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【椙小会】…椙山小学校時代の同級生の集まり

私が通っていた小学校は、椙山女学園大学附属小学校。
私たちの頃は、各学年1クラスづつで、クラスの人数は、24〜28名ぐらい。全校生徒は、130名ぐらいでしたでしょうか? 

1学年に1クラスしかないので、1年生から6年生まで、先生は変わるけど、卒業まで、同じクラスメイトでした。

そして、中学、高校と、他校からの人数が、増えるので、同じクラスになる確率も減ってくるのですが、私たちは、卒業してからも、先生や、母親も一緒にクラス会をしたりしていたので、小学生からの同級生は、なんだか親戚の子たちと言うイメージです。

しかしながら、ある程度の年代になってくると、皆で集まるということがなかなか難しくなっていました。

2017年に、私の母が亡くなり、お葬儀に来てくれた人たちが、せっかくだからと、皆で食事会をしたのが、お葬儀から半年後の頃のこと。小学生の時に、よく遊んでいた仲間たちで集まり、その後、コロナ前までは、2〜3ヶ月に1回集まっていました。

私含め8人。
最初は、グループラインを作るのにも大騒動!
「ラインってどうやるの〜?」「QRコード出た出た!はよ撮って〜、消えないうちに!」と、皆マイペース。
ラインの中での会話もマイペース。

ですが、皆、人生経験も豊かな、頼もしい仲間!

それぞれの親御さんとも仲良く、子供の頃は、誰のお母さんにも、よくしていただいていたし、厳しくもされていました。(そんな時代でした)。 

自分にも厳しく他人(の子ども)にも厳しかった私たち親世代の精神は、そのまま、私たち年代にも受け継がれている。小学校の先生方の教育方針も、私たちは、理解しているつもり。厳しさと一緒に必ずあったのは、愛情でした。 

…と言うわけで、年を重ねても、小学生の頃のノリであることは確かですが、友達同士であっても、自分のことのように、考え。
辛かったり、大変な事は、それぞれの性格の中で理解して、言いたいことは、きちんと伝えるる。(後には残さない)。

こんな感じの長年の友人たちは、とても大切。

母が、亡くなる前には、いつも「友達は大切にしやーよ」と何度も言っていましたが。

仕事も、家庭の在り方もそれぞれの8人ですが、こう言う関係は、なかなか作れない。

この仲間の椙小会は、いくつになっても、たぶん変わらないのではないかと思います。

次回の集まり(食事会)は、2ヶ月後ぐらい。
どこに行こうか?今から、楽しみながら考えています。

西川陽子

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