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ヴェネツィア未来の記憶

ヴェネツィアとそこで暮らす人々に出会って以来「本当の豊かさとは何か」を問い続けています。2000年に「ヴェネツィア的生活」という本を
出したのをきっかけに始めたホームページ。
そこには、我が愛するマンマロージィと過ごした時間が
リアルタイムで刻印されています。
ヴェネツィアについて語りたいことは今もずっと変わっていません。
マンマが私に手渡してくれたもの、それをまた次の誰かに伝えていきたい。2009年に経験した「未来のシュミレーションをしているような既視感」。
今思えば、それは数年後のマンマのいないヴェネツィアを
予感していたのかもしれません。

ヴェネツィア未来の記憶 2009年

1年半ぶりのヴェネツィア。
昨年凍った路面に足を滑らせ、膝を骨折したマンマは心配していたより元気
でした。手術の痕はまだ痛々しく(左膝に金属の補強が入っている)階段の昇り降りに多少の難儀があるものの、もう杖をつく必要もなく、
ほぼ普段通りの生活を取り戻していました。
けれども、ここに至るまで手術、入院、そして相当過酷なリハビリを克服
してきた話を聞くにつけ、我がマンマ・ロージィはやはりたいした精神力の持ち主であるとあらためて感服。
無事にここまで快復したことを喜び合いました。

私たちが到着した晩こそ「もう前のような生活はできない体になって
しまったんだよ」と弱音を口にして、しょんぼりしてみせていたけれど、
日を追うごとにめきめきといつもの調子を取り戻し、時にはりきりすぎて
こちらがひやひやするくらいでした。
ともあれ連れ立ってパッセジャータ、バールに出かけたり、市場へ買い物に出かけたり、小さな台所で料理して食卓を囲み、そしてその間ずうっと
おしゃべりをしたり、笑ったり。
いつも通りマンマと一緒のヴェネツィア暮らしができる幸せを、しみじみと噛みしめたのでした。

ちょっと違っていたのは、私たちが日本に帰る数日前にマンマがひと足早くサルディーニャへヴァカンツァに出かけるということ。
つまりその後の数日間は私たちだけでヴェネツィアの家で過ごすことに
なるのです。
まずヴェネツィアからエウロスター特急でローマまで行き、ローマに住む
姪夫婦と合流、そこからは車に乗り換えて陸路とフェリーでサルディーニャへ渡るというなかなかハードな旅程です。
おそらく、サルディーニャ旅行をひとつのリハビリの目標にしていたの
でしょう。私たちの滞在予定よりずっと前から日程を決めてありました。

というわけで、マンマがサルディーニャへ出かける3日前くらいになると、
あれこれ着ていくものの準備が始まり(屋上の物置から夏用の水着や
サンダルを出したり)親戚へのお土産に荷造り、美容院にも行かなくちゃと、ばたばた大騒ぎで旅支度のお手伝いに追われました。
イタリアには日本のように折にふれてお金を渡す習慣はないのですが、
日本に古くから伝わるレガーロ(贈り物)の習慣なのだと説明し、
「お餞別」を受け取ってもらうこともできました。
(後からわかったことですが、実はマンマはこの時の餞別を含め、私たちが滞在中の費用として渡したお金を使わずにすべて貯めていました。
どこまで本気だったかわからないけれど、お金を貯めていつか一緒に
エーゲ海のクルーズ旅行に行きたいと言っていました。)

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出発当日は列車でローマへ向かうマンマを、サンタルチア駅まで見送りに
行きました。なんだかいつもと立場が逆転していて変な気分。
私たちが専用に使っている家の鍵は、日本へ帰る日に上の階の住人
フォスカリーナに返しておくことにしました。
それだってマンマは「その鍵はどうせあんた達ので、今度来る時も使うんだから、そのまま日本へ持って帰っていいよ」なんて言うのでした。

さて、マンマが出かけてしまった後、勝手知ったる家での数日はいよいよ「ただの日常」と化し、東京は千駄ケ谷の自宅にいるのとあまり変わらない状態になりました。
日中外へ出る用事もご近所の知り合いのところや、パパヴィットリオの
お墓参りでサン・ミケーレ島へ。
帰るまでにマンマの言いつけ通り、冷蔵庫を片づけなくてはいけないから、
せっせとAVANZI(残り物)を片づける日々です。
残り物といってもそこはマンマが用意したものなので、カジキマグロのパスタソースや仔牛の煮込みなどなど、充分においしいものばかり。

無事サルディーニャに着いたマンマからは、元気な声で電話がかかって
きました。さっそく「アペリティーヴォがなんと一杯5エウロもするんだよ!」と現地報告です。
ご近所のシニョーラたちも、マンマに代わっていよいよ自分たちの出番と
ばかり様子を伺いにやってきます。
もちろん私たちが何か不自由してやしないかと心配してのことなのですが、どうやらちょっと世話を焼いてみたいらしいのです。

夜もだらだらテレビのニュースショーなど見ながら、つくろい物や荷物の
整理、部屋の掃除をして過ごします。
イサオ君は例によって家の営繕作業、台所の流しのシリコンや蛇口の
パッキンを取替えたり、寝室の電気のスイッチを直したり。
そうやって夫婦ふたりで家にいると、昔からずっとここで生活しているような気がして、時々ふっと既視感にも似た奇妙な感覚におそわれるのでした。
よくできた夢の中にいるような、未来のシュミレーションをしているような、なんともいえず現実感がすうっと薄まる不思議な気分。
前世の記憶、いや未来の記憶ってこんな感じなのかもしれない、なんて思えるような。

ヴェネツィアの夏の夜は長く、ようやく空が菫色に暮れていくのは午後9時をまわる頃。簡単な夕食を済ませてから散歩に出かけても、ラグーナの夕景の時刻に間に合います。
島の外側をぐるりと回るGIRA CITTA(島巡り)の船に乗り、デッキで夜風に吹かれていると、運河をわたる空気の中に自分の心が溶けていって
しまいそう。できるかぎりまたすぐに戻って来ようと思う。
やっぱりここは私にとって特別な場所にちがいないのだから。

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デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。