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劣った者を好む人

世の中には
「自分より劣った存在がそばにいること」
をよしとする人がいる。
所謂「引き立て役要員」というものだと思う。
私はこの心理にまったく共感できない。
人間というものは、秀でた所があれば劣った所もあるもの。一部分が他人より優れているからと言って、すべてにおいて秀でているわけではない。「引き立て役」などと自惚れていられるのはごく一部においてのみ、そんな一瞬の優越感の何が魅力なのだろうか?
そもそも、劣った者とならんだからといって自分の劣った部分が改善されるわけではない。さっかくで少しマシにみえるだけで本質は変わらない。
「○○に比べて秀でているね」
という比較対象がなければ輝かないのなら、少しでも本当に以前よりマシな自分になるために鍛練した方が現実的ではないだろうか?
私自身他人に『引き立て役』要員にすえられることがかなりあり、本当に迷惑である。
とくに若い頃は口下手で内気だったため、言い返すこともできず涙を飲んで
「いつかあいつらにガツンといってやる!」
と思いつつ、未だにカツンとも言っていない。
いや、しかし、「言い返すこと」に意味はないと思い始めている。
他人を「引き立て役」にしなければ自尊心が保てない者は。引き立て役の成功や、自立を嫌う傾向がある。
「こんな成功をした」「こんな仲間ができて楽しくやっている」という話をすると、実に嫌そうな顔をして否定してくる。
私は私のそばにいて支えてくれた人を感謝し、今度はその人を助けたいと機会をうかがい、楽しく暮らせばいい。引き立て役にされてることなんかより、そういう私のためになることを考えたらいい。
私を引き立てるのは私の生き方。
誰の引き立て役になるつもりもない。

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