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【母の介護について】…3.11の日。

2011年3月11日は、母のリハビリで、担当の理学療法士の先生が、15時半頃に家に来てくれる日でした。
私は、母をお手伝いのお弟子さんと、その義妹のエリちゃんに任せて、美容院へ行っていました。

帰りに、名古屋高速を運転していて、「今日は、風が強いのか?ハンドルがとられるな〜と思いながら帰り、家に着き、車をとめた途端に、地震で地面が揺れているのだと気づき、慌てて、家の中へ入ると、車椅子に座った母とその横にお手伝いに来ていた2人が座っていてくれました。

子どもの頃に大きな地震を経験している母は「地震だわ」と落ち着いていました。
お手伝いの2人は、1人は、地震の揺れが自分のめまいだと思い、その場に座り込み、(すぐに地震と気がつく)、1人は、開けた冷蔵庫の1番下の引き出しを飛び越えて、母に駆け寄ってくれたようでした。

とりあえず、無事とわかり、30分ほどで到着する理学療法士の先生を待ちました。

到着した先生も「ひどかったですね」と言いながらも、リハビリをはじめて下さいましたが、TVで映る、海岸の様子を皆で見ながらおり、
しばらくして、東京ディズニーランドの液状化現象の様子を観て、「東京ディズニーランドもひどいみたいですね」と私が言った時、リハビリの先生が、一言、「今日、家族会議します。来週、ディズニーへ行く予定にしてたので」と心配そうな表情になりました。この頃の先生の子どもさんは、たぶんまだ2.3歳だったと思います。

TVを観ているうちにだんだんと事の重大さに気づきましたが、私たちにできる事もなく、その日は、父は、たしか大阪でしたか?それぞれの無事を確認し合いました。
この頃、甥のカークは、アメリカに住んでいましたので、フェイスブックで、安否確認のメッセージを送ってくれていました。 

何日か後に、いつもお世話になっている、岩手県のお寺の住職と連絡をかろうじてとってくれた知り合いが、
「ライフラインが通っていなくて、自分達がどんな状態かよく分からない。」けれど、お寺にもたくさんの非難をして来た人がいて、女性用の衣服などが足りない。と言われている事がわかりました。

なので、道路がどう言う状態か分からないけど、支援の物を持って、トラックを出す人がいると言う話を聞き、少しばかりで役に立たないかもしれないけど、と準備できる物だけを、託しました。

そのご住職と電話でお話しができたのは…それからかなり日が経ってからだったと思います。

が、ご住職の第一声は、「お母様の具合は、どうですか?お父様は、お元気ですか?皆様いかがですか?」と言う言葉でした。

私は、お寺が被災され、しかも、避難のため駆け込まれた方々もあるのに、両親を気遣って下さるそのご住職に電話の前で何度も頭を下げました。

「復興までには、20年はかかると思います」とご住職は、言われていました。

それから何年か経つと、やはり直接の被害では無かった私たちは、つい、震災のことを、忘れてしまいがちでしたが…。

6年後、母が1月に亡くなった2017年の3月11日。私は東京へ行っていたのですが、踊りが終わり、帰りのタクシーが、皇居の前で、信号で止まった時に、ちょうど…皇居から、龍のような形をした雲が、太陽に向かって昇っていくような光景をみて、「3.11の日だ!」と、気づき、「今も天に昇って行く魂もあるのかも?」と…。(私の勝手な思い込みなんですが、)そう感じました。

決して忘れてはいけない日。です。

西川陽子

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