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少し見えてきたビジョン

 以前書いた事のある友人Mさんとご飯を食べた。

 再度綴るが、Mさんとは昨年の10月初めに出逢ったばかりだ。
 以前書いたジョングク似のイケメン部下を励まそう会を上司のお宅でした時に何故かその場にいて一緒にご飯食べをし、すぐさま意気投合してから度々お会いしている方だ。
 本当に不思議で、初めてお会いした時も全く違和感なく親戚の人の中にいるみたいな感覚だった。

 彼女は、独身の40代。以前某銀行に勤めていた。派遣社員から入ってのし上がっていき、支店長の席をあてがわされていたのにも関わらず、その銀行を辞めた。

 その銀行の改革をしていこうと頑張って頑張ってきたが、結局、銀行という巨大組織の中の根強く残っている上層部の強固な壁を崩す事が出来ずに去らざるを得なくなったからだ。

『こんな私でも、どうしても崩せなくてこのまま
 じゃこの銀行は変わらないなと思ったんよな』

と、言っていた彼女はまさに女版半沢直樹みたいであった。

 そんなMさんと食事をするたびにいつもする話が、これからの自分のしたい事だ。

 Mさんは現在、某食品会社を立て直す要因として経理事務として引き抜かれ、そこでバシバシ働きながら他では、さまざまな地域の活動に力を入れ、3年前から「子ども食堂」を立ち上げ、月一で地域の子供達や子供に携わる大人達の昼ごはんを提供している。

 その子ども食堂は、ボランティアで集まった主婦や私のような独身女性やらで構成され、手作りのおでんやカレーや牛丼などを300円で販売し、利益は子供達の為の活動費に充てている。

M『いやさ、カッコつけとる訳やないんやけどさ
  子供って未来の宝やん。大切やん。
  私は子供産めなかったけどさ、産んできちん
  と育ててる親は偉いよ。
  私に何かできる事は全部したい!』

 私はそういう話をする前から同じ事を思っていた。
 子供だけではなく、10代20代の若者はこれからの日本を背負って行く未来の希望だ。
 そして、さらにその下の年代の子達はもっともっと希望で、大事にしたい存在なのだ。

 子供達が若者が幸せに過ごしてほしい。

 それだけではない。

以前、彼ではないが違う人と海が見渡せる公園みたいなところに行き、よくありがちな願い事を思いながら鐘を鳴らしたら願いが叶うという鐘を鳴らす時に、その男性から
『何を願う?』
と聞かれたので、思いつかず、

『周りのみんなが笑顔で過ごせるように』

と言ったのを思い出した。

『おぉー。そうなんだ。Nさん幸せなんだね』

と言われた言葉、、忘れかけていた事を思い出したように思う。

私は、
周りの人達が笑って過ごせるようになりたい。

 私は、いままで、決して幸せとは言えなかった。具体的にと言えばかなり長い話になるので端折って書くが、うつ病手前になった事も死にたいと思った事もある。メンヘラ女子でもある時期もあったし、親を恨んだりした事もある。

 だが、それを何とか乗り越えてここまできた。わたしの人生は苦しくもがいてもがいて泥沼から這い上がってきたようなものだ。
 
 でもそれも、私を救ってくれた人達がいたからだ。私も人々に助けられて生きてきたのだ。

 やっと今、自分が好きになり自分がどうあるべきかどうしたいかなどが分かってきて幸せに美しく生きたいし、人々も笑い合えたらと思うようになってその活動をするようになった。

 Mさんは、今後の3年くらいをかけて、会社を退職して未来ある子供達や親御さんや若者たちのための今ある「子ども食堂」を大きくして食事提供だけでなく、悩める人々の助けになるべく事業を立ち上げようとしている。

『絶対やる!必ず!』

と言ったMさんの横顔は覚悟を決めた顔だった

『あんたもそのメンバーに入っとるんやからな』

って、メンバーに入れて欲しいと言わなくても入ってたのか、、、。
いや、わかってはいたけど 笑

 3カ年計画と名付けられたその計画を実行すべく、今、準備段階として勉強しているつもりだ。

 今、私にできること

 少しずつ 動いていっている。

 みんなが心から笑って過ごせる日になるように


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