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ナターレのダンスパーティー

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、
自分らしさが保てないような気がしていた。

大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、
私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。
そのヴェネツィアも、この数年でおそろしいスピードで様変わりしている。
愛するマンマのいたあの頃のヴェネツィアを懐かしく思い出す。
2007年の冬、久しぶりに過ごした
ヴェネツィアのナターレは
いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。

クリスマスの大切な思い出シリーズ、その1は、

マンマと町内会のナターレのダンスパーティー
に行ったことから


ナターレのダンスパーティー 2007年 12月

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クリスマスも近いある日曜日、いつものようにマンマとお仲間のシニョーラ数人でムラーノ島へ出かけた。
ムラーノの公民館でナターレ(=イタリア語のクリスマス)の時期に行われる教区の納会があるのだ。
ヴェネツィアはパロッキアという教会をコアにした教区、いわば町内会の
ようなコミュニティーに分かれていて、地域活動の拠点となっている。
いずこも同じメンバーの大半は、マンマのような年配者なので、その納会となれば老人会の様相を呈する。
いくらかの年会費を払うと、ここで企画されるグループツアーや食事会、
今回のような催事に参加できるしくみになっているらしい。
いつも「親孝行」のつもりでマンマについて行く私たち、この時も
格別何も期待していなかったが、これはかなりディープな体験だった。

完璧なる町内会ノリ。よく子供の学芸会などで見かける、あの色紙で作る
輪飾りは、世界共通スタンダードなのだと知る。
地元名士の会長による開会の挨拶に続いて、お約束の懐メロバンドの演奏が始まる。とりたてて盛り上がるわけでもなく、ひたすらまったりどこか哀愁漂う時間が流れる。
珍しい闖入者である私たちに好奇の目が向けられ、マンマが誰彼と紹介してくれるものの、勝手が分からずまごついていると、紙トレーにのった
ピッツェッタ(小さなピッツァ風カナッペ。余った分は残らず持ち帰り、
しばらくアペリティーヴォのつまみとなった)、トラメッツィーニ(サンドウィッチ)、パネトーネ、それから紙コップのワインも配られて、やれやれと一息つく。日本ならば、お楽しみ会でのり巻きやおまんじゅうが配られる感じだろうか。
さて、適当に酒が入ったところで、いよいよダンスパーティーのはじまり。

訳も分からず、誘われるままにマンマと踊るイサオ君。なにせ目的は親孝行なのだから、ここは目一杯マンマの要望に応えるのみ。
当然、その場の注目の的なのだが、こちらはまるで古~い映画の場面に入り込んでしまったような非現実的な気分になって、なかば幽体離脱状態に。が、ふと我にかえると、しまいには皆と一緒に
「お〜、我がレオーネ!我がヴェネツィア!」とヴェネツィア国歌を合唱
していたんである。会のおしまいには、また挨拶、そしてそれぞれ箱入りのパネトーネかパン・ドーロのお土産(マンマはパンドーロよりパネトーネが欲しいので、必ずパネトーネをゲットするよう指令が飛ぶ)が配られてお開きとなった。

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帰り道、一番年長のシニョーラのヴィットリアを送りがてら、ちょっと
お宅にお邪魔してカフェとグラッパをご馳走になる。
マンマを含め全員ヴェネツィア生まれ、平均年齢80才を超える彼女たちのヴェネツィア弁のおしゃべりはあいかわらず強力でとどまるところがない。ヴェネツィア人のおしゃべりは、滅多に相手に同調することはないのだが、
ある一点に話題が及んだとき、そうだそうだ、その通りと突如全員の意見が一致したのだった。
「生まれて此の方ずっとヴェネツィア暮らしだけど、今も毎日すてきな
発見があるんだよ」と口々に熱を込めて語るのだ。

例えばそれは、
路地から運河に出た途端、ぱあっとひらけるセレニッシマな空。
教会の古壁にひっそりと咲くクレマチス。
運河沿いのパラッツォが夕陽を受けて黄金色に輝く一瞬。
サンジョヴァンニの河岸に広がる燃えるような夕焼け。
サンマルコの鐘楼に冴えざえとかかる月。
ボートが行き交う運河の水面のきらめき。
うっかり迷い込んだ小径の先に覗き見る緑の中庭。
朝靄に浮かぶサンミケーレ島---。


私自身ヴェネツィアが見せる美しい瞬間にいつも圧倒されているけれど、
生粋のヴェネシアンであるマンマやシニョーラたちもまた同じように
感じているということを知って、今さら驚き、そしてちょっとうろたえる
くらい感動してしまった。
ヴェネツィアが美しいというのは誰もが認める事実に違いない。
けれども老境を迎えたマンマたちが自分の生きる世界と人生に日々感動
できるというのは、あたりまえのようで実はもの凄いことではないか。
やはりヴェネツィアはここにしかない特別な力を持った場所なのかもしれ
ない、などと思い巡らす間も、目の前の窓には、泣きたくなるほどの
スペッターコロ、刻々と菫色のグラデーションに暮れゆくラグーナの夕景が広がっていた。

デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。