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TRPG沼に落ちて、今寂しい

「RP重視のTRPGは、孤独なゲームだと思う」というノートを見て、私も思ったことを書き残しておこうと筆をとる。これはお気持ちでもなく、ただの私の日記だ。読む場合はこんな人もいたんだあ、奇特な人だなあとでも思ってもらえばよろしい。

私は昨年3月に沼男をフォロワーさんに回してもらって、完全に沼落ちした。もともとYouTubeで動画見たりはしてたけど、こんなハマると思わなかった。

もともと演劇をやっていたのも、二次創作で文字を書いていたのもあって、ハマるのは当然だったと思う。超面白くて。
だんだんと野良に手を出し、そこでも気が狂った同士に会えて、本当に楽しくて。みんなTRPGをやれ。はまれ!!!

いろんな思い出がある。どのPCもシナリオもふせったも宝物だ。その上で最近よく思い悩む。

寂しいな。

そんなことはないはずなんだ。私は相変わらずPCに狂うしNPCに狂う。相棒も同卓もみんな大好きで、優しいから彼らもそれに応えてくれる。みんな大好きだ。卓ってほんと最高でぇ。

でも、なんだか、自分の中に、じぶんが作ったPCみんなの人生が静かに積み上がっていく感覚があるのだ。卓が終わる。ドサリと音がする。振り返るとそこは墓場になってる。墓標なんてない、集団墓地でさ。引っ張り出して継続で遊んでも、ゾンビで遊んでるみたいなんだ。

今、そこでヤバクッキーを焼いているのは、本当にあの時、死に物狂いでナイフを振り上げた、あなたなんですか?

私が公式。それはわかってるし、ゾンビでも楽しい。どんどん生き返ってきて新しい世界を見せてくれる。でも彼らがそこにどんな人生を生きてきたのかというのは、私と、そこに居合わせてくれた人しか知らない。
私が忘れてしまえば彼らは完全に消えてしまう。
それってすっごく寂しくてさ。野良卓って特にそうで。野良卓の一期一会、それがすごくすきなんだけれど、ずっと寂しさがついて回るのだ。

他にも最近流行りの(?)、特殊HOも。めっっちゃ楽しくて大好きでいくらでもやりたいのが大前提として、(本当にいくらでもやりたい。誘ってください。やりたいやりたい!!たのしい!!)、継続に連れて行きにくくはあって、
泣いて叫んでのたうち回って、エンドを迎えたそのあと、ああ楽しかったなあとPLがPCの皮を脱いだそのときに、音がするんだ。振り返るとまた心の中にぼたり、死体が積まれているんだな。


でも継続がすっごくやりたいわけではなくって、なんだろ、人生を一瞬お借りしている感覚で、彼らなりの幸せを享受して欲しくて、あとは君たちに任せるよ引っ張り出したりなんかしないから幸せにおなり、という気持ちもあって。
何言ってんだろ難しいね。
PCみんなをいちばん愛してやりたいねって話なんだよ。たぶんね。

自分語りだけど、私は二次創作沼にいて、人とエモを共有するのが大好きなんだ。ゲーム実況が好きでよく見る理由もそれ。1人でやるのはなんだか寂しい。
TRPGはその特性から、シナリオを隠すからこそ、エモを共有しにくい。KPするしかない。でも突如KPが自探索者について語り出してもエモは伝わらない。当事者にしかわからない宝物なんだ。どんぐりとかビール瓶の蓋とかシーグラスとかを詰めたおもちゃ箱に近いかもね。結局、自分にしかわかんないんだもん。

私の探索者たちが、みんな彼らなりの幸せを暮らせますように。そうお祈りをする。探索者を消費して使い捨てて行くような最近だけど、たまには思い出して、声をかけてあげたいね。


でもその寂しさもTRPGの好きなとこのひとつなの。私は情緒をぐちゃらせるのがいっとう好きなのである。考えてSAN値削れば削るほどサイコーの気分になれるから、TRPG向いてます。ぐっちゃぐちゃになろうね!!!

ここまで読んでくれてありがとう。きみの探索者にも、幸多からんことを。



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