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水星の魔女を見てテイルズオブジアビスを思ふ

【はじめに】

今回の記事はジアビスのネタバレ前提、根幹的設定やストーリーの結末をまず第一としてのお話になります。
ジアビスの設定やストーリー展開については多少の解説込でお話しますが、ジアビスに興味があるけど未プレイという方は読まない方が良いです。
そのうちSTEAM配信あたりでリマスター版が発売されるかもしれませんからね。
ただ発表から18年も時代を隔てたこの二つの作品ですが、共通する点が多く改めてジアビスについて思い出すことが多かったので記事を書いた次第です。

【僕たちは操り人形じゃない】

水星の魔女の15話「父と子と」と続く16話「罪過の輪」は「親の因果が子に報う」というワードを想起せずにはいられなかったところ。
というかスレッタママことプロスペラはこの「親の業による責任は子供にも受け継がれる」という感傷を利用してミオリネを上手くコントロールしていました。
実際のところ、口約束程度なら「親は親。私は私。私は私のやりたいことをやる」というスタンスを通しても別に構わないのですが、家族という居場所とそのしがらみはそういう自由意志を束縛する操り糸として機能しちゃうところがあります。

ただ、あれほど望んでいた己の自由意志を殺してまでミオリネが両親の希望と意志と罪を背負おうとしたのは「罪や業を背負ってまで自分に明るい未来や希望を与えようというほど両親に愛されていた」と自覚したからでもあります。
そして親友のスレッタに自由を与えようとした……までは尊いんだけど自分の感情や想いを伝えるのが下手くそな所まで父親に似ているという……。

さておき愛情やしがらみは自由意志を束縛するものの「操り人形になる」という選択そのものは自分で選んだモノではあります。
では逆に「本当は親に愛されていなかった」本物の都合のいい道具として生み出された操り人形はどうなるのでしょう。

【造られた生命】

このあたりが、水星の魔女とジアビスに共通するところ。

ジアビスの主人公「ルーク」

現状明言されていませんが、スレッタはもうほぼほぼ確定でエリクト・サマヤのクローンです。
で、ネタバレになりますがジアビスの主人公であるルークもまた、作中用語でいう「レプリカ」、こちらもいわゆるクローンに類する存在でオリジナルのルーク・フォン・ファブレは別にいます。

この主人公、二人とも作中当初はそれを知らされていないんですよね。というか、スレッタに至っては17話現在に至ってもなおまだ知らない。
自分が自分であるという証明が揺らぎ、居場所も失うというエグい展開がこの二つの作品では両方行われています。
ルークの方に至っては「俺は悪くねぇ!」で検索かけたらその際の理不尽さとエグさにショックを受けたプレイヤーがどれほどいたかわかっていただけるかと。いやホントあのイベントもう少しどうにかならんかったのか。

※※※

スレッタの方はまぁ二期OPの歌詞を見る限り「今まで『お母さんの言う事は正しい』と信じて進んできたことそのものが逃げていることだった」「自分はエアリアルがいないと何もできない何も持たない空っぽの人間だった」ということを自覚するんだろうなという予測と、愛情表現ド下手クソな困った親友ミオリネに、居場所を奪った張本人だけどスレッタのことを愛しているグエルなどがいるからまぁまだなんとかなりそうという希望があるから良いのですが。

ジアビスの方では「俺は悪くねぇ!」が発売されて18年も経過しているのに今もってなお荒れるくらいのワードになってしまっていることからお察しの地獄のシナリオ展開がされます。
……スレッタと違って、ルーク個人そのものを最初から最後までブレずに愛してくれたキャラって、ルークがずっとバカにしていじめていたミュウだけですからね。なお私的にはイオンは同情だと解釈しています。
ルークは彼を製造した敬愛する師匠に、文字通りの操り人形として使われて町一つを崩落させて数えきれない人々を殺してしまったという罪悪感に、そのイベント以降ずっと捉われ続けることになります。それこそ師匠ご本人と戦うラストバトルになってもなお。

【都合のいい道具として造った】

生命への冒涜かという、このなんとも酷い話がスレッタとルークに共通するところ。

ただ、先ほども書いたようにスレッタはまだいいです。恵まれています。
そもそもまだ完結していない作品なので、なんだかんだ言ってプロスペラも本当はスレッタを愛している可能性がまだあります。あった方が辛いかも。

でもルークは、そもそもジアビスの世界観とテーマ的に「定められた運命に従うのが良いのか悪いのか」というところがあり、結果論で言えば結局ルークは「道具として造られ、道具として役目を果たし、道具として消費され死んだ」という運命論の悪意的解釈の権化かよみたいな人生を全うすることになります。

水星の魔女では「運命」というほど概念的で抽象的なものではなく「血の因果」「レッテル」によって「定められた人生を歩むしかない」という現実的な構造になっていますが、テーマとしては大体同じです。
ぶっちゃけ私的にはファンタジーな運命論の方が共感しにくいです。ラプラスの悪魔ですら量子力学やカオス理論の前では運命を制御しきれないわけですし。

※※※

ルークは確かに、製造者(親)であるヴァンの思い通りの操り人形ではなくなり、敬愛していたヴァン師匠の野望を潰すために対立するという道を選びます。
でもそれが彼自身が本当に自分の自由意志で選んだのかというとシナリオ展開的に首を傾げざるを得ないところが多く

・ヴァンはルークを道具として使い終わった後は、今までの父親のような態度を翻して冷淡に軽蔑すべき存在として扱う
・一方で仲間たちはルークを一度見限り「多くの人を殺した罪悪感があるというのなら、反省と贖罪の意志を証明してみせろ」と言われたので、師匠に捨てられたルークは仲間たちにもう見捨てられたくなくてそれに縋る
そもそもアビス世界の運命論で言えば「ルークは多くの人々を助けるために犠牲になる」ということがあらかじめ決まっており、迂回と遠回りはしたけれども結果としては実際にそうなってしまっている

とまぁ、正に「自由意志なんかなく消耗品の道具として一生を全うした」と言わざるを得ないところがあります。

この記事書いているのはスレッタにはこんなルークみたいな結末は絶対に辿ってほしくないという意味合いが強いですね……。
パーメットスコア8まで行くとエリーがスレッタの身体乗っ取るようにできているとかそういう展開をジアビスのせいで考えてしまう。

【私的解釈のルークの生まれた意味】

ジアビスは「生まれた意味を知るRPG」でありその結果描かれたシナリオが「消耗品として造られた主人公が消耗品としての役目を全うして死ぬ」という、悪意の塊みたいな内容だったわけですが、私的にはちゃんとルークが生きた意味はあったと解釈しています。

↑こちらよくできている記事でして、EDのルーク周りについての解説が懇切丁寧にされていますので参考にしていただければ。

※※※

で、ルークが「生まれた意味」なのですが、一つは「ジェイドに罪の意識を芽生えさせて大人として成長させた」だと思っています。

ジアビスで起こった事件の8割方は大体こいつのせい

このジェイド、本当にロクでもない年齢と大佐という階級の重さの割にどうしようもない陰険で自己中で空気読めなくて絶妙に無能でうっかりしていて腹の立つヤツで、作中でもそれとなく言われている通り「頭が良すぎて精神年齢がガキのまま大人になっちゃった奴」です。

そもそも「レプリカ」もまたジェイドの発明した技術で、それ以外にもまぁ作中で起きた諸々のアレコレにコイツが関わっているという「パーティメンバーだけど一番ブッ殺したい奴」とか言われてもそりゃしゃーねーよなとなる擁護のしようのない奴……なんですが。

上述で紹介した記事でも丁寧に終盤のジェイドの心理が垣間見えるシーンを解説してくださっているように、ゲーム終盤のジェイドはもうルークを大切な友人、仲間としてちゃんと認めて本当は「失いたくない」とすら思っているんです。
とあるイベントでは面と向かってルーク本人に「犠牲になってくれ、と言います。ですが友人としてはそうではありません」と言うくらいですからね。

それほどまでに、なんだかんだで仲間として友として大切になってしまった『ルーク』はもう『アッシュ=本物のルーク・フォン・ファブレの中に記憶の中でしか残っていない』『ルークは死んだ』という残酷な真実に、EDで赤髪の青年を仲間みんなが笑顔で迎える中、ただ一人だけ気づいて誰にも打ち明けないことをジェイドは選択しています。

EDラストで皆が赤髪の青年を迎える中でただ一人その場から動かず
珍しく寂しげな目で彼らを見つめるジェイド

自分が発明した技術で起こった禍根と向き合い、自分が発明した技術で造られ道具として消費された少年と友となってしまい、その真実を仲間の誰にも打ち明けられず、己の中で戒めと責任として受け止めなければいけない。

これは作中でジェイドのせいで起こった諸々の事件を考えれば、彼にとっては一番残酷な罰と言えるのではないでしょうか。
ジェイドはクソ野郎ですけど、レプリカネビリムの件でもラストバトルでプレイヤーキャラにした時でも「自分の発明した技術で起きた禍根は責任持って自分でケジメをつける」という最低限のモラルは持っていると確認できます(というかたぶん本編の旅路の中でやっとそのモラルを獲得した)。
以上のことを考えるとそれまでは人としての責任感に欠けていたジェイドという化け物みたいな超天才に「罪の意識」という首輪をつけて暴走させないようにしてくれるきっかけとなったのが、ルークの「生まれた意味」「死んだ意味」だと言えるのではと私は思っています。

ラストダンジョン突入前のアニスとの会話

またこのように戦いが終わった後は自分の罪と向き合うことを決めていますし。
ジェイドは敬愛する師を失ってもまだ足りなかった人間性を、ルークという自分の罪の象徴であり友を失ってやっと獲得できたと言えます。

※※※

で、もう一つがアッシュです。

こちらが本物の「ルーク・フォン・ファブレ」

被害者意識剥き出しで、何も知らないルークに八つ当たりして元凶のヴァンに従うというプレイヤーからすれば腹立つ案件ばかりの人物でしたが、終盤ではルークともなんとか和解して角が取れていました。
ナタリアの過去話を考えると元々の性格に戻ったと言った方が正しいのでしょう。

そして、結局ゲーム内では明言されていないものの上述した記事で丁寧に解説されているように、ゲーム中に散らばった数々のヒントを拾い上げれば最終的に生き残ったのはこのオリジナルルークであるアッシュであり、プレイヤーが苦難を見守ってきたレプリカルークはもういない。

でもレプリカルークの記憶をアッシュは受け継いではいるのです。

尊敬していたヴァン師匠に都合のいい道具として育てられて使い捨てにされていたに過ぎなかったこと。
自分が偽者に過ぎなかったこと。
なんだかんだ慕っていた仲間に見捨てられて寂しくて、たくさんの人を殺してしまった罪の意識に押し潰されそうになったこと。
オリジナルのアッシュに吐かれた様々な暴言と、その時に覚えた感情の数々。
最後にはお互いに全力を尽くして決闘したこと。

こういった諸々の全てが、アッシュの記憶に追加で刻み込まれたわけです。
自分の体験ではありませんが、しかしこれらは辛い思い出だらけでオマケにアッシュの過失や独り善がりに被害者意識のせいでルークが傷ついたイベントも多く、アッシュが己を見直す薬としてはこれ以上ないほど効いたのではないでしょうか。

「奪い取られたものを返してもらっただけ」なんて言い訳がましいことを言えないほどに、レプリカルークは彼なりに精一杯生き抜いたことを誰よりも知るのが、劇中で勝手な振る舞いばかりしていたアッシュだというのは報いとしては十分だと私は思います。
EDで笑顔で再会を喜んでくれた「仲間」たちもアッシュにしてみれば「レプリカルークがその手で勝ち取った仲間」であって「自分に向けられた好意」ではないというのはかなり残酷な話です。
婚約者のナタリアにだけはいつか真実を話すかもしれませんが、両者共にレプリカルークの存在を常に意識しなければいけないというのは酷な話であり、それが相応の報いだとすら言えるほどのことをアッシュは作中でしでかしてきましたので同情の余地はありません。

【呪い=祝福】

これは私が何度も書いていることですが、呪いと祝いはベクトルが違うだけで本質的に同じです。
ルークが(本人にそういうつもりもなく)ジェイドとアッシュに残した呪いは、彼らの自分勝手さを見直させ他者に対して思いやりのある人間にするきっかけともなり得るわけなので、ただ道具として消費されただけの生命なんかじゃなかった、レプリカルークが生きた意味はちゃんとあったんだというのが私の中で出した結論です。

※※※

でもこんな悲しすぎる結末はスレッタに辿ってほしくねぇよ!!!!

自我が薄いくせに煽りスキルは高く、エアリアルが傍にいると微妙に調子に乗る悪癖があり、エアリアルがいないといきなり情緒不安定な面倒くさい女子になり、笑顔で血まみれの手を差し伸べたりするほど配慮は無いし、弱虫で泣き虫でそのくせどんな風に暴走するかわからないめちゃくちゃな魔女だけど、スレッタ・マーキュリーは純朴で善良な少女であることに変わりはありません。

それこそルークも世間知らずで礼儀知らずで怠惰で調子に乗りやすい、決して褒められた少年ではありませんでしたが、困っている誰かがいたら面倒くせーと言いつつ手助けをし、ジェイドやティアやアニスといったおまゆう案件持ちに対して実は正論言っていたりする、善良な少年でした。

そんな輝かしい可能性を感じさせるだけの素質を持つ善良な子供が、消耗品として生まれたのだから消耗品として使い捨てられるのなんて、やっぱり見たくない。
自分の命をベットインしてでも欲しいものを獲得する覚悟を自分で決めたソフィみたいな子供ならばまだいいですが、周囲の思惑と損得で消費される子どもたちなんて、現実で見飽きています。

いやホントそれくらい夢見させてくれてもよかったんじゃないですかジアビスのシナリオはってプレイして10年以上経過しても未だに思っています。


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