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$一切衆生悉有仏性?

$一切衆生悉有仏性?

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$浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨で、鎌倉仏教の一つである。鎌倉時代初期のである親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し展開させる。親鸞の没後に、その門弟たちが教団として発展させた。

古くは「一向宗(いっこうしゅう)」「門徒宗」などと俗称され、宗名問題を経たのち戦後は真宗10派のうち本願寺派が「浄土真宗」、他9派が「真宗」を公称とするが、本項では代表的事典類の表記に従って「浄土真宗」の名称で解説する。

名称

親鸞における「浄土真宗」

親鸞の著書に記されている「浄土真宗」「真宗」(「浄土宗」)とは、宗旨名としての「浄土真宗」(「浄土宗」)のことではなく「浄土を顕かにする真実の教え」であり、端的に言うと「法然から伝えられた教え」のことである。

親鸞自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できたことを生涯の喜びとした。

宗旨名としての「浄土真宗」

宗旨名として「浄土真宗」を用いるようになったのは親鸞の没後である。

宗旨名の成り立ちの歴史的経緯から、明治初期に定められた宗教団体法の規定(現在は、宗教法人法の規則による「宗教法人の名称」)により、同宗旨に属する宗派の多くが宗派の正式名称を「真宗○○派」とし、法律が関与しない「宗旨名」を「浄土真宗」とする。

過去には「一向宗」「門徒宗」とも俗称された。

英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。

教義

  • 親鸞は名号を「疑いなく(至心)我をたのみ(信楽)我が国に生まれんと思え(欲生)」という阿弥陀仏からの呼びかけ(本願招喚の勅命)と理解し、この呼びかけを聞いて信じ順う心が発った時に往生が定まると説いた。そして往生が定まった後の称名念仏は、「我が名を称えよ」という阿弥陀仏の願い(第十八願)、「阿弥陀仏の名を称えて往生せよ」という諸仏の願い(第十七願)に応じ、願いに報いる「報恩の行」であると説く。そのことを「信心正因 称名報恩」という。念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行、善行)としては捉えない。

  • このことは名号となってはたらく「如来の本願力」(他力)によるものであり、我々凡夫のはからい(自力)によるものではないとし、絶対他力を強調する。なお、親鸞の著作において『絶対他力』という用語は一度も用いられていない。

「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」

「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」

「蛇蝎奸詐のこころにて 自力修善はかなうまじ 如来の回向をたのまでは 無慚無愧にてはてぞせん」

と「真実の心」は虚仮不実の身である凡夫には無いと述べ、如来の本願力回向による名号の功徳によって慚愧する身となれるとする。

教義の詳細に関しては、宗派による教義の差異に留意の上、以下の項目を参照のこと。

本尊は、阿弥陀如来一仏である。ただし、高田派及び一部門徒は善光寺式阿弥陀三尊形式である阿弥陀如来・観音菩薩勢至菩薩を本尊とする。








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