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ロスアンジェルス暴動 #5

 1992年4月29日、ロドニー・キング事件の裁判で、4人の警察官に対して無罪判決が下った。
 その瞬間、これまで抑えていた黒人たちの怒りが爆発した。
 ダウンタウンにある、ロスアンジェルス警察のヘッドクウォーターは、抗議の人々であふれ返った。
 フローレンスでは、若者たちが暴徒と化し、白人やアジア人のドライバーを襲撃、韓国人経営の店舗を破壊し始めた。
 けれども、サウスセントラルには、1台のパトカーも現れない。
 警察官は、自分たちの安全のために現場を放棄、その結果、暴動はサウスセントラルの至る所に広がった。

ロスアンジェルス警察とナショナルガードがしたこと

 暴動初日の夜、1分間におよそ3件の火事が起こり、消防署への通報は千件を超えた。
 午後9時15分、政府はナショナルガードを要請した。
 警察同様、彼らもすぐには現れない。
 その間に、パトカーが燃やされ、破壊されたビルディングに火が放たれた。
 ロスアンジェルス警察のヘッドクウォーターの前では国旗が燃やされた。
 黒人とともに抗議をする白人の姿も見られた。

 4月30日、暴動2日目の朝までに9人が死亡、192人が負傷した。
 
 午前8時、ようやくナショナルガードが到着した。
 けれども、長~い時間をかけてミーティングを行い、彼らが配置に着いたのは午後2時半だった。
 その頃までに放火と略奪は、サウスセントラルから北へ、ハリウッド・ブルヴァードの手前にまで広がっていた。
 
 ハリウッドの白人エリアに暴動が広がったら大変だ!

 ロスアンジェルス警察とナショナルガードは、白人居住地のガードに全力を尽くし、その南側にあるコリアンタウンを放置した。
 韓国人のビジネスオーナーは、店を守るために、自ら武器を手に取った。 
 略奪犯と、韓国人オーナーとの銃撃戦が始まった。

サウスセントラルの韓国人コミュニティ

 この暴動で韓国人がターゲットになった原因は、ラターシャ・ハーリンズ事件だ。
 けれども、サウスロスアンジェルスでビジネスを展開する韓国人と、黒人コミュニティーは、以前から対立関係にあった。
 ロスアンジェルスで暮らす韓国人人口は、1960年代後半に急激に増加した。
 彼らが持ち込んだ独自の文化、ネットワーク、言語はサウスロスアンジェルスで暮らす他の民族との壁を作り、彼らは韓国人コミュニティーの中だけでビジネスを展開し始めた。
 働き者の韓国人のビジネスは、順調に広がった。
 暴動が起こった1992年、ロスアンジェルスには、韓国人経営の酒屋やグロッスリーストアが3320軒存在した。
 サウスセントラルにあるガスステーションの70%は、韓国人経営だ。
 韓国人コミュニティの総売り上げは、年間18億円を超えていた。

 問題は、韓国人経営者は、古くからこの町で暮らす黒人コミュニティに、何ひとつ恩恵をもたらさなかったことだ。
 まず、彼らは、消費者の黒人に対して、低いクオリティーの商品を売りつけた。
 次に、韓国人には、環境の良い郊外でビジネスをする経済力があったにも関わらず、家賃の安いサウスセントラルから離れなかった。
 その結果、黒人からビジネスチャンスを奪い続けた。
 最後に、ほとんどのビジネスが家族経営で、そこで暮らす人々を雇わなかった。

 同じアジア人でも、中国人は1800年代から暮らしていた。
 サウスセントラルの北側(リトル東京)や南側(オレンジカウンティ)で暮らす日本人コミュニティには、第二次世界大戦以前からマイノリティの歴史がある。
 マイノリティ同士、黒人コミュニティに対する理解があった。
 一方、韓国人がやってきたのは1960年代後半だ。 
 彼らは、公民権運動(1954年ー1968年)を目撃していない。
 1940年代、南部から仕事と自由を求めてLAにやってきた黒人の人生や、黒人の厳しい環境を理解していなかった。
 そのことも、韓国人と黒人との関係を悪化させる原因だった。

 アイス・キューブの「ブラック・コリア」という曲がある。

「・・・ドリンクを買いに行くたびに、あのオリエンタルが経営する店に行くしかない・・・
 俺をジロジロ見るな!お前の店の品物なんか盗むわけないやろ!俺には仕事があるんや!・・・
 俺ら黒人をリスペクトしなかったら、お前らの店なんかカリカリになるまで焼き尽くしたる!・・・
 ゲトーをブラック・コリアにしようと思っても無駄や!
 それより先に英語勉強しろ!」

 ラターシャ・ハーリンズ事件が起こる前にリリースされた曲だ。

 ロスアンジェルス暴動では、4500軒の店舗が略奪や火災の被害を受けた。
 そのうち韓国人経営の店舗は、2280軒、4億円の損失だった。
 暴徒がコリアンタウンを襲っても、警察官も、ナショナルガードも現れない。
 火災が起きても、消防車は現れない。
 彼らは自分たちで店を守り、消火活動をした。
 韓国人たちもまた、アメリカ合衆国に見捨てられた人々だった。

鎮静

 暴動3日目、5月1日午後3時、ロドニー・キングがテレビで人々に呼びかけた。

 「こんなことを続けてたらあかん。
 関係ない人を殺すのは間違ってる・・・
 俺らは力を合わせて仲良くやっていける。
 頼むから、もうこんなこと、やめてくれ・・・」

 司法省は、ロドニー・キング事件を再調査することを決定した。

 午後6時、ブッシュ大統領が、市民に鎮静を呼び掛け、さらに4千人の兵士を、サウスセントラルに配置すると発表した。

 コンプトンのラジオステーション「KJLH」では、ラッパーのアイス・Tが出演し、黒人たちに呼びかけた。
 「KJLH」は、スティーヴィー・ワンダーが所有する、ロスアンジェルスエリアのラジオのステーションだ。

 「この10年間、俺はラップを通して、全国民に向かって叫んできた。
 俺らの怒りは爆発寸前や!って、全力で訴え続けてきた。
 俺はこういうことが起こるって言うた。
 ・・・言うたけど、これは俺が望んでいたことじゃない。
 すでに33人が亡くなってる。
 白人は、俺らの敵じゃないことに気付かなあかん。
 クリーンナップや復興を助けてくれている人の中には、白人もおる。
 色んな肌の人が一緒に助け合ってるで・・・」

 5月2日、暴動4日目、軍隊や海軍から3500人の兵士が派遣され、ようやく状況は鎮静に向かった。

 5月4日、この暴動の終結が公式に発表された。
 6日間継続した暴動の被害は大きかった。
 亡くなった方は63人、怪我人2383人、逮捕者1万2千111人。
 火災で焼け落ちたビルディングは3767軒、損失額は約10億円だ。

サウスセントラル:黒人の怒り

 黒人は怒っていた。
 サウスセントラルにビジネスがないことに、仕事がないことに、食品などの必需品がまともに供給されないことに。
 黒人がチョコレートを盗めば、6か月の監獄生活だ。
 それに対し、警察官4人が、ビデオの前で人殺しをしても無罪になる。
 彼らは、このようなシステムに怒り狂っていた。

 黒人居住地に来る警察官のほとんどが白人だ。
 消防士も、市の職員も、みんな白人だ。
 彼らは、サウスセントラルで何かが起こると感じていたにも関わらず、何もしなかった。
 黒人は、そんな彼らに憤慨していた。

 黒人が自ら町を破壊し、自らを破滅するように仕向ける社会に、それを望む国家に、彼らは絶望していた。

 レジナルド・デニーを襲撃した暴徒のひとりが、この時の暴動を振り返っている。

 「なんであんなことしたかって?・・・
 説明はできない。
 あのとき、あそこにいた人間の誰もが、まともな心なんか持ってなかった。
 まともな心があったら、最初からあの場所にはいなかった。
 だから理由は説明できない。
 俺は怒ってた。怒りが爆発して、町にあふれ出たとしか言えない。

 何を怒っていたか?
 ・・・すべてや。
 警察官、虐待、犯罪、ドラッグ、人間・・・全部や。
 もう全部にうんざりやった。
 もういっぱいいっぱいやってん。

 レジナルドをターゲットにした理由?
 ・・・これも説明できない。
 俺は、レジナルドさんを知らない。
 彼は、無作為に選ばれたひとりで、あの瞬間、彼は白人社会の象徴やった。
 あの時、あの交差点に入ってきた黒人以外の人間は、全員襲撃された」

LA92というドキュメントフィルムのトレイラーです。⇩
イメージがつかめるかも。

フローレンスとノルマンディーの交差点の様子です。⇩
怖いです。



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