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飯島愛さんの部屋に寝てたら行ってて

今日もブログをご覧いただいてありがとうございます。
今日の話はエネルギー的に敏感な人や繊細な人は、
見るのをやめておいてくださいね。


2008年に亡くなった飯島愛さんの話なのですが、
昨夜寝ていたらどうしてか、飯島愛さんの当時住んでいたと思われるマンションに行ってました。

間取りはこういう感じでした。

奥の部屋に愛さんは居て、
私もそこに居るのですが、

奥の愛さんのいる部屋は、特に、真っ暗でした。
そして、各部屋に黒いスクリーンがあるんです。

そのスクリーンは、黒い空間に繋がっていて、
その黒い空間には、「分裂」を表現したような、
細かい図形が乱舞していました。

一見、宇宙っぽくはあるんですが、宇宙ではないんです。
真っ暗な闇なのです。

そこに細かい図形が乱舞してるのですが、
その図形の色合いや感じは、なんというか、
美しくも見えるのだけども、

図形は無機質で、気持ちのいいものではなく、
どう見ても、高次元のものではないのです。

愛さんはその図形が乱舞する様子を私に見せて
「どう?!私は素晴らしい世界にいるでしょ?」
と聞いてくるんですよ。

私は、
「う、うーん・・・、図形が乱舞してる感じが素晴らしいと思ってしまうのかもしれないけども、こんなに真っ黒な空間だし、いい感じはとてもじゃないけど、しないですよ」
と伝えました。

とにかく「闇」が深いのです。
真っ暗闇すぎるのです。宇宙はこういう感じではないのです。

なので、愛さんの見ている世界は「ダメな世界だ」と伝えたのです。

おそらく錯乱した世界(図形が乱舞する世界)が美しいと思ってしまってる感じでした。

この時には、私はまだ愛さんは「亡くなっていない人」と思って、
接していました。この時にはそう思ってたんですよ。

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そのあとに、部屋の間取り図の、奥にある、特に真っ暗な部屋にも
スクリーンがあって、
そこに映し出されてる愛さんがいたのですが、
それは愛さんが「死のう、死のう」としている姿なのです。

それを見た、アストラル界の私は、
「愛さんは、輪廻転生の色々な人生で、
『死んでリセットしちゃえばいいや』というのを繰り返していますよ。
そういう魂の癖があります。」

と伝えつつ、

それはもうやめないといけないよと、
ベランダ側の窓の黒い隔たりを、バーッと開けまして、
「部屋に光を入れる!」
という意図をしたのですよ。

そしたら、すごく部屋に光が入ってきたのです。
※愛さんの死因が自死と言ってるわけではありません

こんな感じなのですが、
絵の光は黄色ですけども、
本当は白~ちょっと乳白色ぐらいな光の色でした。
白だと描けないんですよ^^;

そうしたら、愛さんは「眩しいなぁ」という感じで、
嫌がってはいなかったです。
しみじみしていました。

そこでなんとなく大丈夫になったなぁ・・というところで
目が覚めました。

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目が覚めた後に、
そういえば飯島愛さんは結構昔に亡くなってるよなぁ・・
と、ここで気づきました。明晰夢の中では気づかなかったのです。

そしてなんで私が
ずいぶん前に亡くなってる飯島愛さんの
囚われてる領域に行ったのか?

という件なのですが、

うーん、最初は同じ歳だからかな?
と思ってたんですが、

今、書いてて感じるのは
『死んでリセットしちゃえばいいや』
という魂の癖が、
たぶん過去の私(過去世の私)にも
あったのかと思います。

しかしこれを繰り返してて、はまってしまう沼は、
とても苦しいものなんだというのも、
私の潜在意識は、分かってるんでしょうね。

なので、愛さんを救ってる・・・のかもしれないけども、
誰かの魂を救ってることで、実は、自分の魂を救ってるんですよね。

この法則はありますよね~。

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なので、例えばなのですが、
「戦争で被害に合ってる人を救いたい」
という気持ちが強い人がいたとして、

それを何かしら行動にしたら、
そうやって行動したことで、その人の魂の中にある
「戦争に関する重いもの」も、
一緒に救ってることになるのかと思います。

この法則ですよね。
なので、自分の心のままに生きる、行動するのは
大事なことなのかと思います。

この場合の「自分の心」というのは、前にも載せていたのですが、
この絵の中の、「自分の光」を感じてもらってから、

自分のハートの高次の部分(自分の光)から来る、「自分の心」ということです。
なので自分勝手に生きる行動する、ってことにはならないかと。

こうして、他人の闇が自分の闇でもあったと、
認識して、昇華してゆくのもまた、
個人のアセンションに大事なことなのかと思います。

おわり☆彡

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