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【母の介護について】…少しずつ。⑭

母は、「名古屋をどり」の他にも、父が主催していた「十徳会」と言う、男性が着物を着る会にも出席していました。
男性は必ず着物、女性は、服装自由として、毎回ゲストをお呼びして、お食事と伝統文化などを楽しむと言う会でした。

また、毎年姉が開催していた国際ホテルでのディナーショーは、私も出演させてもらい、その時は、母がお世話になっている、お医者様や、リハビリの先生方もお誘いし、同じテーブルで踊りを楽しんでもらいました。

2014年には、西川流四世家元を継承した、西川千雅現家元のためにNOSSインストラクター及び関係者が開催してくださったお祝いのパーティーにも出席し、皆さまと一緒に車椅子で、NOSSを踊る事もできました

母は、毎日頑張ってリハビリを、とにかく一生懸命、楽しみながら続けていましたが、具合が悪くなる時もありました。
救急車を呼ばなければならない時もありました、けれど、ありがたいことに亡くなる1年ほど前までは、長期で入院するようなことは無く、無事に過ごしていました。

実は、父は、母の介護の期間中に、心臓の手術をしました。これは緊急ではなく、自分が少しでも長く舞台に立つことや仕事を続けて行くため、また、母の介護を続けるために必要な事で、名古屋ハートセンターの主治医とご相談しての決断でした。
父は、母が待っている事もあり、術後の回復も早く順調でありましたし、実際、退院のその日に、母が、自分の介護をさせたと言う事を、父は、自慢にもしておりました。

お世話になった、名古屋ハートセンターのハートの日(8月10日)では、毎年、父がNOSSをさせていただき、その会場にお邪魔する事もできましたし、母も、脳梗塞の原因となった、不正脈もありましたので、名古屋ハートセンターの患者として、定期的な検査もしていただいておりました。


今思い返すと、要介護ではありながら、かなり色々な事ができ、また色々な場所へ行く事もできたと思います。

西川陽子

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