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スノードームの世界

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、
自分らしさが保てないような気がしていた。
大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、
私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。

2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは
いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。
クリスマスの大切な思い出シリーズ、その4は、
北イタリアのフリウリの山村で過ごしたクリスマスイヴ
「私たちの住むこの世界はは思ったよりずっと小さく閉じていて、
確実にすべてが響きあっている」と感じた
体験だった
それは、まるであのおもちゃのスノードームのように。


スノードームの世界 2007年 12月


年末にイタリアから帰ってきて以来、脱力したままぼうっとしている。ちょっと言葉にするのは難しい、きちんとこの東京での日常生活に着地していないような、着地したくないような感覚。
当初は時差ボケのせいかと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。

旅も日常のひとつのかたち、というか人生とは、つまり旅を続けているようなものと感じているけれど、それでも実際に飛行機に乗り、
東京の生活からある一定の距離はなれてみると、自分自身やまわりのことや
人生とか世界のかたちとか、いろいろ見えてくるものです。
だからこそ「旅」は必要なのかもしれない。

かつての思想家たちが何故いつも旅していたかが分かるような。
今回の旅行中、ずっとそんなことを考えていた気がする。

東京の生活は混沌としていて、何より時間の流れ方が尋常でなく、
時々息苦しくなってくる。ともすると雑多な日常に流されていき、
それも知らないうちにどんどんバーチャルになってしまって、生きる実感が希薄になっている。
便利さ、効率、スピードとひきかえにいろんなものを失っているのに
気づかない怖さ。本当に必要なものは何なのか、大切なものは何なのか
分からないまま、時間だけどんどん加速して過ぎていく。

走り続けているとその変化が見えなくなってしまうから、時々立ち止まってみなければと思う。少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、自分らしさが保てないような気がしている。
大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、
私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。

そして久しぶりに過ごしたイタリアのナターレはいささか後遺症をもたらすほど濃い日々だったのだ。

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ナターレは、友人アントネッラに招待され、彼女の実家のあるフリウリ北部スロヴェニアの国境近くの山村、CICIGOLISを訪れた。
イタリア人にとってナターレの24日と25日は、ごく内輪の家族だけで過ごす親密な2日間である。
いわば日本の元旦のようなものなので、そこへ外人たる我々が同席するのはどうなのだろうとも思ったけれど、まあ招いてくれたんだから、ここは例によって遠慮なく無邪気に訪ねることにしたのだ。
北イタリアの伝統的なナターレの食事に、おおいに興味がそそられたのも
理由のひとつだった。
ヴィジリア=VIGILIA(クリスマス・イヴ)の夜は、彼らにとって精進であるところの魚料理、午前零時にスプマンテとパネトーネで祝い、
翌日ナターレの正餐にがっつり肉料理を食べるのが習わしだ。

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果たしてアントネッラのマンマ・アンナが腕をふるった郷土料理は、まさに身も心もあたたまる素晴らしい味だった。
栗とポルチーニのズッパ(スープ)、バカラ(干鱈)とポレンタ(とうもろこし粉を煮てくず餅状に練ったもの)、フリッコ(カリカリの煎餅状に焼いたチーズ)、ストゥルッキ(クルミとドライフルーツあん入り団子のようなお菓子)。
この地方独特の山小屋風の造りの食堂は、暖炉の火がぱちぱちと音を立てて燃えていて、そこへ大きな銅鍋がかけてある。その銅鍋で煮込んだポレンタは、これもまた伝統的なやり方で、正しく糸を使って切り分けられた。
まるで子供の頃読んだ絵本にでてくるようなシチュエーションそのまま。
森の熊さんやきこりのおじさんが住むお家のような雰囲気なのだ。
お腹もいっぱい、ほんわかとあたたかい空気に包まれて、すでに夢心地の
私たちだったが、この夜はこれからがクライマックスなのだ。

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日付の変わる午前零時を目指し、車でさらに約20分ほど南へと向かう。
麓から百段ほどの超急勾配の石階段(手すりがわりにロープが張ってある)を用心しながら登っていくと、山の中腹に天然の洞窟=グロッタがある。
その内部は石を刻んだ祭壇のある神秘的な気配の礼拝堂(Pieve di San Giovanni)があり、ここでナターレのミサが行われるのだ。
広い洞窟内にはすでに300人くらいの地元の人々が集まっていた。
外は凍てつくような寒さだったけれど、大勢の人々がいるせいか中は
思ったよりあたたかい。
ミサは神父の講話と祈り、それからナターレの賛美歌が交互に続き、
荘厳ななかにも素朴で穏やかな空気に包まれていた。
小1時間のミサの終わりには、参列者が誰彼かまわず傍にいる相手と
「パーチェ=PACE(ピース)」と言い交わしながら握手やハグをする。
日本にいるとつい忘れがちだけど、外国人は自分たちだけというこのような状況では、世界の片隅に生きているという強い実感がひしひし湧いてくる。

私たちが住んでいるのは、この洞窟のように閉じた小さな世界なのではないだろうか。見知らぬ同士が微笑みながら、お互いの幸せを願うのが、いとも簡単なことのように思える瞬間。
ふっと世界平和なんてことも夢みてしまいそうになる。

でも現実はそうではない。ここから目と鼻の先のスロヴェニアもナターレの数日前にEUの仲間入りをし、パスポートが不要になったばかりだが、
つい10数年前までは悲惨な内戦が続いていたのである。国境近くの土地に
住む人たちは皆そのことを実体験として知っているのだ。ある世代まで、
フリウリの小学校では、スロヴェニア語が必修だったそうだ。
翌日のアントネッラの家でのナターレの午餐には、チョコレートとお砂糖で飾られたパネトーネを食べ、イタリア語、スロヴェニア語、そして日本語の
3カ国語による「きよしこの夜」を歌った。

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ヴェネツィアに戻ってから、なぜかもの凄くスノードームが欲しくなって
しまった。世界中何処の観光地でも必ず売っている、ガラスの小さなドームにミニチュアの名所旧跡、紙吹雪と水が入ったチープなスーベニールだ。
サンタルチア駅前の土産物屋をあれこれ物色した挙句、ゴンドラやサンマルコ広場にリアルト橋まで配した最も典型的なのを買った。
ヴェネツィアに通って随分経つが、絵葉書以外こういう土産物を買ったのは初めて。ひっくりかえすとゴンドラにチラチラと雪が降るのがかわいく、心なごむ。(実際のヴェネツィアはあんまり雪は降らないけど)

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スノードームの小さな世界はいかにも平和そうだ。平和かどうかは別として私たちの世界も同じように閉じた環境だ。
どうあがいても、空間的にも時間的にも今ある状況から逃げ出すことはできない。この世界は思ったよりずっと小さく、そして確実にすべてが響きあっている。世界の何処かで起こっている問題は、即自分の問題でもある。


よく「ヴェネツィアは沈んでしまうんだって」と心配してくれる人がいる。
しかし、ただヴェネツィアだけが単独で沈んでいく(正しくは冠水していく)のではない。
深刻化する温暖化という地球レベルで起きている現象のひとつなのであって、ヴェネツィアがすっかり冠水してしまう頃には、東京だってかなりの
部分が危ないということだ。遠くのヴェネツィアのことを案ずるのもいい
けれど足下を見よ、ということである。
私たちの世界はたったひとつしかなく、何処へ向かっているのか、その先に明るい答えを見つけるのは難しい。
パーチェと言って微笑み合う、そんな世界を思い描いてみなければ、未来は始まらないのではないか。
ジョン・レノンも歌うように、ただ夢みているだけ?
けれども、まだ間に合うかもしれないという希望を捨てたくはないのだ。


デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。