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小林多喜二の命日によせて

 それは校庭の隅にまんべんなく霜柱が立つような、年の終わりだった。私は13歳で、中学校から始まった寮生活初めての年越しを目前にしていた。
 実家に帰る生徒がほとんどなのに、何故か先輩を真似て待機組になったことを早くも後悔し、取り立ててやることもなく寮内をふらついていた。
 そんな私に、同じく待機組となった同級生が1冊の本を貸してくれた。三浦綾子の『母』だ。
 冬休みの薄い陽が部屋に差し込む午後いっぱいをつかって、私はその小説を読み終えた。
 キリスト教系の学校だったから、小林多喜二の母を描いたその小説を同級生が薦めたのも不思議ではない。が、ホームシックにかかりやすい寮生の、それも年の瀬になんてものを読ませたのか。私は多少なりとも同級生を恨んだかもしれない。しかしすぐに思い出す。同級生もまた同じ境遇にいる。

  あーまたこの二月の月かきた
 ほんとうにこの二月とゆ月か

 母が子を思う気持ちを痛いほどに知らしめてくれた、最初の小説だった。しかしあまりに残酷な史実は思春期の私には受け止めるのがやっとで、その後どんなに小林多喜二の死の道のりを知っても、小説を再び開くことができないでいる。

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