦闘形態】

金ピカドラゴンですが、ファンタジーの魔王はドラクエしかり本性はドラゴンってパターンが伝統ですね。
割と異世界転生系でもそこらへん踏襲しているものが多く、プリンス・オブ・ナイトメアでもそういう設定だった模様。

一番のチャームポイントは現実安吾から一貫して嵌めている指貫グローブ。
色んな作家のパロが入っているキャラですが、たぶんグローブに関しては京極夏彦だろうな……。

闇魔法!カッコいい執筆ポーズ!!
そのカッコいいポーズのまま氷像になって死ね

色んな所で「カッコ付けているせいで滑稽」というテーマが一貫しています。正に虚飾。
でもジョーカーお前も他人事じゃないからな。異世界のお前も大概カッコ付けなきゃ息ができないと言わんばかりに常にカッコつけているせいで割とよく笑っちまうんだからな。

【討伐後……】

この演出は笑いと同時に「上手ェッ!」ってなりました。

仙台に到着すると、伊達政宗の書き割りから顔だけ出して写真撮る例のヤツが設置されていて、実際に双葉と裕介が遊ぶイベントがあります。
アレが第一の伏線になっており、シャドウ安吾は一切動いている場面が無いというのが第二の伏線になっており、戦闘ではダメージを与えていくごとにどんどん金メッキが剥がれていくというのが最後の伏線。

こんなショボい代物を「魔王の衣」「魔法の鎧」などと大層に称してしまうのがなんとも滑稽すぎて、哀れみを覚えてしまいます。こんな姿を見てもなお哀れみも蔑みもせず「お前の努力を認めてやる。書き続けられるというのは何ものにも勝る才能だ!」と称賛できる裕介は心底偉大(マジパネェ)。

※※※

この金メッキで覆った虚飾そのものの夏芽安吾の姿はとことん滑稽なのですが「メッキが剥がれる=上辺だけ取り繕っているということを自覚しているからこそ剥がれる」という証左にもなっています。
事実、同じ虚飾のシャドウである斑目は最後まで金ピカです。自己弁護も達者で、裕介をあれだけ蔑み虐げておきながら敗北したら命乞いして縋りつく醜態を晒し、それでも金ピカが剥がれないというあたり、どこまでも自分の滑稽さを自覚していない。

「虚飾であること」を自覚していることが劇中での滑稽さに繋がっているのですが、それこそが逆に安吾の若さと希望の証であると言え、改心後に編集者を糾弾して裕介に感謝の意を述べる安吾は文句無しにカッコいいです。
「虚飾の大罪」は現在の一般的な七つの大罪からは外れていますが、虚飾であることを自覚しているか否か、恥知らずであるか恥だとわかりつつもなお虚勢を張るかの違いは大きいかもしれませんね。

ちょっと話題がズレますが昔ながらの江戸っ子は虚勢こそを「粋」とする気風を持っていましたが、江戸の町の風土や環境がこの状況を招いていたところがあります。
水はけが悪く暮らしにくい、そのくせ火事が多いので蓄財が一瞬にして失われる、金という力を持つ豪商に武士という階級を持つカースト上位の連中、上方である京都大阪に比べて何かと貧しい……こういう苦しさや見下される屈辱こそが虚勢を「粋」とする江戸っ子の気風を育んだところがあります。
だからこそ、その痩せ我慢を自覚している江戸っ子の「粋」は現代でもな通じるカッコ良さがあります。虚勢や虚飾も恥を知ってなお貫き通せば心は錦ということかもしれません。

【氷堂鞠子】

彼女もまた元ネタである「雪の女王」が上手く落としこまれたシナリオとデザインの持ち主です。
というか現実とシャドウのギャップがあらゆるシャドウの中でもとくに凄まじすぎる。

現実のマリさん
シャドウマリさん

初見時「!!??!?」ってなりました。

というのも、P4からのシャドウの姿というものは「該当人物の抑圧された姿」であることから、歪みはするものの「理想の自分」「本当の自分」という方向に反映されがちです。
それがこうまでリアリティある方向で醜くなる人物はそうそういません。歪みで醜悪になるとまっとうな人間形態でなくなっちゃいますからね。

現実の氷堂鞠子は推定年齢を考えると、スレンダーな美人と言えます。スラッとして痩せています。中年でこの体型維持は努力の賜物ですよ(市長という職業上血税のうえで成り立った体型だと思えば怒りが沸く人もいるかもしれませんが)。
一方でシャドウマリコはブクブクと醜く肥え太った女王。
逆ならわかるけど「現実=美しい、シャドウ=醜い」というパターンをこれでもかと正統派に叩き付けてきた人はそうはいません。シャドウ冴さんですら、戦闘形態でやっとというところなのに(そしてシャドウ冴も過剰な攻撃性が表出しているだけで、醜いというより威圧的)。

【「暴食」の多様的解釈】

同じ「暴食」の大罪である金城と、氷堂鞠子の「暴食」は全然解釈が違うんですよね。
金城はわかりやすいです。とにかく金、金、金。資産家にとって金は適度に使って流さなければ経済の停滞が起こって結局は自らの首を絞めることになるのに、金を溜め込まずにはいられない悲哀さ。
一方で氷堂鞠子は劇中でのお春さんのこの一言が全てを物語っています。

罪を隠蔽し、汚い政界で強者になるため次から次へと喰っていく決心を固めた氷堂鞠子は、元来の性格である気品と優しさから「今の自分は醜く肥え太った自分が最も忌み嫌う政治家である」という自覚がモロにシャドウの姿に反映されたわけですね。
そしてその無意識化の自覚に目を逸らすからこそ醜くなるという筋の通った解釈が通ります。
戦闘前の暴食っぷりは「罪」「汚職」「責任」といったモノを自分の中に取り込んでいる様とも取れ、悲哀を感じます。

「持たざるもの」と自覚して幼少時から良心のリミッターを外して下劣で小心者の悪党にならざるを得なかった金城と、市長という地位を手に入れるまで気高い優しさを失わずにいたマリさんはこれでもかというくらいに正反対の人生を歩んだ人物なのに、同じ大罪を抱えてこうまで違う結果になるというのは大変面白いところ。

以前の金城の記事でも書きましたが、私的解釈では金城も自分の卑しさや弱さは自覚しているからこそ、ブタの貯金箱に引きこもるという戦闘スタイルを取っていました。自覚しているからこそ滑稽というのは、先述したシャドウ安吾に近い形式ですね。
一方でマリさんは自覚していても無意識下に強く抑圧していたからこそ、ここまで醜く歪み肥えてしまった。彼女が本当の悪党なら、汚職も隠蔽も全て屁とも思わず、獅童のように愚民を足蹴にしてムキムキマッチョな高慢野郎になれます。善人だからこそ罪の意識に耐え切れずシャドウが醜くなる。

【雪の女王のオマージュ】

初代ペルソナを考えるとペルソナにとって「雪の女王」は大切なテーマなんですが、申し訳ないですが初代だけはプレイしたことないのでそこはスルーします。

雪の女王では悪魔の鏡の破片が刺さって、性格が一変してしまった少年を、少女の愛が悪意を溶かして元の優しい少年に戻るというお話ですが、P5Sのマリさんのストーリーは正にコレですね。

罪の無い幼子の事故死、信じていた部下の汚職の発覚、それを正すために政界から退くことはできないとあえて自らも汚職し暴走する……。
悪意の刃に胸を刺されて性格が一変するものの、優しかった頃に振り撒いた愛情の種が春に芽吹き、変貌してしまった彼女自身を救う。

現実ではどんなに無償の愛情を施しても報われないコトも多いですが、フィクションでくらい優しさは優しさに、悪意は悪意に因果応報してもらいたいですからね……。

【近衛明】

近衛は現実ではそれほどインパクトのある外観をしているわけではありません。
新進気鋭の若手IT社長らしいフランクな格好をしたアラサーです。

現実の近衛

シャドウでも戦闘形態に入るまでは目が金色になるだけで格好は変わらないので省略(スクショも撮っていなかったので……)。
非戦闘形態のシャドウ近衛の姿が変わらないのは、彼の「抑圧された自分自身」がONOFFの切り替えが可能な変身ヒーローであるため、通常時はブッ飛んだ格好になっていないのだと思われます。

詳しくは後述しますが、はっきり言って近衛のシャドウは歪んでいません。正確に言うと歪んでないことそのものが歪みの証拠。

【戦闘形態】

正義マフラー!
爆炎を背に敢然と立ち向かう勇姿!
レーザーブレード!!

困ったことに文句無しにマジでカッコいい。

P5無印での因縁の宿敵獅童戦で流れる「Rivers in the Desert」のスクランブルアレンジverをイントロに変身し、これまたほぼ彼の専用戦闘曲扱いに近い「Counter Strike」まで引っさげて、これらBGM補正もあって本当に無茶苦茶カッコいい。

※※※

なぜ文句もツッコミの入れようもなくカッコいいのかというと、近衛にとってゼファーマンへの思い入れがそれだけ純粋で、正確に歪むことなく再現されているからこそ近衛シャドウの戦闘形態はヒーロー然としてカッコいい。

ただし、逆に言えばアラサーのおじさんが完全に自分がヒーローだと陶酔しきっている証拠でもあるのです。
いい年こいてヒーロー好きという恥ずかしさや「自分は純粋なヒーローじゃないよね」という後ろめたさがあると怪盗団みたいにちょい悪なペルソナや怪盗服姿になってしまうのかと。
いい例がウルフですね。仮面だけでは不安なのか、重装備の鋲付き帽子と合体した高襟で頭部を徹底的に隠しています。

同僚や上司には絶対見られたくないコスプレ姿だという深層心理が成せる業か

※※※

今まで書いてきたシャドウの姿は「自分の理想の姿はこうではない」という部分が共通していると感じたのですが(そしてそれ故に悲哀を覚える)、シャドウ近衛は正反対に「自分の理想の姿」100%で構成されています。
これはこれで先述したようにアラサーおじさんであることを考えると悲哀と滑稽さが滲み出ています。

この悪びれることなく「己こそ正しい」「己は強い」という強固な信念によって形作られたが故に屈強で歪みが少ないシャドウというのは、同じ傲慢担当の獅童も同じところ。

せいぜいムキムキになっているくらいで人型から大きく逸脱していない

ちなみにあいつもあいつで非戦闘形態では目が金色になっているだけで普段着でしたね。

見ればみるほど政治家よりヤクザに見えるオッサンだなコイツ

傲慢の大罪という点でシャドウのデザインの方向性では共通するところは多い二人ですが、絶対すごい相性が悪いのは火を見るより明らか(というか近衛が認知訶学の利用を焦ったのは獅童の悪事に感づいていたからとも取れる描写が沖縄ジェイルにある)。

※※※

とまれシャドウ近衛の姿はウルフのこの一言が全てを物語っています。

上辺だけは才能と情熱、そして内に滾らせる社会への義憤でやり手の若手社長という仮面を被っていましたが、近衛明の精神年齢は20年前の時点で止まってしまっていた人物と言えます。

個人的にはこのあたりP5のライバルキャラである明智吾郎も同じかもしれないと考えています。

彼の精神性の解釈は多様ですが、幼少時に刻まれた「望まれない私生児であること」がコンプレックスとなってあらゆる動機の根源となっていた面が大きく、豊かで希少な才能を持ちながらその全てを承認欲求を満たすためだけに使ってしまったというあたり、精神の幼稚さと本人の潜在能力が著しく乖離しているという点が共通していると思います。
……なお近衛は善吉に手を差し伸べられて諭されて素直にその手を取ることができましたが、吾郎ちゃんはそれができなかったというのは前回記事でも書いたところ。

明智吾郎の闇の根が深いところは「可哀そうに」と手を差し伸べられると「僕をそんな弱小な存在だと決めつけるな。お前らみんな見返して見下してやる!」となって「自分はいらない子ではない」という証明のために反逆の意志に火を点けてしまうところ。
この「哀れみも蔑みも見下しているのと同じ」という余裕の無さが吾郎ちゃんの幼稚さであり、だからこそ初めて対等に接することができたジョーカーの存在に、彼自身どうすれば良いのか混乱して一貫した態度を取れなかったのではないかというのが私的解釈です。

内心はずっと手を差し伸べられること、罪を打ち明けることを望んでいた近衛と、どこまでも自己中心的で勝つか負けるかだけが全てだった明智との違いですね。こう書くとつくづく吾郎ちゃんロクなヤツじゃねぇな(だから好き)。

まぁ吾郎ちゃんの解釈に関してはpixivでSS何本か書いているので、これ以上紙幅を割くのはやめときます。

【まとめて】

「憤怒」担当のあの娘を省きましたが、今回の記事はこれでおしまいです。
彼女はまぁ見たまんまなので書く必要性を感じないというか……ただスカートのチェック柄が秀尽制服とほぼ同じなのは集合的無意識の成せる業かなぁというぐらいしか本当に話すことがないので。

※※※

今回の記事ではデザインの「悲哀性」を軸として書きましたが、P4で克明に描かれたように、そしてP5本編でも双葉の覚醒シーンでもハッキリと描かれたようにシャドウ=ペルソナであり制御されているシャドウがペルソナであり、制御されていないペルソナがシャドウであるというのはP3から一貫した設定です。
ならばこのシャドウの中に見える「悲哀の中の一筋の希望」は、各地の王が捻じ曲げられはしたものの反逆の意志を持つ者でありペルソナ使いとして覚醒する可能性もあり、そのデザインやアルカナを想像する余地にもなっていると思います。
逆に言えば、怪盗団のメンバーが救われず各キャラの持つペルソナが醜く歪んだシャドウになっていたifの姿も想像できます。ピカレスクをテーマにしているだけに相当闇の深い姿になり得る可能性が高いですね。

※※※

ペルソナシリーズは一貫して、主人公たちはある種のヒーロー的存在ではありますがP2ではニャル様の存在そのもの、P3ではストレガ、P4では事件の実行犯と真犯人の二人、P5では明智、P5Sでは王と「ちょっとした何かの手違いがあれば闇に堕ちていたかもしれない」鏡映しのキャラクターが用意されており、主人公たちの危うさが示唆されています。

このヒーローをただ手放しに賞賛するのではなく「ヒーローもヴィランも実は大して変わらない存在なんだよ。でもだからこそ無力なあなた(プレイヤー)もヒーローにもヴィランにも成り得る可能性があるんだよ」という皮肉の中に混じる希望的メッセージが私がペルソナシリーズに惹かれる大きな要因の一つかもしれませんね。

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