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$中平卓馬 氾濫 写真集

$中平卓馬、戦後日本写真史に燦然と輝く伝説の写真家。森山大道の生涯のライバル。
彼の74年発表のインスタレーション作品《氾濫》の全貌と細部が、印刷物となって初めて甦る。

《氾濫》は、1974年に開催された「15人の写真家」展(東京国立近代美術館)のために中平卓馬が制作・出品した、48点のカラー写真からなる横方向6メートル、縦方向1.6メートルにおよぶインスタレーション作品である。

 壁を這う蔦、路上のマンホール、大型トラックのタイヤ、ガラス越しにみる水槽の鮫、地下鉄構内……《氾濫》の写真群は、写真家が日々遭遇し捕獲した都市の断片 —— それらは情報と商品、そして事物が氾濫する都市空間の無気味な裂け目でもあるだろう。本書では、インスタレーションを写真集の制約の中で見せるために、展示における作品配置を厳密に再現したレイアウトが試みられ、複数のイメージがページ上で干渉し合う。

また、フランツ・K・プリチャードは本書収録のエッセイで、中平が1973年の「なぜ、植物図鑑か」で提示した「図鑑」の構想と、作品《氾濫》の関係を詳細に辿りながら、写真の実践と理論を常に両翼に携えて活動した中平の模索を丹念に論じている。翻訳は倉石信乃。

《氾濫》は観者としてのわれわれに、断片と表面と残滓の一見ランダムな分布による相互作用を経験するよう強いる。だがそうするうちに、われわれは不完全な全体における諸部分が、未分化のまま並置されているのを感知するのである。このことは、中平が「なぜ、 植物図鑑か」で示した「図鑑」という形式の定義を思い起こさせるだろう。

(プリチャードによる本書収録エッセイより)


$中平卓馬

Takuma NAKAHIRA

1938年生まれ。東京外国語大学スペイン科卒業後、総合雑誌『現代の眼』編集者を経て、60年代半ばから写真を撮りはじめ、同時期よりさまざまな雑誌に写真や映画に関する執筆を開始する。68~70年には多木浩二、高梨豊、岡田隆彦、森山大道とともに「思想のための挑発的資料」と銘打った写真同人誌『プロヴォーク』を刊行。70年に写真集『来たるべき言葉のために』を上梓した後、73年には映像論集『なぜ、植物図鑑か』で、それまでの自作を批判的に検証。77年に篠山紀信との共著『決闘写真論』を刊行直後、病に倒れて生死の境をさまよい、記憶の大半を失うが、以後も写真家としての活動を継続。2003年には横浜美術館で初期から2003年にいたる800点におよぶ作品群による「中平卓馬展 原点復帰-横浜」を開催し、その図録を兼ねた写真集『原点復帰-横浜』刊行。以降も新作による個展開催、また内外のグループ展にも参加。2011年には大阪Sixにて、大規模な新作展「キリカエ」を開催。






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