ただただ海が好き
海が好きだ。ただただ。
私は、海辺の漁師町で生まれた。
当時、その漁師町は栄えていた。魚介類が豊富で、毎日漁港には大量の魚があげられ、魚より(うおより)のおばちゃんやおじちゃん達が早朝から漁港であげられた大量の魚をトロ箱に入れていく。
『魚より(うおより)』というのは、いわゆる魚を大なり小なり傷ありなどを選んでそれぞれのトロ箱に入れていく作業のことで、素早い手捌きでおばちゃん達はすすめていく。
巻き網漁の漁船のクレーンのついた大きな網に大量の魚が詰まっていてその網がパカっと開いた瞬間、一斉に魚が大きなプールみたいな台の上に流されて、それをおばちゃんやおじちゃん達がよっていくのだ。
カモメもつまみ食いをして、朝日が昇る頃にはほとんど終わっている。
そして、以前は、トロ箱いっぱいの魚をいただいていた。それこそ、太刀魚、鯵、鯖、イカ、キビナゴ、鯛、、、たくさんの魚を。
スーパーで買うという感覚がなかった。
いつも、祖母や母の魚を捌く姿を見て、また魚かぁ、、なんて子供心に思いながら刺身を食べていたのを思い出す。
今考えればなんという贅沢三昧なのか。
幼少期のそれがあるからか、魚が好きで、捌くのもいつの間にか覚えていた。
そして、海が好きだ。とにかく落ち着く。
泳ぐのも潜るのも大好きだ。
以前にも書いたが、海はマイナスエネルギーを浄化してくれる。
海の風にあたり、波の音を聴き、潮の香りをかぐ。太陽の反射した波を見る。時折、魚を発見する。砂浜を歩く。その砂の感触。
潮の香りもその町によって微妙に違うのにお気づきだろうか。
砂浜は、その海岸によって違うが、香りや海の色も違うのだ。
海は、私にとって
『命の源』だ。
あらゆる生命が海から誕生していて、今もその中で生きている。山も同じではあるが、、
自分もその中の1人だ。たまたま人間だっただけで、イカや鯵などであったかもしれない。
私は、海を見て本当に助けられてきた。どんなにしんどく、仕事を失い明日の生活に困っても生きていかなければいけなかった時に毎日海を見て過ごしていた時期もある。
そんな時でも、海にいると落ち着いていた。
そして、山はエネルギーが強い。今は、海の見えない山に囲まれた所に住んでいるので感じる。強いが故に、プラスエネルギーを取り込める。
山の木々が生い茂っている中や草原などで深呼吸するだけでも、エネルギーが満たされる。
だから、海でマイナスエネルギーを浄化した後に山に行くといいだろう。
以前、『じゃあ、海の価値って何?』と聞かれた。
価値、、。一言で言えば、命そのもの。
釣り上げた魚達は、尾鰭をヒラヒラさせて輝いている。そこから産まれて命を育んで一生懸命生きている。
山は厳しい父親のようで、海は包み込んでくれる母親のように思う。
海は、私の中では、命、、母親の子宮のようなかんじなのかもしれない。
私にとって、地球、の中でも海は特別な生きる源である。
私は、この恵みにとても感謝している。
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