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非暴力による戦い①

 公民権運動の始まりに、大きな影響を与えた裁判が、1954年5月17日の「ブラウン対教育委員会裁判(ブラウン判決)」だ。
 この判決により、これまで南部の人種差別を合法とした、”分離すれど平等”が覆され、”教育機関による人種分離は不平等”と認められた。

 これを機に、NAACP(全国黒人地位向上委員会)、CORE(人種平等会議)、SCLC(南部キリスト教指導者会議)、SNCC(学生非暴力委員会)が動き始めた。

 スタートとなる歴史的事件が、アラバマ州で起きた「モンゴメリー・バス・ボイコット」だ。

 モンゴメリーの黒人は、市営バス利用における平等を求めて、380日間に渡って乗車拒否を行った。
 キング牧師と、キング牧師を信じる黒人が一丸となり、「非暴力」で戦い、市営バスにおける人種差別の撤廃に成功した。
 キング牧師が公民権運動のリーダー、象徴的人物として知られるようになった事件でもある。
 NAACPにボイコットの青写真はあった。
 とはいえ、人種差別に疲れ果てたローザ・パークスが、白人に席を譲ることを拒否、逮捕されなければ、実行されることはなかった。

 通常、非暴力戦術では、自らの体を危険にさらすことになる。
 計画と覚悟なしでは成し遂げられない。
 この時代のアメリカ南部は、州法が合衆国憲法に勝っていた。
 白人と戦う場合、”白人が黒人に対して暴力を振るっても、逮捕されることはない”ということを頭に入れておかなければならない。
 1955年に起きた「エメット・ティル」リンチ事件は、それが事実であることを証明した。 

 命をかけた戦いは、自制心、勇気、尊厳なしでは行えない。
 時に彼らは、暴力に対する体と心の反応を習得するため、何週間、何カ月もの時間をかけてトレーニングを行う。

 今回は「非暴力主義」と、その戦略を使った事件について、書いてみようと思います。

 まずは、インドのマハトマ・ガンディーの非暴力主義と戦略、そしてガンディーの思想に影響を受け、非暴力を訴えたアメリカの活動家についてです。

非暴力主義

マハトマ・ガンディー(1869-1948)

 17世紀から19世紀頃にかけて、イギリスの植民地政策によって、多くの国がイギリスの支配下に置かれた。
 「大英帝国」と呼ばれた時代だ。
 インドにおいても、その植民地政策が進んでいた。

 1935年、イギリスはインドで採取される塩に対し、専売制度とそれに関わる法を設けた。 
 ①塩に課税をした。
 ②ダンディー海岸で、無断で塩を採取し、製造することを禁じた。
 ③自ら製造した塩を、インド人に販売することを禁じた。
 ④製造した塩を、イギリス以外の国に販売することも許されない。
 ⑤これら法律を破った場合は、最低6カ月間拘留される。

 これらの法律により、母国の海岸で採取できるにも関わらず、貧しいインド人は、生命維持に不可欠な「塩」を購入できなくなった。
 そこでガンディーは、英国権力に対し、抗議運動を行うことを決意する。
 抗議のポイントは3つだ。
 ①イギリスの不公正な法律
 ②高額な塩税
 ③母国の塩に対する生産や販売の禁止
 
 武力を持つイギリスに対する抗議方法は・・・

 「行進」だ!!!

 1930年3月12日、ガンディーが率いる78人がグジャラート州アフマダーバードを出発した。
 3週間かけて、ダンディ海岸までの386キロを歩く計画だ。
 途中、至る場所から参加者が現れ、最終的には8万人の人々が行進に参加した。
 この抗議運動に国際メディアが目を付けた。
 国際社会が目撃したのは・・・

 武力で支配しようとするイギリスに対し、非暴力で戦うインド国民だ。
 
 4月5日、ダンディ海岸に到着したガンディーが土を拾い上げて言った。

 「これら塩の結晶を利用して、私は大英帝国の土台を揺るがす!」
 
 「塩の行進」の後、非暴力の抗議運動が全国に広がった。
 英国製の服や商品に対する不買運動や、塩の製造販売だ。
 イギリス政府は、4月末までに、ガンディーをはじめ、違法に塩を製造した6千人以上の人々を逮捕した。
 けれども彼らには、「塩の行進」を目撃した国際社会がついていた。

 ガンディーはこれまでにも、不買運動など、非暴力の抗議運動を行い、何度もイギリス政府に逮捕されている。
 「塩の行進」の後、イギリス政府は譲歩を示し、ガンディーをロンドンに呼び、インドの改革について話し合った。
 この抗議運動は、1947年のインド独立への重要なターニングポイントとなる事件だった。

 暴力に対して、非暴力で戦う仲間を集めることは、簡単なことではない。
 通常、「非暴力」の相手は「暴力」だ。
 この作戦には、勇気、強靭な忍耐が求められる。
 けれども、周囲から正義を認められ、支援を得られる、唯一の戦略であることは間違いない。

リチャード・グレッグ(1885-1974)

 アメリカで最初に非暴力主義を唱えた、社会哲学者と言われている。
 第一次世界大戦後、彼は、ガンジーの戦略を学ぶために、1925年から4年間インドに滞在した。
 彼の著書「非暴力の力」には、非暴力による世界の再建とその可能性が書かれている。
 キング牧師をはじめ、多くの公民権活動家に影響を与えた人物だ。

ベイヤード・ラスティン(1912-1987)

 リチャード・グレッグに影響を受けた人物のひとり。
 アフリカン・アメリカンの彼は、公民権運動の先駆者と呼ばれている。
 第二次世界大戦時、戦争反対を訴え、公民権、社会主義、非暴力、同性愛者の人権を唱えた。
 1948年、インドを訪ね、ガンディーの意思を継ぐ人々から「非暴力」戦術を学んだ。
 「モンゴメリー・バス・ボイコット」でキング牧師に「非暴力」を伝授した人物でもある。
 1963年のワシントン大行進では、副局長に任命された。
 実は、その20年以上前、1941年に、ラスティンは軍内の人種差別を抗議するために、ワシントン大行進を計画した。
 ルーズヴェルト大統領が公正雇用法を施行したことで、この計画は中止になったけれど、公民権運動の先駆者であることは間違いない。
 共産主義で同性愛者の彼は、キング牧師ほど有名ではない。
 けれども、キング牧師の公民権運動を裏で支えた、重要な人物なのだ。

 ”正義”と”人間の尊厳”に苦悩する、支配された人々にとって、非暴力を用いた抵抗は、最も強力で可能性を秘めた武器である。
 私はこのことに、これまで感じたことのない確信を持っている。

 ラスティンの言葉だ。

✊✊ 次回は、「非暴力」による戦いについて書く予定でーす✊✊


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