「無謬性の原則」が操作される時代に

「無謬(むびゅう)性の原則」って聞いたことありますか?
まえにも一度記事にしました。
よく使われるのは、公務員に対してです。
間違えてても絶対に方向修正できない、方向修正しないのが公務員です。
失敗しないっていう前提があるからです。これを無謬性の原則といいます。

以前、長尾先生もこの言葉を引用して公務員にガチ切れしていました。最近は鹿先生もさすがに切れ気味ですね。まともな人ならみんな切れると思います。世の中完全におかしいし、狂ってると思います。日本はコロナワクチンがヤバいって分っても方向修正できないんですから。

最近、アメリカのCDCやFDAを見みてると、しれっとでも方向修正してますよね。WHOもそうですよね。しれっとでも方向修正しないと余計に被害が大きくなります。でも日本はこれが出来ないようです。

なぜでしょうね?
戦前の大本営もそうでしたね。
戦前の話は長くなるし、いつもと同じ話になるのでしません(笑)

ただ、この話をさせてください。
最近、個人にも「無謬性の原則」が強く働いていると感じます。
SNSの時代になって、今は自分の主張をネットに書き込める時代です。自分がネット上で主張したことが全部残ってしまいます。そのせいで、主張が間違えていることに気が付いても修正することが出来ない人を沢山みかけます。私はこれを「主張の確定」と呼んでいます。

行動経済学の時代になって、メディアが認知バイアスを悪用して一気に「プロパガンダ奇襲」をかけてきます。たとえば、反ワクはアホとだか、ロシアは悪とだか、そんなプロパガンダです。そんな奇襲に乗せられて、SNSなどで「主張の確定」をしてしまうと、もう方向修正できない人が山ほど出てきてしまいます。被差別やら社会的弱者にたいするヘイトもですね。歴史を知らないでヘイトばかりしている人も沢山います。そういう人は本当の歴史を知っても、もう方向修正できない。

恥ずかしいからです。
だから、間違えを認めることができないんです。
立場によっては責任問題になってしまうのかもしれません。

でも、恥ずかしいって思う必要はないと思います。その「恥ずかしさ」が操作されてるんです。今の時代、認知バイアスやらに付け込んで、巧妙なプロパガンダが行われる時代です。歴史で言えば、教科書に書いてあることも嘘ばかりです。騙されてるんだから、むしろ本当の事を知った時に、しっかりと方向修正すべきです。認識の構造を知るべきだと思います。「恥ずかしさ」という首輪をはめられた走狗にならないように注意しましょう。

今の時代、認識の構造が悪用されて騙されてしまうんです。本当に凄く巧妙なんです。だから、私も含めて、間違えたことを言ってしまうということはあります。そんな時代に心にとどめておくべき重要なことは、それに気が付いたら、直ちに方向修正しないと、人生を損して生きることになるということです。平気で嘘を付く自称学者や自称専門家がネットでも適当なことを吹聴していますが、ああいうのは人間として最低の生き方です。嘘つきとして生きる人生に何の意味があるんでしょうか。不思議です。認識の構造が見えてないから、首輪をはめられてしまうんです。フェイクだと分かったのに、まだフェイクをまき散らすことがどれだけ恥ずかしいことか、愚かなことか知りましょう。

おわり